前回のレースから、一か月後。
5回目のレースがやってきた。
例の会場へ、新田・畑川とともに向かっている時だった。
藤崎から、新田へ連絡が入った。
「はい…はい…いえ、それでいいと思います。分かりました」
スマホを耳に当てたまま、こちらを向く新田。
「三井センパイ、風邪をひいてしまったみたいです」
「ってことは…」
「今回は、三井センパイは欠場ですね」
風邪が流行っているのは知っていたが、三井も罹ってしまったか。
迷惑は掛けられないからと、無理にでも出てこようとする三井を、藤崎がどうにか説得したらしい。
今回の対戦カードは、前回同様、畑川・中谷チームと、藤崎・三井チームだった。
ただ、三井の代わりに別の馬を見つけるのは不可能と言えた。
とはいえ、だ。
会場はすでに、先の先まで予約で埋まっていた。
レースを延期するとしても、1か月近く先の日程になってしまう。
それに、前回レースで負けた三井の条件。
『彼女を慕う取り巻きの中からふたりが、次回レースの観客となる』
今回は観客も呼んでいた。
来てくれとお願いしておきながら、当日にドタキャンする訳にもいかない。
できることなら、レースは行いたい。
それなら、と。
新田が藤崎に提案する。
「今回は、馬として参加してみません?」
藤崎が馬。
しかし、そうなると騎手は…
「騎手は、畑川センパイです」
意外だった。
てっきり、新田が乗るものだと思ったが…
「私?私はしませんよ。当面、レースへの参加はしないつもりですから」
藤崎も疑問に思ったのだろう。
新田が、答えた。
畑川は、私の騎手もしつつ、藤崎の騎手も、ということらしい。
「馬としての練習はしたことないから、勝負にならないって?大丈夫ですよ、今回は勝っても負けても、例の罰ゲームはナシです」
とにかく、レースを開催することが第一の目標だった。
「観客?来ますよ、ふたり。大丈夫ですって。よっぽどのことがなければ、正体なんてバレませんよ」
正体なんてバレない。
本当にそうだろうか。
実際、藤崎は私の正体に気付いているはず。
いや、あれは新田、畑川と関係の深い人物から推測した、ということなのか。
「1号も、三井センパイも、見た目じゃ分かんないでしょう?」
見た目では、そうだったとしても。
相手は、藤崎と同じく三井の取り巻きらしい。
お互いに見知った関係のはず。
さすがに、藤崎も渋っているようだったが、最終的には了承せざるを得ないらしかった。
会場に到着。
参加者の集合時間までは、まだ15分もあった。
おそらく、まだ藤崎は来ていないだろうが、念のため、ふたりと距離を取りながら歩く。
全頭マスクを被ってから、部屋へと入る。
やはり、藤崎はまだ到着していなかった。
控室へ行き、荷物をおろす。
集合時間の5分前、藤崎も到着した。
コースを設営しながら、改めて状況の確認をする。
・来られない三井の代わりに、藤崎が馬として参加
・畑川は、1号と藤崎の両方の騎手を務める
・勝敗による罰ゲームは今回はなし
・今から約1時間後に観客が到着する
今回の観客となる、三井の取り巻きふたり。
それが誰なのか。
藤崎だけでなく、私も畑川も聞かされていなかった。
ソワソワと落ち着かない、藤崎。
それもそのはず。
彼女にとっては特に馴染み深い人物なのだ。
それに、元々は騎手として参加するはずだった。
同じ、三井の取り巻き同士。
でも、そこには明確な違いがあった。
藤崎にのみ許された特権。
三井を跪かせ、跨り、馬として駆ること。
首輪やリードを付けて、犬のように扱うこと。
三井のどんな屈辱的なポーズもセリフも、藤崎の命令ひとつで思うがまま。
また、そこに到るまでの過程。
悔しそうな、恥ずかしそうな三井の表情。
プライドの塊のような三井を、自分の思うままにできる。
書き換えていける。
そんな、脳が沸騰しそうなほどの興奮、経験を、彼女は独り占めしていたのだ。
背徳感に彩られた優越感。
今日も、そうなるはずだった。
それが…
急遽、馬として、仲間たちの前で姿を晒すことになってしまった。
会場の準備を終え、休憩し始めたころだった。
新田あてに、ふたりから連絡が入った。
「あと10分くらいで到着するみたいです」
空気が張り詰めるのが分かった。
「私、建物の外へ迎えに行ってきますね。3人は先に着替えててください。それと…お馬さんのふたりは、私が呼ぶまで控室で待っててくださいね」
観客を迎えに行く新田。
私と藤崎は、言われた通り、控え室へと向かう。
藤崎とふたり、会話もないまま、服を脱いでいく。
バッグから『衣装』を取り出す。
これを着るのは、今回で何度目だろう。
慣れたのか、もはや着ること自体に抵抗はなくなっていた。
ただ、藤崎は違った。
持参したバッグから取り出した衣装を、ジッと見つめている。
私が知る限りでは、彼女がこれを着るのは、今回で2度目である。
前回レース後の、彼女にとっては忌々しい記憶と結びついた『衣装』。
騎手だった藤崎にとって、これを着るのは敗北した証でもあるのだ。
全頭マスク。
ツルツルとした光沢のある素材でできた、水着。
馬の耳を模したカチューシャと、尻尾。
乗馬服に身を包んだ騎手。
その足もとで跪き、背に乗せて、這いまわる。
そんな姿を、同じく三井の取り巻きである観客たちに見られるのだ。
藤崎が服を脱ぎ始めた。
まだ気持ちの整理などできていないだろう。
でも、まもなく観客たちは到着してしまう。
状況を受け入れる時間など与えられないまま、彼女は晒すことになる。
己のブザマな姿を。
そして、自身が藤崎であることを悟られないよう、一頭の馬として振舞う。
屈辱と羞恥心とで、体を熱くしながら。
正体がバレないよう、必死に祈りながら。
藤崎の息づかい。
感情が伝染してくる。
映像。
地を這いながら、見上げる己と。
好奇と蔑みの視線を投げてくるヒト。
大丈夫、バレてない。
言い聞かせる。
でも、あの薄ら笑いは、もしかしたら…
こみ上げる不安を、必死に打ち消す。
ヒトとしての尊厳を守っているのは、顔を覆う1枚の布。
剥ぎ取られたら、終わり。
裸を見られるよりも恥ずかしい。
嘲笑と侮蔑によって、烙印が刻まれる。
一生消えない痕。
そもそも、藤崎が衣装を持っていることに少し驚いた。
三井から借りた訳でもないだろうし。
おそらく、前回罰ゲームで着させられていた衣装だろう。
新田から渡されて、それを自分で保管していたのか。
もしかしたら…
私の知らないところで、新田から調教を受けているのではないか。
そういえば。
罰ゲームの最中、新田の言葉。
『アンタがご丁寧に作ってきた、三井センパイの映像。Before afterのやつね。また作ってきてよ。あれ、結構好きなんだよねぇ。でも、今度は三井センパイじゃなくて自分のやつな』
あの日、藤崎が命じられたこと。
自分のBefore after映像を編集して、新田に見せる。
この前に観た、合同調教の映像。
あれを編集したのは藤崎だ。
あれとは別に、藤崎自身のBefore after映像も、じつは編集していたのだとしたら。
藤崎が作った己のBefore after映像。
それを、新田に献上する。
受け取る新田は、乗馬服を着ており。
一方、藤崎は、今着ている馬のコスプレ姿。
映像の内容を詰られ。
馬のコスプレ姿を詰られ。
顔を真っ赤にしながら、跪く藤崎。
その背に跨った新田が、鞭を振り下ろす。
私の知らないところで、もしかしたらそんなことが…
考えすぎだろうか。
いや、でも…
じゅうぶんにあり得る話だと思う。
モヤモヤとした感情。
嫉妬?不安?
突然の感情に、戸惑う。
と。
ドアがノックされた。
そこで、思考は中断された。
控え室に入ってきたのは、乗馬服姿の畑川。
「お待たせ。新田と観客たちが来たので、呼びに来たよ」
ついに、この時が来た。
ふーっと、藤崎が大きく息をつく。
部屋から出ていこうとする私たち。
それを、畑川があわてて止める。
「ま、待って!新田…から、ふたりに指示があって…」
「指示?」
藤崎が、いぶかし気に尋ねる。
指示の内容を話す畑川。
「アイツの言いそうなことね…」
聞いた藤崎が、呆れたような声を出す。
てっきり悪態をつくのかと思ったが…
藤崎にしては、割とすんなり受け入れたように思えた。
今さら、抵抗してもムダだと思ったのだろうか。
それとも…
先ほど浮かんだ疑念が、再び脳裏をよぎる。
「じゃあ、ふたりとも、行こっか」
控え室のドアを開け、畑川が外に出る。
ドアが閉まらないよう、畑川が手で押さえる。
その間に、藤崎と私が出る。
新田の指示通り。
四つんばいになりながら。
部屋の向こう側には人影。
新田と、観客だろう。
この距離では、誰なのか判別できなかった。
「手綱、付けるよ」
私たちの轡に、ロープを取り付ける畑川。
そして、右手で私の、左手で藤崎のそれを、しっかりと握る。
そして、歩き始める。
ゆっくりと歩く畑川。
ななめ後ろを私と藤崎が、ハイハイをしながら進む。
向かう先には、新田と、観客が待っているのだ。
自分のこんな姿を見られるのは、これで何人目になるだろう。
『中谷先輩を調教してるみたいで、楽しいですー』
『ホントは中谷先輩も、こういうこと、したかったんでしょう?』
新田の前で、初めて馬として扱われた日を思い出す。
『うん、競争!競争馬として調教してあげる。紗枝ちゃんも、競争馬になってみたくない?』
新田の思いつき。
そして、競走馬として三井と畑川の前に現れた。
『えっ…えっ!でも、それって、まさか…』
『ふぅん。あなたにそんな『シュミ』があったなんてねぇ』
畑川の驚いた顔。
三井の、蔑みと愉悦の混じった笑み。
『隠してるつもりみたいですけど、バレバレですよ、中谷センパイ?』
私の隣で、同じように這い進む藤崎。
まだ、新田にキバを抜かれていない頃の彼女。
新田とはまた違った、サディストとしての魅力を秘めていた。
状況が違えば、彼女の前で跪いていたかもしれないのだ。
そして今、新たな観客に晒されようとしている。
三井や畑川に見られた時の、身も心も焼け付きそうなほどの恥ずかしさ。
あれはもう、なかった。
刺激に、自らの置かれた状況に慣れてしまったのか。
代わりにあるのは、倒錯的な背徳感。
見下され、蔑まれることへの暗い欲望。
藤崎は、どうだろうか。
馬として参加する、初めてのレース。
前回レース時の、堂々とした藤崎。
合同調教時の、傲岸不遜な態度。
プライドの高い彼女が、馬として床を這っている。
その先に待っているのは、お互いよく見知った『仲間』たち。
ちらっと、左を見る。
俯いたまま、両手両足を動かし続ける藤崎。
完全に、自分の思考の中に入り込んでいるようだった。
想像しているのだろうか。
仲間の前で、馬として現れる瞬間を。
蔑み、嘲笑、憐れみの視線。
屈辱、羞恥心。
正体がバレることへの恐怖。
取り巻きの中で、自分だけが握っている、三井の秘密。
優越感。
畑川に手綱を握られながら床を這う、憐れで滑稽な女。
その正体が藤崎だとバレたら。
そんな優越感など、一瞬で消え去ってしまう。
それどころか。
かつて、彼女が三井に対してそうしたように。
今度は藤崎が、彼女たちから同じ目に遭わされるかもしれないのだ。
観客たちの待つ場所。
確実に近づいていく。
そして、畑川が立ち止まった。
私も藤崎も、止まる。
ついに、到着したのだ。
鼓動が早くなる。
目の前には、畑川の脚。
更にその奥には、別の人物たちの脚が見えていた。
一体、誰なのか。
思った瞬間。
「ふたりとも、顔を上げなさい」
畑川に命令された。
先ほどまでの遠慮がちな言い方ではなく。
騎手として、堂々と威厳に満ちた声で。
床を這う馬に、言い放ったのだ。
言われたとおり。
視線を上げる。
3~4メートルほど先には、新田。
その横には…
いたのは、浜本玲奈と鳥越風香。
新田の言っていたとおり、ふたりとも三井の取り巻きだった。
そしてどちらも、新田と同じ1年生。
ウェーブがかったセミロングで、やや明るめに髪を染めている浜本。
お調子者で楽しいことが好きな、ギャル風の女の子。
一方の鳥越。
黒髪ボブで、まじめな女の子というイメージがある。
スポーツ少女がそのまま大学生になったような子で、まだ幼さはあるものの、物言いはしっかりしていた。
一見するとタイプの異なるふたりだが、気が合うらしく、よく一緒につるんでいる。
調子のいい浜本を、鳥越がたしなめる、という光景をよく見かけた。
「この子たちが、畑川センパイを乗せて走るポニーちゃんたちだよ」
新田が、ふたりに告げる。


コメント
また新しい後輩女性に弄ばれるの最高です…
ありがとうございます。
ふたりには、新田とはまた違ったSっ気を発揮して、先輩たちを可愛がってもらう予定です。