恒例の、靴下を取って来させるゲーム。
ただ、今回は違う。
彼女たちは私の正体を知っている。
中谷紗枝と知った上で、私に靴下を取ってくるよう命じる後輩たち。
「ほら、3号!次は負けるなよ!」
「4号も。負けたらオシオキだからね」
正体を知っているのに、なおも先輩をそう呼ぶ。
暗黙の了解。
そう呼ぶ方が、彼女たちにとって楽しく、私たちにとって屈辱的だから。
ただ、それだけのこと。
なのに、なぜ。
いや、だからこそか。
私の体は、彼女たちの声に、こんなにも熱く反応してしまうのだ。
格下として扱われつつも、先輩としてのプライドは辛うじて保たれる。
それが、今の呼称だった。
本名で呼ばれていないから、セーフ。
彼女たちのペットに成り下がったのは、惨めで恥知らずな1号、3号、4号。
中谷紗枝でも、三井章乃でも、藤崎舞でもない。
だからこそ、部活中は彼女たちの先輩として振舞える。
そんな、言い訳にもならないような理屈。
彼女たちの、私たちへの配慮。
後輩としての、先輩への最低限のリスペクト。
そんな訳はない。
こんな情けない姿を晒してなお、先輩であろうとする我々を。
心の底からバカにしており、嘲笑っているのだ。
そのことに気付いていながら、気付かないフリをする。
屈辱に、身を浸すために。
ちっぽけなプライドを守るために。
1年生たちの笑い声を背に、私たちは競い合う。
馬術という、誇り高いスポーツではない。
後輩たちの汗が染み込んだ、靴下。
口に咥えるたび、何とも言えない味が口の中に広がり、鼻腔に抜ける。
靴下取りという、屈辱的な勝負。
騎手としてではなく、マゾ犬として競い合う。
そんな情けない姿が、今の私たちにはお似合いだった。
浜本の靴下を咥えながら、期待に満ちた目で見上げる3号。
そんな彼女を、口元に笑みを浮かべながら見下ろす浜本。
「なぁに?褒めてほしいの?」
恥ずかしそうに頷く3号。
「ふぅん、そうなんだぁ…」
値踏みするように、目を細めながら3号を見つめる。
「よくできまちた。おりこうさんでちゅねぇ、3号ちゃん?」
赤ちゃん言葉で、少しバカにしたような口調で褒める浜本。
「部活中は、あんなにキリッとしてるのに、そんなお顔もできるんでちゅねー、3号ちゃんは?かわいいでちゅねぇ」
言いながら、頭を撫でる。
3号の正体を仄めかす浜本。
しかし、無礼な後輩を三井は咎めることができない。
言われたのは3号であり、三井ではないのだ。
褒められた嬉しさと、見下される屈辱とで、3号が卑屈な笑みを浮かべる。
その甘美な屈辱を、私は手に取るように分かった。
「4号!また負けたの?オシオキされたくて負けたわけじゃないよね!」
鳥越に叱責され、申し訳なさそうに肩を落とす4号。
4号だけではない。
私も…
ご主人様に可愛がられる3号を見て、嫉妬と対抗心が湧き起こる。
次こそ、私が勝つ。
勝って、私がご主人様に可愛がられるのだ。
アンタはそれを、指を咥えて見てなさい。
ゲームがひと段落し、再び談笑を始める1年生。
四つんばいになった私の頭に、両足を乗せる新田。
足置きとして、使われている。
生物ですらない、ただの道具として使われている。
体重の軽い新田だが、その足を頭だけで支え続けるのだ。
いつ終わるともしれない時間。
潰れそうになる己を、何度も叱咤する。
足の重みが、私のプライドを押しつぶしていく…
「私、思ったんだけどさ」
浜本が呟く。
「ただレースを見てもらうんじゃなくて、結果を予想してもらうっていうのはどうかな」
彼女の前では、3号がお尻を突き出させられていた。
「え?ああ、さっきの食事会の話?」
寝そべった4号の顔に両足を置く、鳥越。
4号の鼻息が聞こえる。
汗で蒸れた鳥越の靴下を、におっているのだ。
「うん。それでね、レース前にみんなに伝えておくの。この子たち、実は馬術部の先輩なんだよ。誰だと思う?もしレースの結果を当てられたら、正体を教えてあげるよ、って」
身の毛もよだつような提案。
想像する。
1年生たちの前に、ポニーの格好をした私たちが現れる。
驚くギャラリーに対して、ポニーの主人が告げる。
全頭マスクで隠されたその奥には、みんなのよく知る顔があるの。
普段、私たちの前で偉そうにしている先輩。
それが今、どんな顔をしているか知りたくない?
ポニーの正体が自分たちの先輩だと知った時の、1年生の反応。
一人ひとりの顔が、声が、脳裏に浮かぶ。
驚き、蔑み、嘲笑。
『ホントにセンパイなんスか?後輩の前で、よくそんなカッコできますね。逆にソンケーっす』
ヤンキー座りをしながら、半笑いで見つめてくる内海。
『その情けない姿、じっくりと見てあげますね。なぁに恥ずかしがってるんですか?ほら、顔を上げてくださいよ、センパイ』
挑発するような目で、まっすぐに見下ろす大貫。
『なんか、ドキドキしてきた…私も、飼ってみたい、かも…』
顔を真っ赤にしながら、興味深々な優菜。
『誰だか知らないけど、人としてマジで終わってるよ。素顔晒して、もっかい自己紹介させてやるから、覚悟しなよ、ヘンタイ』
軽蔑しきった表情の溝口。
非現実的な光景。
理性では、分かっている。
そんなこと、絶対に避けなければいけない。
でも…
1年生の視線に、声に。
私の体は、容赦なく反応する。
屈辱と期待とで、脳が溶けていく…
「でもさ、正体をバラすのって、1年生全員にじゃないの?当てた人にだけなの?」
鳥越が尋ねる。
「最終的には全員にバラすけど、まずは当てた人だけってしたほうが、面白そうじゃない?」
「なるほど、確かに」
「情けなーいカッコして出てきた人たちが、部活の先輩なんだよ?いつもは偉そうにしてるクセに、私たちのペットとして紹介されて、恥ずかしそうにしてるの。ねー、3号ちゃん?そんなの、恥ずかしいよねぇ?」
パチンッという音。
「ひゃん!」
3号が、小さな悲鳴とともに、息を漏らす。
「そんな時に『もしレースの結果を当てられたら、誰なのかを教えてあげる』なんて言われたらさぁ…参加しないほうがウソでしょ」
「確かにね。うわぁ、一気に楽しみになってきた。4号、今回ばかりは負けられないねぇ。負けたら、アンタの人生、どうなっちゃうか、分かんないよ?」
無慈悲に笑う、後輩たち。
冗談であって欲しいという思いと、この子達ならやりかねないという思いが交錯する。
大人になりかけの少女たち。
眠っていた残虐さが目を覚ましたのか。
あるいは、我々が育ててしまったのか。
この暴君たちを。
「脅かしたら可哀想だよぉ。ふふっ。3号ちゃんのキレイなお尻、みんなに見てもらいましょうね?このお尻をしたセンパイは、誰でしょうか?レースで負けたら、お顔も見られながら、みんなの前でお尻フリフリするの。マスクを取って、真っ赤になった3号ちゃんの素顔を見られながら、ね」
再び、パチンッという音。
3号の悩ましい吐息。
浜本の笑いが重なる。
「みんなの前で、あの映像を流してあげる。キミの『敗北宣言』。その横で、お尻を突き出すの。ちゃんとお尻の穴まで見えるよう、自分の手で広げながらね。自分の情けないセリフと、みんなの笑い声を聞きながら、敗北した姿をじっくりと見てもらおうね?」
三度、パチンッという音。
「はぁぁ…っんっ…」
後輩に屈服した哀れな負け犬が、艶っぽく呻く。
「あはは!濡れてきたんだけど!ほら、クネクネしてちゃダメでしょ?ちゃんと姿勢を保ちなさい?」
パチンッ
「あぁぁっ…!」
「だから、クネクネすんなって言ってるでしょ!?言うことが聞けないの?」
パチンッ
「くぅっっ…っんっ…!」
「ほら、また!」
三井が何をされているのか、ここからでは見えない。
体のどこかを、指で弾かれているのか。
恥ずかしそうに身悶えしている彼女の姿が、はっきりと脳裏に浮かぶ。
浜本の指。
今にも飛び出さんとする中指と、それを止め続ける親指。
それが、三井のお尻に近づいていく。
パチンッという音とともに、お尻から鋭く伝わる衝撃。
甘美な痛みとともに、胸が切なくなる。
指が、再びお尻に近づいていく。
力をたくわえた中指。
三井の表情が強張る。
いつ、またあの痛みが襲ってくるか分からない。
私の体も、身構えてしまう。
そんな瞬間を、恐れつつも待ちわびている自分がいた。
「ねえ、なんで濡れてんの?もしかして、こうされるのが好きなの?どんどん出てくるんだけど」
気持ちとは裏腹に、体が勝手に反応してしまうのだ。
「お尻じゃなくてさ、こっちにも、してあげようか?」
瞼の裏に浮かぶ光景。
愛液で濡れそぼった、三井の茂み。
キツネの形をした指が、近づいていく…
『そこ』を指で弾かれたところを想像し、ゾッとする。
脳天を突き抜けるような、電撃。
全身が焼けただれ、脳のヒューズが飛ぶ。
同じ女なら、絶対にしない。
それがどれほど恐ろしいことなのか、分かっているから。
だからしない、はずなのだ。
はず、なのに…
全身に力を込める。
身構える。
「ひっ!」
「あはは!ひっ…だって!冗談だよ、安心して。流石にそんなことしない…あれ?なんか、さっきよりもえっちなお汁が出てきたんだけど。嘘でしょ?」
「ち、違う…」
消え入りそうな、か細い声。
「違うって?違わないよ。ほら、どんどん出てくる。うわぁ、マジ?あ、もしかして…さっきも、叩かれたくてワザとクネクネしてたの?」
「違う!」
「違わないって。写真撮ってやろうか?ふぅん、そっか。そういうのも好きなんだね、キミは。じゃあさ、今度は1号と一緒にしてあげるよ。並んでお尻を突き出してさ。そんで、見比べてあげる。どっちが先にえっちなお汁でべちゃべちゃになるか。正真正銘のヘンタイは、どっちでしょうか?もし勝てたら、ここも、指で弾いてあげるからね、ヘンタイさん?」
三井の、声にならない声。
「うわ、床に垂れてる。きったな。ちゃんと掃除しとけよ、マゾ犬」
冷たく言い放つ。
一方、鳥越。
「4号も、楽しみでしょ?1年生たちに囲まれて、靴下のニオイ嗅がせてもらおうね?顔は隠さず、素顔のまま。首輪と学生証は付けたままね。バカにされながら、靴下のニオイをクンクン嗅いで、きもちくなろーね、ヘンタイマゾちゃん?」
優しく語りかける鳥越に、鼻息で答える4号。
目に浮かぶ光景。
ニヤニヤと笑う後輩たちの前で、顔を真っ赤にした藤崎。
屈辱か、期待か、その鼻息は荒い。
1年生に命じられ、仰向けに寝そべる藤崎。
そんな彼女を囲うようにして、1年生たちが立つ。
そんな光景を、私と三井は四つんばいの姿勢で眺めている。
心臓が、早鐘を打つ。
後輩たちの、汗とホコリに塗れた靴下。
じっとりと湿った、生温かいものが、藤崎の顔を覆っていく。
むせかえりそうなニオイ。
藤崎は、それを鼻から大きく吸い込む。
鼻腔を抜け、脳に突き抜けていく。
私の口の中で、涎がじわっと広がる。
藤崎に投げかけられる、屈辱的な言葉の数々が、私の体に突き刺さる。
自尊心が傷つけられるたびに、下腹部が熱くなる。
そんな、後輩たちの声。
藤崎に聞こえているのか、いないのか。
嗤われているのもお構いなしに、彼女は鼻を鳴らし続ける。
深夜の部室に、小悪魔たちの笑い声が響く。
「たださ、やっぱり内海や優菜は、引いちゃうかもしれないんだよね」
「うーん…」
「あ、いいこと思いついた」
黙って聞いていた新田が、会話に加わる。
「こいつらの、自己紹介用の動画を作ろうよ。顔はモザイクにして、誰なのか分からないようにしてさ。私たちがムリヤリさせてるんじゃなくて、『自ら望んでこうしてるんですよ』って感じでさ」
私の頭に乗せられた、新田の足。
グッと、力が込められた。
頭に掛かる重量が、一気に増す。
沈み込みそうになるのを、全身で耐える。
浜本が少し考え込む。
「ふうん…それ、いいかも」
「言葉で説明するより、伝えやすいかもね」
鳥越も賛同する。
「 4号、ちゃんと聞いてた?動画はオマエが編集するんだからね?」
「ふぁい…」
くぐもった声で返事をする4号。
「情けなくて、観てるこっちが恥ずかしくなっちゃうくらいのやつ、作りなよ。あんた、そういうの得意だもんね」
藤崎の作った動画。
かつて観た映像とBGMの断片が、頭の中で再生される。
三井のビフォーアフター。
鞭で打たれる私や、夜の校舎を『お散歩』する藤崎。
三井とのディープキス。
それを目の前で流され、しかし見ることを許されず、オナニーを懇願する畑川。
それらはドロドロに溶け、現実と虚構とが混ざり合っていく。
陰鬱なテクノポップが流れ始める。
画面に映るのは、あられもない姿をした女。
モザイクが掛かり、誰なのかは分からない。
少女に命令され、自己紹介をする女。
己の性癖と、目覚めたきっかけ。
問われるまま、答えていく。
大学名、学年、加入しているサークル名。
どこか、聞き覚えのある声。
肝心な部分は、ピーっという音で上書きされていた。
誰なのかは、分からない。
ただ。
どこか上ずった、何かを期待しているかのような声。
甘ったるく、媚びるような態度。
この女が発情しているのは分かった。
笑い声。
聞こえたのは映像からか、あるいは目の前にいる少女たちか。
映像はぐにゃりと溶け、形を変えていく。
次に現れたのは…
モザイクの掛かっていないその顔。
屈辱と期待とで、真っ赤に染まっていた。
突き抜けるような羞恥心。
顔が、全身が、一気に熱を帯びる。
だめ!
見ないで!
叫びそうになった。
さっきと同じ構図。
再び、自己紹介を始める女。
さっきと同じセリフ。
違うのは、ピーっという音で隠されていないこと。
自分自身の個人情報を。
秘めた願望を。
恥ずかしげもなく、さらけ出していく。
私に背を向けて座っている1年生たち。
誰かなのかは、分からない。
スピーカーから流れる告白を。
スクリーンに、でかでかと映ったそれを。
椅子に座りながら、じっと眺めている。
見られた…
知られてしまった…
暴力的なまでの何かが、私を書き換えていく。
『1年生のみなさん、騙していてごめんなさい…これが、本当の私です…』
ヒトとしての尊厳を捨て、これから受ける恥辱とで、発情している雌。
それが…
『中谷紗枝、21歳。これからは、ヒトではなく、皆さんの先輩でもありません。ポニーとして、皆さんに楽しんでもらえるよう頑張ります。だから、いっぱい、可愛がってくださいね』
スクリーンに映った女。
卑屈な笑みと、媚びるような声で。
会場がドッと湧いた。
嗤われている。
後輩たちに。
肌を刺すような、羞恥心。
ドロドロとした疼きが、下腹部からこみ上げていく。
全身の血液が、顔に集まっていく。
椅子に座る1年生。
こちらを振り向いた。
揶揄うような視線。
その一つひとつが、刻印となって私に刻まれていく。
彼女たちに一生逆らうことのできない存在して。
1年生のひとりが、こちらへやってくる。
内海か、大貫か。
顔がぼやけていて、認識できない。
ただ、残虐な笑みを浮かべている、ということは分かった。
その奥には、スマホをこちらに向けている1年生の姿が。
撮られているのだ。
目の前に来た、1年生。
私の首からぶら下げられた、学生証。
手が伸びる。
マスキングテープ。
剝がされていく。
現れたのは、私の顔写真、氏名、学籍番号。
いや、家畜としての個体識別番号か。
視線。
スマホのカメラ。
もう、逃げられない。
逃げられなくなってしまった…
1年生の手が、全頭マスクへと触れる。
私はとっさに両手で押さえる。
新田からの叱責。
それでもなお、手を離すことはできなかった。
人としての本能か。
ある光景が脳裏に浮かんだ。
三井の全頭マスクを、藤崎が引き剥がそうとしている様子。
必死に抵抗する三井。
あれは、今の私だった。
思いっきり引っ張られたマスクが、ずり上がっていく。
両手に力を込め、歯でマスクを噛む。
必死の抵抗。
ヒトとしての、最後の悪あがき。
たとえ指が千切れ、歯が欠けたとしても。
そして…
力尽きた。
剥ぎ取ったマスクを高々と掲げる1年生。
歓声。
顔を隠そうとした両手を、掴まれる。
ついに。
完全に手遅れとなってしまった。
全てを、知られてしまった。
後輩たちの視線。
何も、遮るものはない。
素顔を、マゾ女としての私を、じっと見られている。
私の体が、ブルブルと震える。
体から、何かが溢れ、こぼれ落ちていく。
ヒトとしての尊厳。
中谷紗枝としての、未来。
『あーあ、知られちゃったねぇ』
誰かの声。
『でも、こうなることを望んでいたんでしょう?よかったじゃない、念願が叶って』
新田の声ではなかった。
もっと大人びた女性の声。
三井でも、畑川でも、藤崎でもない。
ただ、私は声の主を知っている。
『ほら、自己紹介しなさいよ。新しいご主人様たちに』
誰なのかを思い出そうとして、すぐにやめた。
どうでもいい。
今はただ、この気だるい快楽に、身を委ねていたかったのだ。
「あとは、2号にも仕事してもらおっかな」
新田がつぶやく。
「2号?2号って?」
「やっぱり、もう一人いるんだ」
不思議がる浜本と、気づいているかのような鳥越。
畑川の正体を、二人はまだ知らされていない。
「訳あって、今は参加させてないけどね。そろそろいいかなって」
勿体ぶった言い方をする新田。
「誰なの?やっぱり、馬術部の先輩?」
好奇心を剥き出しにする浜本。
「なんとなく、そんな気はしてたけどね」
おそらく、2号の正体に気づいているであろう鳥越。
「ペットとしての本分を思い出さないとね、2号?」
新田の声。
それは独り言のようにも、誰かに語りかけているようにも聞こえた。

