ボンデージを手に取る。
体が、顔が熱くなる。
胸の奥深くで、疼くような羞恥心。
それはじわじわと燃え広がり、私の体を侵していく。
でも、これを着ながら淫らな妄想に耽ったのは、きっと私だけではない。
仲間意識、あるいは共犯者のような仄暗い連帯感。
他の二人も同じなのだ、と。
自分に言い聞かせることで、羞恥心を追いやろうとする。
ギュッ…ギュッ…
エナメルの、擦れる音。
条件反射のように、体が反応する。
たちのぼる人工的な香りが、私を誘惑する。
記憶が、刺激がよみがえっていく。
始まる前からこれでは、先が思いやられる。
呆れつつ、ほのかな劣情と期待に身震いしそうになる。
黒と白のボンデージをそれぞれ身に纏った、ライバルたち。
固い表情を浮かべつつも、目がトロンとしている。
かすかに開いた唇は震え、切ない吐息が漏れる。
己の痴態を、思い出しているのか。
それとも、これから辿る自分の運命を、想像しているのか。
こんな危機的な状況でさえ、昂ってしまう。
強烈な刺激を浴び続けた結果、被虐の中毒になってしまったのか。
あるいは、もともと『素質』を持っていたということなのか。
いずれにせよ、マゾヒストというものの業の深さを思わずにはいられなかった。
全頭マスクを手に取る。
これまで、何度も被ってきたマスク。
正体がバレるのを防ぐとともに、羞恥心を高めるアイテムでもあった。
これを被った瞬間、個性は消え、家畜としての自分が浮かび上がる。
そして、支配される興奮と羞恥とが、己の中で色濃くなる。
鏡に映る滑稽な顔を見て、プライドも立場もはく奪されたことを知る。
研ぎ澄まされた感覚の中で、家畜としての自覚と被虐とが、呼び覚まされていく。
これを被りながら、1年生たちの前に現れる。
想像しただけで、心臓が飛び跳ねる。
息が詰まるような恐怖と期待とが絡み合い、押し寄せてくる。
彼女たちは、我々が誰かを知らない。
だから、容赦ない言葉や視線が飛んでくるかもしれない。
人として、女として下に見られる感覚。
尊厳を踏みにじられる。
それも、後輩たちに。
こみ上げる怒り、屈辱。
それらは恥辱の炎となって、下腹部をチリチリと焦がす。
脳細胞が焼けるほどの快楽を、マゾ女たちにもたらす。
負け犬として屈服した、情けない先輩たち。
脳内で分泌された麻薬によって、更に逃れられなくなっていく。
日頃、彼女たちを指導している立場だからこそ。
その屈辱は胸を抉るほどに強烈で、なのに、どうしようもなく魅力的なのだ。
立場逆転。
そして…
正体がバレたら、その逆転はもう元には戻らない。
決して、元の関係には戻れないのだ。
ドアの外で、声がした。
恐らく、他の1年生たちが到着しだしたのだろう。
聞こえてくる声はあまりにも小さくて、誰なのかは判別できない。
でも、我々の知っている人物であることは確かなのだ。
そして、情けない姿を晒す相手でもある。
来るのは、1年生だけではない。
畑川も、講師という立場でやってくることになっていた。
食事会兼、馬術の勉強会。
それが、今日の会の建前だった。
2年生の畑川。
1年生にとっては、いわば部外者だったが、彼女が参加することについて、そこまで反発はなかった。
明るくて社交的な畑川の性格によるところもあるのかもしれなかった。
それに馬術の腕前自体も、そこそこのものを持ってはいるのだ。
1年生からは、それなりの敬意を受けている畑川。
しかし…
『そろそろ、ペットとしての本分を思い出させる』
以前、そんなことを新田が呟いていた。
それは恐らく、畑川麻友ではなく、2号として参加させる、ということ。
どのタイミングなのかは分からない。
食事会に同席し、先輩として、講師として振舞った後。
今度は2号として、現れる。
今、私が着ているボンデージや全頭マスクを身に纏って。
想像し、胸がキュッと締め付けられる。
畑川は、どんな顔をして現れるのだろうか。
出番がくるまでの、永遠に続くとも思われる時間。
ドアの向こうでは、1年生たちの笑い声。
控え室には、会話はない。
無言。
ただ、心の中では様々な感情が飛び交っていた。
ヒトではなく、別の動物へと生まれ変わる。
そんな時間でもあった。
そして、『その時』が来るのをじっと待つ。
迎えに来るのは、後輩ではない。
私たちの、ご主人様。
それを、ポニーとして出迎える。
脳裏に浮かぶ、映像。
何度も、何度も浮かんでは消えていく。
胸の奥に、キズあとを残して。
ドアのノック音。
急に、現実へと引き戻された。
心臓が早鐘を打つ。
「やっほー!お待たせ~。いい子にしてたかな?」
浜本が顔をのぞかせる。
「よしよし、準備はできてるね?それじゃ、私たちも着替えるから、ちょっと待っててね」
浜本に続き、鳥越が入ってくる。
そして…
畑川。
笑みを浮かべながら、私たちを見回す。
バッグから『衣装』を取り出す三人。
ゆったりとした動作で、乗馬服へと着替えていく。
衣装だけでなく、その堂々とした態度も、表情も、私たちとはまるで正反対だった。
グレーの乗馬ズボン。
ストレッチ素材のそれは、鳥越のしなやかな脚のラインを際立たせる。
真っ白なショーシャツ。
浜本が、襟を整える。
薄い生地が彼女の肩に張り付き、女性らしい柔らかさと、動きやすさとを両立させていた。
漆黒のロングブーツ。
純白の手袋に包まれた畑川の指が、ジッパーを上げていく。
ジジジジ…という音と、革の硬そうな感触が、彼女の権威性を高めていく。
ストックタイを結び、ジャケットを羽織った彼女たちは、まさにこの場の支配者だった。
バッグから取り出した鞭を、右手に構える。
たちのぼるオーラ。
入部当時は、衣装に着られているような印象だったが、今は貫禄すら感じさせた。
彼女たちの持つ自信が、そうさせるのか。
その自信が、私たちを調教することで得たものならば。
我々は、彼女たちの養分のようなものだった。
自信を得て、堂々と振舞う後輩たち。
それとは対照的に、自信を吸われた私たちの姿。
鏡に映るその表情、態度は、見るも無残だった。
愛玩動物。
あるいは家畜として。
私たちは、彼女たちに対して媚び、阿ることしかできない。
養分としてこの身を捧げながら、対価として屈辱を与えられる。
その現実を自覚するたび、体の奥は震え、切ない劣情に胸が締め付けられる。
そんな私たちを見下ろす、支配者たち。
口もとに残酷な笑みを浮かべる浜本。
権力を誇示するように、鞭で床を軽く叩く畑川。
「ほら、首輪を咥えて、こっちに来なさい?」
私たちに笑顔で呼びかける鳥越。
命令。
年下から。
後輩から。
支配者から。
先輩としての、年上の女性としての矜持。
この衣装になってからは、そんなものは存在していないのだ。
剥き出しになった、マゾヒストとしての本性。
ブーツで踏みにじられる。
踏みにじられながら、流しているのだ。
嬉し涙を。
3人の、絡みつくような視線。
家畜としての私たちを、値踏みするかのような…
そんな視線に晒されながら、テーブルに置かれた首輪を手に取る。
口に咥え、そのまま両手、両足を床につける。
忠誠の証。
屈服し、彼女たちのペットとして生きることを受け入れた証。
額に、汗が滲む。
藤崎が、喉を鳴らす。
床についた三井の両腕が、震えている。
「モタモタすんなよ~。早く這ってこいって」
浜本が笑いながら、揶揄うように急かしてくる。
三井が、ギュっと両手を握りしめた。
ヒトとしての生は終わりを告げた。
今後は、ヒトを楽しませるための家畜として生きる。
それが、私たちに与えられた立場。
後輩たちに嗤われ、詰られながら滑稽な姿を晒す、かつてヒトだったもの。
そんな現実を突き付けられながら。
三頭のポニーは這っていく。
それぞれの、ご主人様のもとへと。
3号は、浜本へ。
4号は、鳥越へ。
私も、畑川に向けて這い始める。
膝。
震えていた。
いや、膝だけではなかった。
全身が、ブルブルと震えている。
私のご主人様は、畑川ではない。
本当のご主人様は新田。
彼女は今、控室の外で他の1年生たちと待っている。
畑川は、それをカモフラージュするための存在に過ぎない。
畑川。
私を冷たく見下ろすその瞳の奥には、緊張と不安とが滲んでいた。
浜本や鳥越とは違い、彼女の立場は仮初のものなのだ。
支配者として振舞う役割を与えられた、傀儡。
その役目を終えれば、その権威を剥ぎ取られ、真の姿を晒すことになる。
その実態は、2号。
新田に屈服し、服従することを選んだ、寝取られマゾ。
私たちと同じく、ご主人様たちにひれ伏し、楽しませるために存在している。
そして彼女もまた、襲い来る感情と懸命に闘っているのだ。
リードを持つ手も、微かに震えていた。
ドアの奥から聞こえてくる、ざわめき。
外にいるのは、馬術部の1年生たち。
私たちの後輩で、今日のギャラリーだった。
ポニーとして這う3人の上級生。
その姿を、嗤いながら出迎える1年生たち。
好奇の視線を向けながら、口々に罵り、揶揄う。
そんな後輩たちを叱るどころか、顔を真っ赤にしながら俯くことしかできない。
そんな私たちを見て、更に後輩たちが調子に乗っていく。
馬術部の先輩としてではなく。
1年生に服従し、囃し立てられながら競い合う、憐れな女として。
歯向かうこともできず、それどころか嬉々として指示に従う私たちに、敬意など抱けるはずもない。
日頃の偉そうな態度と、後輩に媚びを売る情けない姿。
それを後輩たちに比較され、揶揄われながら…
悔しさ、惨めさとともにこみ上げる劣情。
それを指摘され、認めさせられる。
家畜へと堕ちた、かつての先輩たちを眺めながら酷薄な笑みを浮かべる1年生たち。
そんなギャラリーの前で、私たちは死に物狂いのレースをする。
己のプライドと、尊厳をかけた勝負。
ただ、1年生たちを楽しませるための存在として。
想像し、ゾッとする。
青ざめつつも、期待してしまう。
この後に待ち受ける屈辱を。
3号と4号も、ざわめきが聞こえたのだろう。
不安そうに、ドアのほうを見つめている。
それに気付いた浜本が、残酷に笑う。
「みんな、集まってるよ?ポニーになったアンタたちの姿、しっかりと見てもらおうね?」
怯えた様子の2頭。
「情けないレースをして私たちに恥をかかせないでよ?ペットの責任は飼い主の責任なんだからさ」
そう言って、4号の頭をポンポンと叩く。
4号が俯く。
「ふたりとも、それくらいにしときな。早く準備するよ」
「はーい」
鳥越と浜本をたしなめる畑川。
ふたりは気付いただろうか。
その声が、微かに震えていたことに。
首元に巻く、革製の紐。
被支配者としての象徴であり、己の忠誠心を示すもの。
ヒトとしての尊厳を自ら放棄し、家畜としての自己を受け入れるための神聖な儀式。
でもそれは、家畜側の勝手な想いに過ぎないのかもしれない。
少なくとも、浜本や鳥越にとっては、首輪はただの首輪に過ぎないのだろう。
または、ペットを御しやすくするための便利なアイテムくらいにしか、思っていないようだった。
新田は違う。
私のご主人様は、首輪がただのアイテムではないことを知っている。
私の心情を深く理解したうえで、首輪をはめてくださる。
はず、なのだ。
でも、ここにはいない。
目の前にいるのは、ご主人様の皮を被ったマゾ女。
「ほら、首輪出しな?」
浜本。
彼女の前で、3号が跪いた。
咥えていた首輪を、両手で持ち替える。
土下座。
額を床につけ、捧げ持つように首輪を差し出す。
どこか大仰で、芝居じみた行動に見えた。
しかし…
その手は、震えていた。
あまりにも惨めで、滑稽で、切実な態度。
彼女がどれほど誇り高い女性であったか、私はよく知っている。
3年間、ともに切磋琢磨してきたのだ。
それが、ここまで…
この数か月の間、彼女の中でどれほどの葛藤があったか、想像すらできない。
もともと被虐嗜好のあった私とは違うのだ。
指示されたわけではない、三井の自発的な行動。
浜本が一瞬狼狽えたように見えた。
三井に敬意を表するように…
私と4号も、ご主人様の前で跪いた。
生まれながらにして持つ、人としての権利。
それを首輪でデコレーションし、ご主人様に捧げる。
年下の、同性の女の子に。
首輪を締めた時の、全身の血が沸き立つような羞恥心と、屈辱と、背徳感。
ヒトであることをやめ、家畜へと身をやつしてしまったことへの、言いようのない興奮。
鏡に映った、己の顔を思い出す。
バツが悪そうにこちらを窺いつつも、その目には期待が隠しきれていない。
体の奥底から湧き起こる、マグマのような昂りを感じつつ。
改めて、自覚する。
思い知らされる。
自分が何者なのかを。
そして、恋焦がれる。
この身体を、心を、支配してくださる存在。
この昂りを、鎮め、掻き立て、優しく包み込み、冷たく突き放し、踏みにじりながらも甘く囁いてくださる。
そんな存在。
ご主人様。
ご主人様に己の全てを委ね、捧げる瞬間を。
私だけではない。
三井も、藤崎も。
首輪を付けるときの、あの切ない表情。
ヒトから、家畜へとなる瞬間。
『三井章乃』から『3号』へ。
『藤崎舞』から『4号』へ。
浜本や鳥越たちの先輩という自己は、かき消されてしまう。
あるのは、彼女たちのペットに成り下がった己の姿。
首輪を付けた瞬間、その現実を突き付けられるのだ。
そんな彼女たちの想いなど、浜本たちは知りもしない。
知ったところで、それをネタに三井たちを揶揄うに違いなかった。
両手で捧げた神聖なアイテム。
それを、当たり前のように受け取る騎手たち。
「ほら、お前たち、いつものポーズしな」
浜本からの命令に、のそのそと立ち上がる3頭。
中腰になり、両腕を…前足を胸の前で揃える。
ご主人様に仕込まれた『待てのポーズ』。
従順な、かつての先輩たちの首元に、服従の証が嵌められていく。
その表情には、誇り高かったかつての面影はない。
家畜へと身を堕とした、滑稽で憐れな女たち。
これまで、ヒトとして過ごしてきた記憶。
この後に待ち受けている、己の境遇。
頭の中を駆け巡る。
三井も、藤崎も。
そして、私も。
体を震わせ、鼻息を荒くしながら。
「最後に、コレ、付けてあげるね」
鳥越の手には、3枚のカード。
私たちの学生証。
凛々しい顔写真も、後輩たちに敬意を持って呼ばれる名前も、隠されている。
さっき、我々が自身の手でマスキングテープを貼ったのだ。
このテープが剥がされる瞬間。
来ないように祈りつつ、想像し胸を高鳴らせる。
剥がされたら、終わる。
私の中で、何かが。
畑川の手が、私の首元に延びる。
学生証が、首輪に括りつけられていく。
畑川の息遣い。
昂っているのか。
私を家畜として扱うことに、か。
学生証を付けて床を這う私を、1年生たちに見られることに、か。
彼女自身も、これから同様の道を辿るであろう事実に、か。
「心の準備はできた?ヒトでいられる最後の瞬間だよ?」
鳥越の声。
畑川の体がビクッと震えた。
それを誤魔化すように、私から身体を離す。
そして、酷薄な笑みを浮かべながら家畜に言い放つ。
「この先に待っているのは、もうお前たちの後輩じゃないよ。お前たちが頑張って楽しませなきゃいけない、女の子たち。先輩であるどころか、もうヒトですらないんだから、逆らうことはできないからね。心を込めて、精一杯おもてなしするんだぞ?」
畑川の言葉に、浜本が二度頷く。
鳥越は、畑川を見ながら意味ありげに微笑んでいる。
畑川の虚勢。
さっきのセリフも、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
「いっぱい揶揄われて、いっぱいバカにされて、いっぱい可愛がってもらおうね」
「みんながどんな反応するか、楽しみだね。いい?それじゃ、ドアを開けるよ?」
ドアの軋む音。
ざわめきが大きくなる。
心臓の音。
寒いわけではないのに、全身が震えていた。
前へ進まなければ。
そう思うのに、立ちすくんで動けない。
パシッ!
尻に、微かな痛み。
鞭で叩かれたのだ。
強張る体を、無理やり動かす。
前へ進むたび、何かが剥がれ落ちていく。
私にとって、余分だった何か。
あるいは、とても大切な何か。
考える余裕もないほど、追い詰められていた。


コメント
いよいよクライマックスですね!
畑川や藤崎の視点からの心理描写も読んでみたいです!
次の更新も楽しみにしています。
ありがとうございます。おかげ様で、ようやくここまで来れました。
この世界観のなかでまだ書き切れていないシチュもあるので、完結後になってしまうとは思いますが、いつかそれらも書けたらと思っています。
その時は、畑川や藤崎視点でのお話も書いてみたいですね。