ポニーガールとご主人様 第三章(10)よだれを垂らす犬

ある日突然、新田に呼び出された。
不審に思いつつも行ってみた先で繰り広げられた、倒錯的なレース。

全頭マスクを被った、二頭の馬。
レースに負けた馬が、脱出を図る。
取り押さえられ、必死に抵抗する。
マスクを掴み、引き上げる。
現れたのは、思いもよらない人物だった。

自分は、憧れの人に対してとんでもないことをしてしまった。
罪悪感。
恐怖。
自己嫌悪。
しかし…
あの高貴で誇り高い三井先輩が。
マゾだったことを知る。
あの、三井先輩が…

その瞬間。
自分の中で抑え込んでいたものが、一気に噴き出した。

この女を、自分のモノにする。

もう、自分を止めることはできなかった。

突然訪れた、まるで夢のような日々。
あの三井先輩が、自分に跪いている。

三井先輩を自分だけのものにできる、という悦び。
独占欲。
あの女のように、私も三井先輩を…

まずは、何をさせようか。

すぐに浮かんだのは、例の映像。

あの女性のように、三井先輩のブザマな姿を撮りたい。

もしかしたら。
高校生の時に出会った、あの映像を観てから。
自分の中に、そんな願望が芽生えていたのかもしれない。

夜な夜な、独り妄想していたことを。
一つひとつ、実行していく。

憧れの先輩に、とんでもないことをしている。
でも、もはやどうでもよかった。
彼女への愛は、歪んでしまっていたのだ。
汚してしまっていたのだ。
私の、私自身の手で。

三井先輩を取り巻く女たち。
自分も、そのひとりだった。
でも、今は違う。
優越感。
自分しか知らない、三井先輩の顔、声。

すました顔をしている、この先輩が、昨日、どんな情けない姿を晒していたか。
この子たちは知らない。
私だけが、知っている。
ニヤケそうになるのを必死にこらえながら。
今日は、どんなことをさせようか。
考える。
それだけで、昂ってしまう。

しかし…
チラつくのは、もうひとりの女の影。
新田。

2学年も上の三井先輩を、馬扱いしていた。
何者なのか。
それに…
『あっちの馬なら、貸してあげてもいいかな』
2頭のうちの1頭である三井先輩。
私は、彼女から借りているに過ぎない。

嫉妬。
憎悪。
必死に押さえつける。

レースに勝てば、レンタル期間が延びる。
負けられない。
ゼッタイに、負けられない。

対戦相手は、同期である畑川と、もう1頭の馬。
確信はないが、馬が誰であるか、なんとなく検討はついていた。

しかし…
ナマイキにも、新田はレースに参加しないという。
私たちが必死に勝負している姿を、偉そうに見物しているというのだ。

許せない。
勝って、三井先輩を引き続き調教する。
新田ではなく、私のほうを振り向かせるために。
私のことしか考えられないように。
そして、引きずり出す。
新田を。
レースの場に。

屈辱的な条件を掛けたレース。
そこで、新田を打ち負かす。
完膚なきまでに。
そうやって、跪かせる。
二度と、ナマイキなことができないように。
三井章乃は、私のモノだ。
誰にも渡さない。


ビシッ!

鞭の音。

現実に、引き戻された。

四つんばいの姿勢で這い進む、自分。
畑川を背に乗せて、新田に手綱を引かれながら歩く。
情けない、滑稽な姿。

スマホ。

撮られている。
私が。
撮る側ではなく。

新田に抱いていた敵愾心。
今ではすっかり消え失せていた。
あるのは後悔。

「ごめんなさいぃ…」

思いあがってしまった。
敵うはずのない相手に、喧嘩を売ってしまった。
その報いを今、受けている。
そしてこれからも。
愚かな自分は、一生をかけて償っていくしかないのだ。

「ふふっ、なっさけない声。でも、なんかカワイイねぇ。すっかりお馬さんが板についてきたじゃん。それじゃ、このままもう一周させてあげる」
「えっ?」
「なんで?イヤなの?」
「そ、そんな、だって…」
「藤崎センパイのことを思って、言ってるんだけど?」
「わ、私の…なんで…」
「まったく。ちゃんと、言葉にしないと分かんないかな?」
「え、と…その…」

イヤな予感がした。
「や、やめ…」

「コーフンしてんだろ、おまえ」
高校生の時に聞いた、男の声。
大学生になって聞いた、あの映像の女の声。
重なった。
新田の声であって、新田の声ではなかった。

ゾクゾクッとした。

「やっ、やぁ…」

頭が、チカチカする。

「気づいてないとでも思った?バレバレだかんね」

「い、言わないで…」

あの時。
ぞんざいに扱われ、乱暴な言葉を投げかけられていた、女性の気持ち。

ようやく、分かった。
彼女たちが、どんな気持ちで言葉を受け止めていたのか。
私が、どちら側だったのか。

何かが、近づいてくる。

「四つんばいになって、背中に同期を乗せて、後輩に手綱を引かれてさ。スマホで撮られてんだよ?分かってる?」

「だ、だめ、だめだって…」

そんな、そんな言葉で…
予兆。

繰り返し、繰り返し観た映像。
興奮と嫉妬、敗北感に包まれながら、何度も何度も達した。
そうやって、気付かないうちに、回路ができていたのだ。
脳の中に。
マゾとしての回路が。

「そんな、トロンとした目してさ。鞭で叩かれるたび、エロい声で鳴きやがって」

新田らしからぬ、下品な言葉遣い。
ただ、不思議と下卑た感じには聞こえなかった。

「ハァハァ、ハァハァ、モノ欲しそうにしちゃって。サカッてんの?発情期の犬?」

「や、だめ…ダメだって、ばぁ…」

犬。
パブロフの犬。
古典的条件付け。
心理学の講義で聞いた言葉を、なんとなく思い出す。

私は、パブロフの犬か。
ただし、鈴の音ではなく。
屈辱的な言葉。
向けられたスマホ。
それが、私がよだれを垂らす条件。

「いいよ。お望み通り叩いてやるから。ほら、2周目、スタートな」

「い、く…」

もう、ダメ…

立ち止まる。
新田。
不思議そうな目で、こちらを見ている。
こみ上げてくる。
抗いようもないほどの、何か。

コイツの前で…?
それだけは、絶対イヤ…

「だっ、ダメ、ダメダメッ…みっ、見ないで…見るなぁっ…お願いだからっ…」

鞭ではなく。
言葉だけで。
それも、屈辱的な言葉だけで。

もう、自分ではどうにもできない。
経験上、それは分かっていた。
大きな波に飲まれながら、全身を震わせるしかない。
でも…

歯を食いしばる。

目を固く閉じる。

そして…

四つんばいの姿勢のまま。

全身を硬直させる。

ブルッ

ブルッ

全身を震わせる。

オーガズム。

夢であってほしい。
でも、現実だった。

強烈な快感が、脳を突き抜ける。
全身を駆け巡る。

『あーあ、イっちゃったねぇ』
女の声。
『言葉だけで?ウソでしょ?』
男の声。

敗北感。

イっちゃった…
言葉、だけで…
イっちゃった…

部屋に響き渡るほどの笑い声。

自分が、彼女の前で晒した醜態。
一番見られたくない相手に、一番見られたくない姿を見られてしまった。
これ以上の惨めさなどないだろう。

一部始終を、スマホに記録されている。
誤魔化しようなどない。

後輩に馬として扱われる女。
鞭で叩かれて悦ぶ女。
屈辱的な言葉を投げかけられて、達してしまった女。

「ちょっとちょっと、藤崎センパイ、どうしちゃったんですかぁ?」

決定打。
もう、本当に逆らえない。

「ブルブルって震えてましたけどぉ?」

屈辱など、とうに消え失せていた。
あるのは、身を焦がすほどの敗北感と羞恥心。

「まさか…イッちゃったわけじゃないですよね?」

言われるがまま。

「ほら、ご主人様が聞いてるんですよ?顔を上げて、答えてください、センパイ?」

見られたくない。
こんな、顔。
でも…

「プッ、アハ、アハハ!どうしたんです、お顔、真っ赤ですよ?」
「う、うん…」
「はい、でしょ」
「は、はい…」
「ほら、私の目を見て。答えてください、早く」

「い、イッちゃいました…」
「なに?聞こえないんだけど?」
「いっ、イッちゃいましたぁ!」
「イッたの?どうして?触られてもいないのに?」
「そ…その…」
「言いなよ、ほら」
「むっ、鞭で、た、叩かれて…それ、それで…」

呂律が回らない。
『アハハ!何言ってるか、分かんないってば』
誰かの声。

「それで?」
「ひ、ひど、ひどい言葉、言われて、そ、それで、こ、興奮しちゃって…」

「鞭で叩かれて、エッチな気持ちになっちゃったんだ?」

「は、はい…」

「ひどいこと言われて、コーフンして、イッちゃったんだ?」

「はいぃ…」

「スマホで撮られてるのに?」

「はいぃ…」

「ふぅん。やっぱマゾじゃん、お前」

敏感になった体に、再び電流が走る。

「だ、だめ…くぅっ…んっ…」

「おいおい、もしかしてまたイッてるの?しっかりしなよ、仮にもセンパイなんだからさぁ」

「ごっ、ごめ…な、うぅ、ん…」

「マゾのクセして、よく私と張り合おうって気になったねぇ。しかも、こんなドM。普通、なかなかいないよ?言葉だけでイッちゃうなんてさぁ。素質あるよ、お前。マゾの素質。自分で分かってんの?」

「う、うぅ…」

「それとも、私にイジメて欲しかったの?」

「ち、ちが…」

「さっきまでの態度と全然違うじゃん。あんな偉そうにしてたのにさ。あ、そうだ。アンタがご丁寧に作ってきた、三井センパイの映像。Before afterのやつね。また作ってきてよ。あれ、結構好きなんだよねぇ。でも、今度は三井センパイじゃなくて自分のやつな。ナマイキそうなアンタの横で、お馬さんのアンタがハイハイしてたり、『ごめんなさいぃ』って謝ってたり、『ダメダメ、見ないで~』って言いながら、マゾイキしてんの。それを自分で作るなんて、面白そうでしょ?」

「そ、そんな…」

「作ったら、持ってきなよ。観てやるから。それで面白かったら、またイジメてあげる。でも、もしつまんなかったら…1年生全員とお前とで、上映会な。映像を流しながら、みんなの前で自己紹介させてあげる。『これが、本当の私です、観てください』って」

「や、やぁ…」

「やぁ、じゃないんだよ。はい、決定な。ほら、早く進め、マゾ女」

鞭。
ビタビタと、ただ軽く触れるだけ。
それだけでこみ上げてくる何かを、必死で堪えながら。
進み始める。

私は、どこまで堕ちていくのだろう。
新田の言うように、本当に1年生たちに観られてしまうのか。
一生、新田の言いなりとして過ごすことになるのか。

新田に歯向かった報いか。
三井を弄んだ報いか。
そんな考えがよぎるが、すぐに消え去ってしまう。

いつ飛んでくるとも分からない鞭。
そして、自分が作らされることになった、自身の映像。

被虐的のスイッチ。

乱暴な言葉。
向けられたスマホ。
そこに、鞭が加わる。

それぞれが、私の中に深く根を張っていき…
お互いが、複雑に絡み合っていく。

鞭で打たれるたび。
いや、鞭を見ただけで思い出すことになるのかもしれない。
この日の屈辱を。

例の映像。
裸の女性が、女に弄ばれる映像。
次に、あれを観た時。
湧き上がるのは、どのような感情か。
思い浮かぶのは、誰の顔か。

三井先輩か。
それとも…

「ほら、集中しろってんだよ、駄馬が」

鞭の音。
反射的に謝る。

「何度も言わせんなよ?次、グズグズしたらもう一周させっかんな?」

顎の先から、何かが滴り落ちた。
涙か、鼻水か。
拭うこともできず、ただ這い進む。

ヒトとしての尊厳が、体から流れ出していく。
顎を、首を、体を、濡らしていく。

馬として生まれ変わった自分には、必要のないもの。
本当にそうなのか。
頭をよぎるが、無視する。
ただ、前を見て這い進む。

それが、今の私がすべきこと。
今の私にふさわしいこと。

「そうそう、いい子ね。やっぱカワイイわ、お前。ちゃんといい子にできたら、これからもいっぱい可愛がってやっかんな?」

新田の形をした、何か。
私を見ながら微笑む。

胸が、何かで満たされていく。
代わりに、何かが潰れていく。
何かは分からない。
どうでもよかった。

『ありがとうございます』
そう、言葉を発する代わりに。
私も、にっこりとほほ笑んだ。

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