Brave New World 四日目 2/3

それから部活までの間、他の生徒に気付かれないか気が気ではなかった。
5限は数学だった。
運悪く指名されてしまい、黒板に数式を書くハメになった。
教壇付近は床が一段高くなっているので、スカートの短い子は時々中が見えそうになる。
自分はさほど短くしていないので大丈夫だとは思ったが、ふとした弾みで見られてしまうのではという思いが頭から離れなかった。
6限は移動教室だった。
なるべくゆっくりと、人の後を歩く。
授業が終わり放課後になるころには精神的に疲弊していた。
音楽室には既に茜が居た。
私が入ってきたのを見ると、意味ありげに微笑んだ。
「茜、ちょっと」
他の部員に怪しまれないよに、部活関連の用事を装って呼びよせる。
「ここじゃ楽器の音でよく聞こえないから廊下で話しましょう」
廊下に出て、周囲に人が居ないのを確認する。
「茜、私の下着を返して」
「あれぇ?部活の件でのお話じゃありませんでした?」
「それは口実で…と、とにかく、早く返しなさい」
「先輩って可愛らしい下着を穿いてらしたんですね。もっと大人っぽいのかと思ってた」
「い、いいでしょ、別に。それより…」
「まあ落ち着いてくださいよ。あ、人が来ましたよ」
振り返ると、同級生の部員がこっとに来る所だった。
「友子、それに茜ちゃん、こんにちは」
「先輩、こんにちは」
何となく気まずかったので、片手を挙げるだけの反応で返した。
「友子、話があるんだけど」
「あ、じゃあ部長、私は練習に戻りますね」
「あ、ちょっと…」
止めようとしたが、茜はそのまま音楽室に消えていった。
「ねえ友子、最近あの子と仲良いよね」
「え、な、なんで?」
「いや、最近二人で話してるのをよくみかけるし。それとなんていうか、雰囲気かな。入ってはいけないというか…」
「何それ」
笑ってごまかす。
「私はただ、茜の演奏について指導してるだけだから」
「それは分かってるよ。ただ、一人の部員にたいして熱心になりすぎるのは他の部員に示しがつかなしからさ。プライベートで仲良くする分にはいいけど。まあ、友子は私に言われるまでもなく分かってると思うけど、一応ね」
「うん、ありがとう」
「じゃね」
そう言って彼女は音楽室に入っていった。
どうやら心配させてしまっていたみたいだ。
部活とプライベート…
公私混同には気をつけていたが、自分が見えなくなってきているのかもしれない。
このままではいけないのは分かっているが…
私は弱い人間なのだろうか。
楽器の練習は大抵椅子に座りながら行う。
座っている時に足の間からスカートの中が見えてしまわないだろうか。
もちろん気をつけていればそんな心配はない。
そもそも目の位置や明るさの問題からしても見えることなんてほとんどないのだ。
大丈夫、きっと大丈夫だ。
「先輩」
いつの間にか茜が後ろに回りこんでいたらしい。
先輩の右斜め前に座ってる子、いますよね?」
「え?ええ。彼女がどうかしたの?」
「私ずっと見てたんですけど、あの子さっきから先輩のほうチラチラ見てるんですよ」
「え、まさか…」
その時、その子と視線が合った。
向こうは慌てて俯く。
なんだが顔が紅潮しているようにも見える。
「もしかして、気付かれちゃったんじゃないですかぁ?」
「そ、そんな!そんなこと、あるはず…」
「でも、それにしてはあの子の反応は不自然ですよね」
心臓の鼓動が早くなってきた。
「大事な所、見られちゃったかもしれませんねぇ。先輩の恥ずかしい性癖も気付かれちゃったかも?」
「ど、どうしよう」
「でも大丈夫ですよ。あの子、人に言うような子じゃないですから」
「そ、そういう問題じゃないでしょう」
「もし理由を聞かれたとしても、朝急いでたから穿き忘れちゃったの、とでも言っておけばいいんですよ」
「そんな、ムリがある」
「だから大丈夫ですって。それとももしかして、見られて感じちゃったとか?」
「そんな訳、ないでしょ」
「ですよねぇ。見られて興奮するなんて、それじゃ本物のヘンタイさんですもんね」
これは恥ずかしいなんてものじゃない。
部長としての尊厳というか、大切なものを失ってしまった気がする。
あの子は私にゲンメツしただろうか。
胸をしめつけられたような苦しさ。
だが同時に、脳がジーンと痺れるような快感も含んでいた。
後悔の念と、もっと見てもらいたいという思いの間で気持ちが揺れ動く。
もう戻れないかもしれない。
茜の微笑は、そんな自分の気持ちを見透かしているかのようだった。
部活終了後、友人に呼び止められた。
「友子、今日は一緒に帰れるんでしょ?」
「あ、ごめん…まだやらなきゃならない仕事が残ってるのよ」
「そう…」
「ごめんね。これが終わったらまた一緒に帰ろうね」
「うん…あまり根つめないでね。私に手伝える事があれば何でも言ってよ。協力するしさ」
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「そう…」
まだ何か言いたそうだったが、結局そのまま帰っていった。
心配してくれる事への感謝と申し訳なさ、嘘をついている事の後ろめたさ。
本当にこのままでいいのかという思いは今もある。
ただ、以前の自分とは明らかに何かが変わり始めている。
いや、内に秘めていたものが少しずつ表に出てきたというべきか。
そしてそれを自分で認め始めている。
戻れるだろうか。
一昨日までならまだなんとかなった気がする。
もともとは断るはずだったのに、結局そのままズルズルと…
というより、元に戻ろうという気持ちが日に日に小さくなってきている。
なんだか、このまま茜に身を任せて、堕ちる所まで堕ちてみたい気もしてきた。
この後、自分はどうなってしまうのだろうか。
礼によって例のごとく、電気の消えた音楽室で茜を待っている。
茜は四日前のあの時から、こうなることを予測していたのだろうか。
むしろ、私は茜の計画にうまく乗せられてきたのかもしれない。
成り行きでこんな関係になってしまったとばかり思っていたけど…
だとしたら、こうやって待っている事にも意味があるのだろうか。
「先輩、お待たせしました」
ドアから茜が入ってきた。
「早かったわね」
「とりあえず、荷物を取りに行ってただけなんです。この後また少しだけ行かなければならないんですけどね」
「そうなんだ」
そういえば、茜は昨日もバッグを取りに行っていた。
中には目隠しと、確かギャグボールという物が入っていた。
今回も使う気なのだろうか。
「でも、まだやる事残ってるんでしょう?どうしてここに戻ってきたの?」
「今回は友子さんに確認しなくてはならないことがあって」
初めて友子さんと呼ばれた。
「確認?」
「はい。一応本人の気持ちを聞いておかなければならないと思って。友子さんが嫌がっているなら無理はしたくないですし」
「今まであれだけの事しておいて、今更じゃない?」
冗談ぽくいうと、茜も笑った。
「確かに酷い事してきたとは思いますけど、もともと友子さんを苦しめるつもりはないんです。それで、今回のもいままでよりハードなんですよ。だからそういう意味でも、本人はどう思っているのか知るべきかなって思うんです」
「そうねえ、確かに最初は嫌だったわ。どうしてこんな事するんだろう、何とかして元通りにしなきゃって、随分なやんだしねぇ」
「うう、すみません」
茜は照れたように身を縮めた。
「でも、最近ではなんていうか、その…こういうのもアリなのかなって」
茜の目が輝いた。
「あ、でも少しだけよ?まだ完全に受け入れた訳じゃないんだからね」
「はい。でも嬉しいです。嫌だからもう付きまとうなって言われたらどうしようかって、少し心配だったんです」
「少しね。でもまあ、私も安心したわ。茜が私を気遣ってくれてるのが分かって」
「えへへ」
「でも、今日は何をするの?今までよりハードとか言ってたけど」
はい、今日は校内をお散歩しようかなって思ってるんです」
「え、お散歩?」
「もちろんただのお散歩じゃありませんよ。友子さんには犬になってもらいます。全裸で」
「ぜ、全裸!?でも、それはさすがにマズくないかしら」
「そのためにこれから調べてくるんですよ。どこかで人に見つかりでもしたら困りますもんね」
「困るというか…」
「じゃあ、そろそろ行ってきます。10分くらいで戻ってこれると思います」
「あ、私も行こうか?」
「いえ、ここで待っていてください。こういうのは私に任せて、友子さんはそれまでゆっくりなさってて下さい」
「そう?それならお任せします」
「はい。それじゃ行ってきますね」
茜は元気よく音楽室から出て行った。
「ふぅむ…」
茜がそこまで考えていてくれたとは思わなかった。
確かに今まで強引な所もあったけど、ちゃんと配慮してくれた上での事だったんだ。
部活後私を待たせていた間、茜は毎回人が残っていないかどうか調べていたのかもしれない。
私がこうなったのも茜の計画に乗せられたからなのだろうが、今は怒りの感情はなかった。
さっきも私の意志を確かめてくれた。
あの様子では、私が嫌だと言えば茜は本当に何もしてこなかっただろう。
そう思える優しさが彼女から感じられた。
芽生え始めている茜への新たな感情。
「散々酷い事されたのになぁ」
そんな自分が可笑しかった。
しかし、本当に良かったのだろうか。
全裸で校内を歩くなんて、どうも現実感が湧かない。
茜は本気らしいが、やはり実行するのだろうか。
さっきは成り行きで受け入れてしまったけど、冷静に考えてみるととんでもない事だった。
もし見つかったら、もう学校には来れなくなるだろう。
それでも、裸で歩く姿を想像すると興奮してしまうのだった。

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