ポニーガールとご主人様 最終章(2)夜のお散歩。サークル棟にて

新田の部屋で調教を受けてから、3日後。
私は今、新田とともにサークル棟にいた。
時刻は午後9時過ぎ。
馬術部員はおろか、サークル棟にひと気はほとんどなかった。

「あの子が来る前に、早めに着替えちゃったほうがいいですよ」
私のとなりには、新田。
「う、うん…」
「もし来ちゃっても、私が時間を稼いでおくので、慌てなくてもいいですからね」
「あ、ありがと…」

震える手で、服を脱いでいく。
新田の、ニヤリとした視線。
私の緊張を見透かされているようで、必死に、手の震えを隠す。

黒い、ワンピースタイプの水着。
ポニーの時と比べると、露出度は抑えめだった。
ただ、その一方で…
いつもとは違う、全頭マスク。

ドッグマスクというらしいそれは、その言葉通り、犬を模したマスクだった。
黒いレザーでできたそれは、鼻先が尖り、耳は丸みを帯びている。

手に取り、眺める。
これを、被るのか。

ゆっくりと、マスクに頭を入れていく。
ヒトとしての自分が、上書きされていくような感覚。
まるで、本当に犬になってしまうような…
馬のコスプレをしている時とは、また違った屈辱があった。

「あれ、結構似合ってるじゃないですか。ほら、鏡で見てみてくださいよ」
鏡面に映る、己の姿。

わずかに開いた穴からは、不安げな目が覗いていた。
あまりにも情けなく、ミジメで…
これが自分だと思いたくなかった。
目を背けようとするが、鏡に映った女は、私と全く同じ動きをするのだった。

「はい、じゃあコレ付けてあげるから、こっちに来てください」

首輪。
つい先日、新田からもらったもの。

新田に、ご主人様に、首を差し出す。
「いい子ですね、藤崎センパイ」
揶揄う新田の言葉に、ゾクゾクしてしまう。

ひんやりとした感触。
野性的な革の臭い。
先日の調教が、鮮やかによみがえる。

「やっぱり似合ってる。オマエにぴったりの首輪だよ。よかったね、舞」
「は、はい…」
首輪を付けた瞬間から。
先輩後輩ではなく。
ご主人様と、飼い犬になる。

「学生証、付けようね」
コクンと、頷く。
バッグから取り出した学生証を、ネームホルダーに差し込む。

いつもはストラップを首から下げるのだが、今回は違った。
ホルダーに付いた小さな金具で、首輪に取り付けるのだ。
だが、視界の悪さに加え、慣れていないのと、手の震えとで、なかなかうまく取りつけられない。
新田が優しく微笑む。
「いいよ、私が付けたげる。貸して」
ホルダーを渡す。

「楽しい時間にしようね、舞」
首輪にホルダーを取り付け終わった新田。
優しく私を抱きしめてくれた。

一瞬、緊張が和らいだのも束の間。

ドアをノックする音。
来た!
心臓が跳びはねる。

私を見てニヤッと笑う新田。
そのままドアまで歩き、鍵を開けた。

ドアから顔を覗かせたのは…

「風香ちゃん、待ってたよ」
「ごめん!ちょっと遅くなっちゃった」
そう言いながら、部室へと入ってくる鳥越。
そして…

「あーっ!」
私に気付いた。
あの表情だ。
目を細め、品定めするかのような、冷たい笑み。

「こんばんは、ワンちゃん。レースの時以来だから、10日ぶりだね。それとも…ついさっきぶり、なのかな?」
意味深な言い方をする鳥越。
暗に、私の正体に気付いているのだと、仄めかしているのか。
「ふふっ。どうだろうね」
新田が、私の代わりに応えた。

「しっかし、ポニーになったと思ったら、今度はワンちゃんなんてね」
しゃがみ込み、私と同じ目線になる鳥越。
じっと見つめられ…私は耐えられず、目を伏せた。

「それじゃ、そろそろ出発しようか」
「そうだね。ワンちゃん、心の準備はできてるかな?」
鳥越の、からかうような口調。

新田にリードを引かれながら、ドアの前まで歩く。
4つ足の愛玩動物として。
「風香ちゃん、撮影お願いね」
「もう撮ってるよー」
スマホを向けられているのは、目の端で捉えていた。
新田がドアに手を掛ける。

未知の領域。
ひと気はない。
しかし、まだ誰か残っている可能性はじゅうぶんにあった。
もし、誰かに見つかりでもしたら、終わる。

見つかった先のことはイメージできない。
というより、あえて考えないようにしていた。
具体的な映像が頭に浮かぶたび、無意識にうち消していたのだ。

新田が、通路に出る。
続いて、私も後に続く。

サークル棟は、本館から少しだけ離れた裏手にある。
日中は、講義後の学生で賑わっている場所だった。

コンクリートの壁で囲われた通路へと、這い出る。
日中の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

普段、ヒトとして、当たり前に過ごしている場所。
これから、そんな場所で両手を床につけながら、這いまわるのだ。
1年生のふたりに見下ろされながら。
ヒトとしての記憶。
犬としての視点。

弓道部、剣道部、ラクロス部の部室を通り過ぎる。
友人や顔見知りが、脳裏に浮かんでは消えていく。
その度に、胸が甘く締め付けられる。

もし誰かに見つかってしまったら。
考えるたび、襲ってくる不安と。
いいようのない昂り。
こんな状況に興奮しているのだ。

数か月前の自分が今の私を見たら、どう思うだろう。
堕ちたのだ。
改めてそう思う。
このまま、どこまでも堕ちていきたいとすら思った。

薄暗い通路をゆっくりと歩く新田。
周囲をうかがいながら、後に続く。
新田につけてもらった首輪。
それにぶら下げられた学生証が、歩くたび揺れる。

私を見下ろす2人よりも学年が上であることを示す、身分証。
マスキングされていて、何が書かれているかは、分からないようになってはいるが…
先輩であることを知られないことが、かえって私の尊厳を守っていた。

不安そうにしつつも、この状況に昂っている姿。
後ろを歩く鳥越には、おそらく丸わかりなのだろう。
しかも、スマホで撮られていた。
言われずとも、後で新田に編集させられることは分かっていた。

『ここにホクロがある人、私、知ってるんだよねぇ』

あの日、鳥越に耳元で、そう囁かれたのだ。
自分でも知らなかった位置にある、ホクロ。
まさかと思い、あの日、鏡に映してみた。
本当に、存在していたのだ。
鳥越は、知っていたのか。
それとも、カマをかけたのか。

鳥越の位置から、見えているだろうか。
私の首元。
髪が、あるいは首輪が隠してくれていることを願う。
意味のないことと知りつつ。
だって、すでに知られているのだ。
私のホクロの存在。
でも、そう思いつつも、どうしてもその視線が気になってしまう。

通路の突き当りまでやってきた。
やや広い作りになっているそこには、談笑用の丸テーブルがいくつか置かれていた。
ここも、普段は学生たちがたむろしている。
私も、そのうちのひとりだった。

「ここが、折り返し地点ね。ちょうどいいし、一休みしていこうか」
新田が告げる。

一刻も早く部室へ戻りたい私のことなど、一顧だにせず。
いや、分かっているからこそ、敢えてそうしているのか。

丸テーブルを囲うように置かれた椅子。
新田と鳥越が座った。
私は…
「アンタは、待てのポーズ、してな」
新田。

通称、待機のポーズ。
中腰になり、両手…いや、前足を胸元で揃えて立つ。
そのまま、ご主人様がいいと言うまでその姿勢でいるのだ。

スペースの端に置かれた自動販売機。
淡い光と、ブーンという小さな音を放っている。

「よかったね、風香ちゃんと一緒にお散歩できて」
新田がイジワルな笑みを浮かべている。

「風香ちゃんとお散歩するの、楽しみにしてたもんね」
「そうなんだぁ。私も嬉しいよ、ワンちゃん?」
鳥越の猫なで声が、私の自尊心を刺した。

「さてと、そろそろ出発しよっか」
新田が立ち上がる。

「風香ちゃん、はい」
立ち上がった鳥越に、リードを渡す新田。

「次は、風香ちゃんの番ね」
「ありがと」
リードが、私の所有権が、鳥越の手に渡る。
目を細めた鳥越。
私を見下ろしていた。

心臓が跳ねる。
鳥越のペットになったのだ。
そう思うと、全身が震えた。
照れなのか、羞恥心なのかは分からない。
体の奥からこみ上げる、感情。

ドキドキが止まらない。
まともにその顔が見れなかった。
「ほら、行くよ、ワンちゃん」
その言葉。
くすぐったさを感じながら、私はうなずいた。
全身が熱い。

鳥越の『ワンちゃん』という声が、リフレインする。
その度に、下腹部が疼いた。

「あれ?なんか私の時より嬉しそうなんだけど?」
目ざとい新田。

「やっぱり、私よりも風香ちゃんのほうがいいんだ」
冗談ぽく非難するような口調で揶揄ってくる。

「そうなんだぁ。嬉しいよ、ワンちゃん」
鳥越。
目を細めて笑う表情に、私は耳まで熱くなってしまう。

先ほどとは別の経路を通って戻る。
と言っても、通路はぐるっと繋がっており、いずれにしても馬術部の部室には戻ってこれるようになっていた。

バスケットボール部、ダンス部、水泳部の部室。
通り過ぎていく。

テニス部の部室まで来た時だった。
部屋から漏れる、わずかな光。
中からは、誰かの話し声が聞こえる。

人がいるのだ。
さっきまで私を支配していた倒錯的な感情。
瞬時に、焦りへと変わった。
鳥越と新田も気付いたのか、真剣な表情をしていた。

立ち止まる。

このまま進むのか、あるいは引き返すか。

テニス部にも数人、知り合いはいた。
今、中にいるのがそうではなかったとしても、もし見られたら、知れ渡るのはあっという間だろう。

鳥越が、人差し指を口に当てた。
そして、ゆっくりと、歩き始めた。

なるべく足音を立てず、ゆっくりと。
こんな姿を見られたら、終わる…
ヒトとして、大学生として、女として。

脳裏をよぎる、嘲笑。
憐れみ、蔑み、あるいは好奇心に満ちた視線。
人生が台無しになった瞬間を、ありありと想像する。
想像してしまう。

血の気が引くような、恐怖と。
奥歯がガタガタ震えるほどの、身を焦がすような恥辱。

『裸を見られて、コーフンしてるだろ』

新田に言われた言葉。
なぜ、今。
こんな姿、見られて興奮するわけない。

『信じられない?じゃあ、今度確かめてみようよ』

部室から聞こえる声。
気のせいか、大きくなっていく。

いや、気のせいではない。
足音。

近づいてくる。

どこか!どこかに隠れなきゃ!
必死に、周囲を見渡す。

立ち上がろうとするが、足が震えて力が入らない。

と。
肩を叩かれた。
新田。
3mほど先にあるゴミ箱を指差していた。

「行くよ?」

新田に手を引かれながら、ドタバタとゴミ箱へ這い寄っていく。

恥も外聞もなかった。

身を隠すのとほぼ同時に。

ガチャ…
ドアの音。

「あれぇ?鳥越じゃん」

聞き覚えのある声。
新田が私から離れ、部室前へと戻っていく。

「それに、新田も」

「大友先輩、岩本先輩、こんばんは」
「こんばんは」

新田と鳥越が、挨拶する。
どちらも2年生で、私の同期だった。

肌に触れる、コンクリートの冷たい感触。
私はゆっくりと、リードを手繰り寄せていく。

「どうしたの、こんな夜に」
「部室でおしゃべりしてたら、すっかり遅くなっちゃって…」

「そうなんだ。全く、気を付けなよ?なんて、私たちも似たようなものなんだけどね」
アハハ、と笑う大友。

ようやく、リードを全て手繰り寄せた。
丸めて、お腹で抱えるようにして隠す。

「もうすっかり遅いし、途中まで一緒に帰る?」
岩本。

「それが、部室に忘れ物しちゃって…取りに戻らないと」
鳥越が答える。

「そっか。じゃあ、私たちはもう帰るけど、ふたりも気を付けて帰りな」
「はい。ありがとうございます。先輩たちも、お気をつけて」

足音。

近づいてくる。

頭が真っ白になる。

体をギュっと丸めながら、息を殺す。

イヤだ!バレたくない!

お願いだから!

必死に祈る。
そして…

大友と岩本が、私の傍を通り過ぎる。

ヒトの、濃厚な気配。

スニーカーのゴムが軋む音。

振り向くな…

振り向くな…

祈りが通じたのか。
そのまま、二人の足音は遠ざかっていった。

音が聞こえなくなってから、数秒後。
ふぅ、っと。
私は、大きく息をついた。

足音。
新田と鳥越がやってきた。

「いやぁ、びっくりしたね」
鳥越。

「まさか、あのタイミングで出てくるとは思わなくて…ごめんね、怖い思いさせちゃったね」
よしよし、と。
私の頭を撫でる。

「どうする?このままここで、少し気持ちを落ち着ける?」
新田の言葉に、私は頷いた。

いつまでもここには居たくなかったが、まだ心臓がドキドキしていたのだ。
深呼吸をして、気持ちを整えようとする。

しかし…

もし、大友や岩本に見つかっていたら、どうなっていたか。
想像してしまう。

どんな目で、私を見ただろうか。
どんな言葉で、私を詰っただろうか。

『コイツ、マゾなんです』
新田。

『普段は先輩面してるのに、ホントはこんな恰好して、私たちに飼われたがってるんです。ほら、見てください』
鳥越。

大友、岩本が、私の顔を覗き込む。
『へぇ…』
対等な、同期としてではなく。
好奇心と蔑みが交錯した、冷酷な笑みを浮かべていた。

『ちっとも、知らなかったわ。アンタ、後輩に飼われてたんだ』
大友の憐れみにも似た声。

『今度、テニス部にも貸してよ。ウチの後輩たちの前で芸をさせてあげる』
『いっぱい、可愛がってあげるからね、舞ちゃん』
岩本の、ゾッとするような声。

屈辱、恥辱。
テニス部の1年生の前で、自己紹介させられる。
2年生の、藤崎舞ではなく。
ペットとして、マゾとしての、私を。

そんな状況を想像し、私の下腹部は切なく疼くのだった。

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