それ以降も、私たちは撮影会を度々開催した。
野外では、公園や動物園に行き、さまざまな風景を撮影した。
瀬里奈や樹里に教えてもらいながら、少しずつ、カメラの技術力が向上してきた気がする。
先日、私の投稿した写真が、とある雑誌に掲載された。
マイナーな雑誌なのでそこまで競争率が高いわけではないが、それでも嬉しかった。
瀬里奈も樹里も、自分の事のように喜んでくれた。
樹里は最近デザインに興味があるらしく、大学での勉強のかたわら、独学で勉強を始めた。
進路のことで悩んでいるらしく、時々私の所へ相談にやって来る。
どの道を進むにせよ、彼女なら、悔いのない選択ができると思う。
瀬里奈は、本格的に写真の道へ進むことにしたらしい。
時々、実家に戻って写真家である父親の手伝いをしている。
もともと、父親は瀬里奈が写真の道に進むことについては反対だったらしい。
それでも、何度も説得を続けるうちに父親が根負けをしたのだった。
これまでと打って変わって厳しく瀬里奈を指導する父親。
かなりキツいことも言われるらしいが、「好きなカメラのことだから」と、へこたれた様子は見せない。
屋内では、今も秘密の撮影会を続けている。
以前よりも回数は減ったが、皆の大切な時間になっている。
樹里の自作コスチュームも、回を追うごとにこだわったものになってきている。
瀬里奈も、この撮影会がいい息抜きになっているらしい。
「これだけは、父には言えない」と苦笑していたが…
瀬里奈も樹里も、未来に向けて進もうとしている。
それが、眩しかった。
私も、いつまでも過去を引きずっていてはいけないな…
年末、実家に帰ってきた私は、大学時代の荷物を整理しようと思い立った。
押入れからダンボールを取り出す。
懐かしいテキスト、ノート、文房具…
押入れに仕舞っておいたまま、一度も開けることはなかった。
ノートを手に取る。
講義中、板書を取りながら、思いついた事などをノートの端に書いていた。
卒業後、大学時代の事はなるべく思い出さないようにしていた。
そしていつしか、記憶も薄れていった。
文字を追う度、記憶が呼び起こされていく。
いけない、このままじゃきりがない。
処分するものを入れる箱、残しておくものを入れる箱をそれぞれ用意する。
ノートを、処分する方の箱へ入れる。
そうやって、残りの物も次々と仕分けていく。
ダンボールの底。
ある物が目に入った。
これは…
ミニアルバムだ。
千秋と初めて二人きりで旅行に行った時の写真。
旅行から帰った後、千秋がプレゼントしてくれたものだ。
手に取り、開く。
今よりまだ少し若い、当時の私が写っている。
無邪気にはしゃいだり、照れた表情を浮かべたり、少し拗ねた表情を浮かべたり…
この頃は、千秋はまだ写真を撮り始めて間もなかったはずだ。
構図も何もない、ただ感情のまま、千秋が撮った写真。
技術は稚拙だが…千秋の感情が、想いが伝わってくる。
当時の思い出が、感情がフラッシュバックする。
ダメだ、これ以上は見てはいけない…
もう、過ぎた事だ。
アルバムを閉じ、処分する方の箱へ入れる。
押入れにあったダンボールの中身は、すべて仕分け終わった。
結局、残しておく物は殆ど残らなかった。
これで、全てか。
清々しい気分の一方で、なんとなく胸の奥でわだかまっているものがある。
一時的なもので、やがてこのわだかまりも消えていくのだろう。
そう思うことにした。
でも、何か忘れている気がする。
他に、何か…
手紙。
アパートを引き払う前、ポストに投函されていた千秋からの手紙。
結局読まないままだったが、あれも実家へ持ってきたはずだ。
押入れの中には入っていなかった。
でも、捨てた記憶もない。
改めて押入れを探す。
処分する物を入れた箱の中を、もう一度探す。
やはり、見つからない。
今更見つかったところで、どうする。
探すのはやめて、手紙のことは忘れよう。
そう思ったが、抜けない棘のように、気になって頭から離れない。
「参ったな…」
学習机の椅子に座り、ボンヤリと窓の外を眺める。
アパートを引き払って、実家に帰ってきて、その時もここでこうして窓の外を眺めて…
「あっ」
机の引き出し。
一段だけ、鍵がかかるようになっている。
鍵を取り出し、解錠する。
引き出しを開けると、果たしてそこに手紙があった。
手紙を開封する。
便箋には、千秋の謝罪の言葉が書かれていた。
カメラをサークルのテーブルに置き忘れた理由。
どれだけ私を傷つけてしまったか。
深い、後悔の念が綴られていた。
どれだけ謝っても許してもらえるとは思っていない。
やり直せるとも思ってない。
ただ、それでも謝りたかった。
直接謝りたかったが、それも叶いそうにないため、せめてもと思い手紙を書いた、と。
あの時の私は、とにかく千秋との接触を避けていた。
胸が痛んだ。
手紙の最後に書かれていたこと。
あの一件から、写真を撮らなくなった。
自分の写真が人を不幸にする気がして、写真を撮るのが怖くなった。
自業自得だし、寧ろこれでよかったのかもしれない、と。
そこで、手紙は終わっていた。
千秋との思い出は、常にカメラとともにあった。
楽しい思い出も、辛い思い出も…
千秋がどれ程カメラが好きだったか。
瀬里奈達との交流を通してカメラの魅力を知った今、よりそのことが理解できる気がする。
再び、箱からミニアルバムを取り出す。
今更、と思う。
しかし、ページをめくるたび、感情が溢れてくる。
スマホを取り出す。
千秋の連絡先。
消さずに残っていた。
別に、やり直したい訳じゃない。
私には私の数年があったように、彼女にも彼女の数年があった。
私の事は、もう何とも思っていないかもしれない。
それでも、伝えたい事があった。
カメラの魅力を知った今だからこそ、伝えなければいけない事が。
『もう、繋がらないのでは』
『今更、どの面下げて』
頭をよぎる言葉を振り払う。
震える手で、千秋の名前をタップする。
祈るような気持ちで、応答を待つ。
10秒、20秒、30秒…
出ない。
それもそうか。
自嘲気味に笑う。
「も、もしもし?」
千秋の声。
ハッとする。
「もしもし、葉月?葉月なの?」
つ、繋がった…
何か言わなければ…
でも、言葉が出てこない。
何か、なんでもいいから、何か…
「葉月なのね…私、もう二度と、私…」
今にも泣きそうな声。
「葉月に…ごめんね、ごめん…」
千秋の嗚咽が聞こえる。
「あのね、千秋、私…」
なんとかそれだけ、言葉を絞り出す。
ダメだ、私もそれ以上言葉が出てこない。
結局、しばらくはお互い泣いてしまい、言葉にならなかった。
ひとしきり泣いて…
泣き止んだ後、なんだか可笑しくて、二人して笑った。
時間の流れとともに、人は変化していく。
当人がどれだけ望もうとも、望まざるとも、同じ場所に留まることはできない。
ならばせめて、一瞬という時間を切り取り、辿ってきた形跡を残していきたい。
時間とともに変わっていくもの、変わらずに残っているもの。
自分の側に確かにいた、かけがえのない存在。
思い出、感情…
写真が、失いかけた大切な何かを取り戻させてくれることもあるのだ。
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