ポニーガールとご主人様 第三章(6)両雄並び立たず

一瞬の静寂。
そして…
アラーム音が鳴り響いた。
三井が這い進む。
彼女が馬になった姿を見るのは、これが初めてではない。
しかし…
私たちは、呑まれていた。

第一に、その速さに。
これまでと比べて、明らかにペースが速かったのだ。
会場が変わったからそう見える、という訳でもなさそうだった。
もし、このまま最後まで同じペースでいられたら…
不安に襲われる。

そして第二に、騎手の存在感。
左手に持った鞭で三井の尻を叩く藤崎。
鞭だけでなく、言葉でも追い立てる。
室内に響く、鞭の音、藤崎の罵声。
まるで、このレースですら調教の一環なのではないか。
そんな気すらしてくる。
あっという間に2周目へ突入した。

ペース配分を間違えているのでは。
じきに、ペースは落ちていくはず。
そんな淡い期待もむなしく。
一向にスピードは変わらない。

私たちは、理解した。
この1ヶ月、藤崎はただ調教をしていた訳ではなかった。
このレースに備えて、きちんと準備をしていたのだ。

かつての先輩をペットとして調教する藤崎。
それだけではなく、競走馬としても、鍛えていたのだ。
せめてもの救いは、私たちが後攻だったことだ。
油断していたわけではないが、もし先攻だったら確実に負けていたと思う。

そのまま、3周目、4周目へと入っていく。
藤崎の責めは、一向に弱まらない。
しかし、疲れてきたのか、三井の息があがり始めたように見える。

ラスト、5周目。
藤崎の複線がこちらへ向いた。
そして…
新田と目が合う。
藤崎が口もとに笑みを浮かべた。
時間にしてほんの数秒。
しかし確かに笑った。

ただ、それは決して友好的なものではない。
むしろ、ま逆。
宣戦布告。

覚悟しろ。
お前を這いつくばらせて、全てを奪い取ってやる。

実際のところは分からない。
でも、私にはそう受け取れた。
ニコリともせず、藤崎を見つめる新田。
何を考えているのか、その表情からは読みとれない。

そして、藤崎チームがゴールした。
スクリーンに表示されたタイムは…2分21秒。
前回の私たちのタイムより、2秒速い。

藤崎が、三井から降りる。
さすがに疲れたのか、三井の呼吸は荒かった。

「2分21秒かぁ。まあ、こんなもんか」
スクリーンを見ながらつぶやく、藤崎。
「アッキーも、お疲れ様」
「はっ…はいっ…」
藤崎に頭を撫でられている三井。
四つん這いのまま、息を整えている。
そのお尻は、左側だけ赤い跡がいくつも浮かんでいた。

しかし、2分21秒か。
回を追うごとに、タイムは短くなってきている。
レース開始当初ならともかく、2秒削るのは容易ではなかった。

本当に、勝てるのか。
先ほどの、藤崎チームの走り。
三井の好走。
そして藤崎の容赦のない追い込み。
耳から離れない。

と。

「中谷センパイ、ちょっと…」

声のした方を見る。
新田。
指で、こっちに来いというジェスチャーをする。
ゆっくりと、新田に顔を寄せる。
「もしかして、雰囲気に吞まれてるんですか?」
耳元で、新田がささやく。

「あれは藤崎先輩のパフォーマンスですよ。大きな声を出して、鞭で何度も叩いて…」
「で、でも…」
「大丈夫、落ち着いて。冷静になって考えてみてください。例えば…多目的練習室の床と比べて、ここは少し柔らかいでしょ?」
「そ、そうだけど…」

言われてみれば、多目的練習室はリノリウムの床なのに対して、この部屋は絨毯が敷かれていた。
「ひざに掛かる負担が少ないから、痛みも少ない。その分、ペースも落ちにくいんですよ」
「う、うん…」
「それとね、もう一つ。コースづくりの時に、歩幅で測ってみたんだけど。今までのコースより、ほんの少し距離が短い」
「えっ」
「ほんの少しだけどね」
全く気付かなかった。

「タイムだけ見れば2秒速くなってるけど、条件を考えれば前回とそう変わらない。だから、練習の時のペースを守れれば、必ず勝てるから」
顔を離す。
気持ちがフッと軽くなった。
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして。負けたら承知しないから」
新田が口元で笑った。

「なーにコソコソ話してるのかな?」
藤崎の声。
「次は君たちの番だよ」
笑みを浮かべた藤崎が、仁王立ちでこちらを見ていた。

畑川に手綱を引かれながらスタート地点へと進む。
逆に、コース側からは藤崎と三井がこちらへ戻ってくる。
呼吸を整えながら、藤崎に手綱を引かれる三井。
お互いの距離が2mほどになった時。
三井と目が合った。
お互いの、滑稽な姿。
馬のコスプレをして、後輩に手綱を引かれながら這う姿。

自信なさげだった三井の顔に、笑みが浮かんだ。
好戦的な目。
『どう?アンタじゃこのタイムは超えられないでしょ』
とでも言っているような。
一瞬、頭がカッと熱くなる。
でも、すぐに冷静になった。

馬上で競いあっていたふたりが、今は馬として競いあっている。
それも、お互い指導担当だった後輩を乗せて、である。
後輩のペットに堕ちてなお、私に勝とうとしている。
騎手としてではなく、馬として。
それがなんだか、彼女が今の立場を受け入れた証のような気がして。
何となく、さみしく感じてしまったのだ。

スタート地点。
これまでのレースとは違う景色。
でも、やるべきことは変わらない。
そう自分に言いきかせる。
それでも、もしこの勝負に負けてしまったら…

想像してしまう。
藤崎に、マスクをはぎ取られる所を。
高倉や溝口の前で、馬として現れる所を。
そして…
先ほどの、藤崎の目。
新田に取って替わろうとしている。
確証はない。
でも…
新田を、ご主人様を、危ない目にあわせる訳にはいかない。

背中に重みが加わる。
畑川。
勝ちましょうね、絶対。
耳もとで、囁かれる。

このレースに備えてきたのは、藤崎や三井だけではない。
私たちもそうだった。
勝つ。
勝って、藤崎をひれ伏せさせる。
ご主人様の前で。

スタートの合図。
飛び出す。
焦る気持ちを抑え、ペースを維持する。
景色が流れていく。
場所が変わっただけで、やることはこれまでと同じ。
だから、必要なこと以外は考えなくていい。

ベルトパーテーションで作られたトラックを周る。
まずは一周。
「27秒53」
畑川の声。
「このペースを維持して」
心の中でうなずく。
‎ペース配分は、畑川に委ねている。
私はただ、手を、足を動かすことに集中する。

先ほどの、藤崎と三井。
三井を叱咤する藤崎の声。
鞭の音。
後輩に調教され、堕ちていった、かつてのライバルの姿。
いや、今でもそうか。
新田によって埋め込まれ、藤崎によって芽吹いた被虐の種。
誇り高き騎手ではなく、馬として、私に立ちはだかる三井。
好戦的な目。
後輩のペットに成り下がり、マゾ女としての己を受け入れた今でも。
私への対抗意識は、消えていなかった。

そして、藤崎。
『正体、気付いていますよ?』
蔑みと、挑発。
『サークルのツートップであるふたりを、私が飼ってあげます』
『三井センパイと一緒にお散歩させてあげますね。それとも、競わせあげましょうか?ペットとしての優劣を、競わせてあげます』
あのナマイキな後輩を、ひれ伏せさせる。

ソファに座る藤崎。
その足もとで正座をする三井と私。
どちらも、同じ格好をしていた。
犬のコスプレと、黒のビキニ。
期待を込めた目で、藤崎を見つめる2匹の犬。
ご主人様の言いつけ通り、じっと待ち続ける。

藤崎の両足が突き出された。
右足を三井が左足を私が。
両手で、捧げ持つ。

『まだ待て、だよ』
焦らされる。

『ふたりとも、すっごい顔してるよ?撮ってあげよっか』
イジワルなご主人様。
そして…

『はい、いいよ』
許可が下りる。
言い終わらないうちに、三井も私も、『ソレ』に顔を押しつける。

同性の、年下の女の子のくつ下。
それも、部活後の汚れたやつだ。
汗でムレたニオイ。
屈辱と、背徳感。
悔しさと情けなさによって刺激された、マゾとしての性が。
脳を誤作動させる。

すえたニオイを放つ、後輩のくつ下。
鼻腔を抜けて直接脳へ作用する、ニオイによって。
顔に押しつけた瞬感にわき上がる、強力な感情。
覚え込まされていく。
誤った情報が、脳に刻まれていく。
堕ちていく感覚。

ダメなのに…
思えば思うほど、意識してしまう。
刷り込まれてしまう。

『どう、いいニオイでしょ?好きだもんね。ふたりとも』
違う。
好きじゃない。
こんなニオイ、好きなわけないじゃない。
そう思っても。
夢中で堪能してしまう。

一度、ニオイを嗅がされてから。
思い出すたび、体が反応する。
求める。
あのニオイを。
あの屈辱を。
どんなに否定しても、嫌悪しても、気付くと心待ちにしている自分がいた。

そして二度目の時。
やはり、吐き気を催すほどのニオイ。
それなのに…
どうしようもなく昂る。
満たされていく。
待ちに待ったご馳走をむさぼるように、鼻を鳴らす。
藤崎の笑い声。
バカにされているのに、止められない。

悔しい。
悔しい。
悔しい。
敗北感。
嬉しい。
ずっと嗅いでいたい。
大好き。
自分の全てを捧げたい。
ご主人様の一番になりたい。

『次からは、競争させるね。勝った方にはゴホウビあげる。負けた方はオアズケ。分かった、可愛いワンちゃんたち?』
返事をする代わりに、思いきり吸い込む。

ゴホウビ。
欲しい。
負けたくない。
三井なんかには、負けない。
湧き上がる、忠誠心。
独占欲。
対抗心。
鼻を鳴らしながら、三井を見る。
目が合う。
アンタなんかに、ゼッタイ負けない。
睨み合う。

『ふふっ。ふたりともチョロいねー。くつ下のニオイを嗅ぎたくて、そんなに必死になっちゃって。さーてと、こいつらにどんなことさせよっかなー』

「集中!」
畑川の声。
同時に、パシッ!という、乾いた音。
お尻に広がる、じんわりとした痛み。
現実に引き戻された。

また、私は妄想の世界へと入っていた。
畑川は、そのことに気付いたのだ。
2周目、3周目を終え、4周目へ突入する。
その度に、ラップタイムを告げる畑川。
それが速いのか遅いのか。
頭が追いつかない。

「大丈夫。今のペースを保って。そうすれば勝てるから」
勝てるのか。
あのふたりに。
でも、三井はもっと速くなかったか。
それに、体力はもつだろうか。
息があがり始めている。
四肢に、乳酸がたまり始めている。
次々と思念が湧いてくる。

「大丈夫。信じて」
負けない。
少なくとも、気持ちでは、三井に負けるわけにはいかない。
新田に、私たちのご主人様に、恥をかかせるわけにはいかない。
そして、藤崎というあの不遜な女に思い知らせなければならない。
自分が、どんな存在に立てつこうとしていたのかを。

「ラスト1周!」
脚裏に、様々な影像が浮かんでは消えていく。
それをただ眺めるように感じ続ける。

藤崎。
憧れの先輩だった三井を服従させ、完全に立場を入れ替えてしまった女。
新参者であるにも関わらず、今、私や畑川をも屈服させようとしている。
そしていずれは…

鞭を持ち、酷薄な笑みを浮かべる藤崎。
彼女が座っているのは、四つんばいになった三井の背中。
かつて敬愛していた先輩を、今は当然のように椅子として扱っている。
そのすぐ脇には、正座をした私と畑川。
藤崎が足を組む。
彼女の目の前には、ひとりの少女が立っていた。

怒りと屈辱で顔を真っ赤にした新田。
私たちの新田への畏怖や敬愛が、失望と軽蔑とに変わるように。
女王としての矜持を踏みにじり、歯向かう気など起こさせないように。
藤崎が命じる。
悔しさで、こぶしをブルブル震える新田。

ゆっくりと、身を屈める。
ひざをつく。
両手を床につけ…
藤崎の突き出した足へと。
顔を寄せていく。
新田の口から出た、赤い小さな舌が。
ついに、触れた。

かつて絶対的な権威を誇っていた女王の失墜。
そして、新たな女王の誕生。
藤崎の高笑い。
新田の、涙。

情景が歪んでいく。

次に現れたのは、勝ち誇った笑みを浮かべる新田。
対照的に、藤崎は何とも情けない表情をしていた。
乗馬服を着た新田と、馬のコスプレ姿をした藤崎。
神経質そうに周囲を窺いながら、四つんばいになる藤崎。
新田が、藤崎に跨る。
馬として、コースを周る藤崎。

新田が、手に持った鞭で馬の尻を叩く。
よほど悔しいのか、顔を真っ赤にする藤崎。
しかし反抗もできず、新田に従順な馬として振舞い続ける。
次第に、藤崎の胸に不安がよぎる。
こんな姿、もし誰かに見られたら…
藤崎の視線が、頼りなげに泳ぐ。
その瞬間、ふいにドアが開いた。

入ってきたのは、ふたりの女の子。
藤崎もよく知る、サークルの1年生。
ふたりが藤崎のほうへ歩み寄ってくる。
慌てて顔をそらす藤崎。
そんな彼女の髪を掴み、顔を上に向ける新田。
クスクスと笑う、1年生。
真っ赤な顔を指摘され、さらに顔を赤くする藤崎。

1年生たちを叱りつけながら、何とか言い訳を考える藤崎。
そんな必死な姿を、後輩たちがあざ笑う。
かつては先輩である三井すら服従させ、新田にとって代わろうとすらしていた藤崎。
そんな、分不相応な野望を持った彼女の末路。

1年生が、スマホを取り出す。
自身に向けられたスマホ。

ピロンッ。
ピロンッ。
写真を撮られる音。
グループチャットへ投稿しようとする1年生と、必死に止める2年生。

いつの間にか、ひとりは藤崎に跨り、もうひとりは彼女の手綱を引いていた。
屈辱に耐える藤崎だったが、グループチャットに晒されるよりはマシだった。

彼女たちに揶揄われながら、馬として振舞う藤崎。
早く終われ、早く終われ…
それだけを念じつつ。

ふと、違和感を感じる藤崎。
1年生ふたりの、意味ありげな笑み。
イヤな予感がする。
ドアのほうを見る。
そこにいたのは…

可笑しそうに笑っている、ほかの1年生たち。

ようやく、藤崎は理解する。
新田の罠に嵌められたのだということを。
そして今後、自分が彼女たちからどのように扱われるのかを。

脳裏に浮かんだ、2つの情景。
新田と藤崎の関係性は、真逆だった。
両雄並び立たず、という言葉があるが、彼女たちもそうなのだろうか。

最終コーナーを回り、残すは最後の直線のみ。
黒いビニールテープ。
見えた。
あれを過ぎれば、終わる。

藤崎チームより早いのか。
まだ間に合うのか。
ただ、手を、足を動かし続ける。
スパートできるほどの力は残っていない。

気を抜けば倒れてしまいそうになる体を、何とか維持するので精一杯だった。
叫び声。
聞いたことのある声。
誰なのか。
思い出せない。
今はどうでもよかった。
ただゴールする。

スローモーションのように、近づいてくる。
黒いビニールテープ。
そして…
私の身体が、その上を通過した。

再びの叫び声。

結果は?
結果は、どうだった?

そうだ。
スクリーン。
そこにタイムが、私たちの未来が映し出されているのだ。
見上げる。
そこに映し出されていたのは…

コメント

  1. 匿名 より:

    藤崎様…これは…(T ^ T)

    • slowdy より:

      >匿名さん
      コメントありがとうございます!
      勝負は非情です😢
      レースの結果を、そして藤崎の行く末を、どうか見届けてあげてくださいm(_ _)m