控え室を出た私たちを出迎えたのは、ざわめきだった。
距離があるため、何を言っているかまでは聞き取れない。
ただ、私たちを見て明らかに戸惑っているようだった。
「あーあ、見られちゃったねぇ」
浜本が、さも嬉しそうに呟く。
暴力的なまでの、羞恥心。
同時に込み上げてくる、期待と惨めさ。
思考力が、こぼれ落ちていく。
代わりに、感覚が鋭敏になっていく。
家畜としての、マゾヒストとしての姿を後輩に晒す。
これまでにも経験してきたこと。
それなのに、かつて感じたことのないほどの緊張感に包まれているのは、彼女たちの人数のせいか。
まとまらない思考。
取り返しのつかないことをしている。
そんな感情に、繰り返し襲われる。
「ほら、見てみな?みんながこっちを見てるよ?」
鳥越が、4号の耳元で語りかける。
一瞬顔を上げ、すぐに俯く4号。
「なぁに?恥ずかしいの?」
震えながら、小さく頷く。
「大丈夫だよ。だって…」
口もとを歪めて笑う鳥越。
優しく囁くその声からも、嗜虐性がにじみ出ていた。
「だって、こんなに可愛いんだもん。きっとみんなも可愛がってくれるよ。ね、舞ちゃん?」
手に持った鞭で、4号のお尻をピシャっと叩く。
「くぅっ、ん…」
4号が、身悶えする。
「ふふっ。みんなの前で、舞ちゃんのお尻を叩いてあげるね。でも、いつもみたいに簡単にイッちゃダメだよ?一生懸命走って、ちゃんとゴールしなさい。頑張ったら、ゴホウビあげるから。楽しみでしょ?」
恥ずかしそうに、頷く4号。
「みんなの前で、靴下のにおい、いっぱい嗅がせてあげるからね。それとも、みんなに踏んづけてもらおうか。舞ちゃんのお顔、みんなの靴下で、グリグリ、ゴシゴシって、されたいでしょう?」
あくまで優しげな声で。
しかし、その間も鞭で4号の尻をペチペチと叩き続けている。
4号の体が、震え始める。
「ちょっとちょっと。まだダメだってば。始まってすらいないのに、まったく」
優しく叱る鳥越。
「堪え性のない子には、オシオキしないとかな?舞ちゃんが作った、恥ずかしい映像…それも、モザイクなしのほう。レースの前に、みんなに見せちゃおっかな?」
4号が、勢いよく顔をあげた。
首を横に振って、鳥越に必死にアピールする。
「あはは!ウソウソ、冗談だって。そんなことしないよ」
ホッとする4号。
「だって、最初からそんなことしたらもったいないじゃん。楽しみはとっておかないと、ね。ふふっ。頑張ってくださいね?あんな映像見られたら、もう取り返しがつかないんですから。まだまだみんなのセンパイでいたいんでしょう?」
飴と鞭を使い分けながら、手玉にとる鳥越。
彼女の手のひらで転がされながら、狼狽えるしかできない憐れな雌犬。
自身の作った映像で、自身を貶める藤崎。
そんなふたりの横には、浜本と3号。
「あれ?もしかして、緊張してるの?」
震える3号を見下ろしながら、浜本が冷たく言い放つ。
「私が憧れてた三井先輩は、競技前でも堂々としてましたよ?それなのに今のあなたは、後輩たちに見られてるだけで、こんなにブルブル震えちゃって…」
しゃがみ込み、3号と目線を合わせる。
「ねえ、どうしてこんなに情けなくなっちゃったんですか?私の知ってる先輩は、カッコよくて、誰にも屈しない、強い人でしたよ?」
3号が俯く。
「あそこには、内海も大貫も、優菜もいるんですよ?それなのに、そんなカッコして、私にリードを引かれながら這って行くなんて…それで、いいんですか?プライドの高いあなたが、それを許せるんですか?」
いずれも、三井を慕う後輩たちの名前。
からかうような口調に、どこか真剣さが滲む。
しかし、3号は答えない。
「マゾ」
3号が、目を見開いた。
「ふふっ。マーゾ。おい、マゾ。ヘンタイマゾのアッキー。どうだ、悔しいか?悔しかったら、怒ってみろ」
浜本を睨みつける3号。
しかし、浜本が睨みかえすと呆気なく俯いてしまった。
「私にこんなこと言われても、怒るどころか、そんな顔しちゃうんですね。やっぱり、あの頃の先輩はもういないんだ」
立ち上がる。
「ボサッとしてないで、這いな」
リードを引っ張る浜本。
3号が、うめき声をあげる。
「アンタがヒトに戻りたいって泣いても、もう遅いかんね。あの子たちの前で自己紹介させてあげる。忠犬アッキーとして、かつての後輩相手に一生尻尾を振ってなさい」
浜本にリードを引かれ、3号が這って行く。
その後ろを、鳥越と4号が続く。
畑川。
目が合う。
慌てて視線を逸らす彼女は、所詮かりそめのご主人様だった。
他のふたりとは違い、私に語りかけてくるだけの度胸もない。
いくら虚勢を張ったところで、中身は透けて見えた。
寝取られマゾ。
新田にそのヒミツを暴かれ、性癖を拗らされた、憐れな2年生。
後輩たちの前でサディストのフリをさせられたあと、今度は散々詰られるのだ。
彼女が今後辿るであろう運命を、想像する。
後輩たちの前で、自身の性癖を告白させられる。
そして、目の前で見せつけられる。
私が馬として調教を受け、犬として芸をさせられている姿を。
ご主人様の命令。
私と三井が見つめ合い、唇を重ねる。
それを、周囲で囃し立てる1年生たち。
そのそばで、土下座をしている畑川。
揶揄われながら、オアズケさせられているのだ。
『畑川センパイ?ダメですよ?センパイは見ちゃだ〜め。私たちを騙していた罰を、キチンと受けてくださいね?』
1年生たちに囲まれ、見下ろされながら、ただ額を床につける畑川。
モジモジと太ももを擦り合わせる。
『あはは!切なそうにしてる!そんなに見たいんだ!でも、だ〜め』
『畑川センパイの前で、中谷センパイと三井センパイがキスしてますよ?舌と舌を絡めて…うわぁ、すごくエッチ…目も、トロンとしてて…』
『そんなに見たいんですか?だったら、お願いしないとね?』
後輩たちの前で、屈辱的なお願いをする畑川。
しかし返ってきたのは許可ではなく、冷酷な笑い声。
なおも懇願する畑川に、後輩たちは焦らし続ける。
そして、ようやく許可が下りる。
『ほら、ちゃんと見てください。センパイの大好きな中谷センパイと、三井センパイのキス』
両手で頭を掴まれ、上向かせられる。
『あっ…』
『なぁに?センパイも、キスしたいの?でも、ダメだよ?理由は分かるでしょ?だってセンパイが言ったんだからね』
『センパイ、ご自分のことなんて言ったか、覚えてます?』
『ね…寝取られ、マゾ…』
笑い声が巻き起こる。
『そうそう!寝取られマゾ!』
『好きな人が自分以外の人とエッチなことしてるのに、そんなの見て興奮するなんて、ヘンタイじゃん』
『ねー。信じらんないよね。でもさ、実際コーフンしてんだよ、コイツ…じゃなかった、畑川センパイ』
『もう、コイツでいいんじゃない?ね、いいでしょ?…ほら、本人もうんって言ってる。畑川、嬉しい?これからもっともっと、悔しがらせてあげるから、楽しみにしてなよぉ?』
3人のご主人様が、3匹のペットを引き連れて歩く。
そして、ペットの1匹は私なのだ。
どこか現実離れした状況。
でも、夢でも妄想でもない。
現実のこととして、起こっている。
耳に入ってくる、声。
その一つひとつに聞き覚えがあった。
床を這う私たちを見て、発せられた言葉。
「うわぁ、マジ?」
「なに、あの恰好…」
「ヘンタイじゃん…」
「恥ずかしくないの…」
見られてしまった。
知られてしまった。
こんな姿を。
馬術部の先輩としてではなく。
家畜として床を這う姿。
意識するたび、脳内で何かがジワッと分泌されるのが分かる。
手が、足が震えるのを、必死で堪える。
絶対に、正体を知られてはいけない。
でも、思い浮かぶのは真逆のこと。
期待、羞恥、屈辱。
混ざり合い、押し寄せる。
ゾクゾクッとする。
被支配者の象徴として嵌められた、首輪。
そこから延びるリードの先には、飼い主の手。
前へ進むたびに揺れる学生証が、存在を主張する。
この家畜は、彼女たちと同じく、この大学の学生であることを。
マスキングテープを剥がせば、全てがさらけ出されてしまう。
人として生まれながら、そのすべてを放棄した女たちの正体。
マスキングテープを、剥がされてしまったら。
1年生たちは、どんな顔をするだろう。
どんな声をあげるだろう。
どんな目で、私を見下ろすのだろう。
待ち受けているのは、我々よりも年下の女の子たち。
それも、お互いによく知る人物だ。
先輩として振舞っていた我々と。
後輩として我々を敬っていた、彼女たち。
それも、昨日までのこと。
今日からは、それが逆転する。
かつての後輩たちにひれ伏し、顔色を窺いながら愛玩動物として生きる、マゾ女たちと。
そんな私たちを詰り、蔑みながら、楽しそうに笑うご主人様たち。
その関係性は生涯続き、変わることはない。
「首元で揺れてるのって…」
「うそ、学生証…?」
「学生証を、首から下げてるの…?」
「マジ!?うちの学生!?誰?」
「分かんない…なんか貼ってあって、誰だか分からないようになってる…」
見ないで…
お願いだから…
首元の学生証。
見てくださいと言わんばかりに揺れるそれを、手で隠すこともできない。
全身を刺すような羞恥心に耐えながら、這い続ける。
好奇の視線に晒されているのを、痛いほど感じながら。
彼女たちのほうを見ることもできず、ただ声を聞きながら、じっと床を見つめる。
三井も藤崎も、それは同じらしかった。
「聞こえるでしょ?みんな、ビックリしてるよ」
浜本。
「あーあ。情けないカッコしてるとこ、みんなに見られちゃったねぇ。恥ずかしいねぇ」
私たちの羞恥心を煽る。
「ただでさえ恥ずかしいのに、これでもし正体がバレちゃったら、どうしようねぇ。みんなにバカにされちゃうねぇ」
言いながら、ふふっと笑う。
控室を出た時には、どこか曖昧だったギャラリーの声。
這い進むたび、明瞭になっていく。
目を閉じても消えず、むしろくっきりと浮かび上がっていく、己の姿。
「あんなカッコして、リードで引かれて…」
「なんか、ワンちゃんみたい…」
「優菜、ガン見してんじゃん」
「ち、ちがっ…だ、だって、びっくりしちゃって…」
「ムッツリ優菜」
「ち、違うってば!」
「しっかし、なに、あのカッコ?マジのヘンタイじゃん」
「サイアク…」
全身に突き刺さる、1年生たちの言葉。
先輩としての私たちを畏れ敬う、後輩としての声。
四つ足で這い進むマゾ女たちを嘲笑する、観客としての声。
記憶の中の声と、今まさに目の前で発せられる声とが、交錯する。
私たちのプライドをすり潰し、被虐心を掻き立てる。
「人間なのに、まるでワンちゃんみたいに…うわぁ…なんか、可哀想…」
「なんか、見ちゃいけないものを見てる気分…」
「誰だか知らないけど、あんなヘンタイ、うちの学校にいたんだ…」
「なんか、弱みでも握られてんじゃない?」
「弱み?」
「じゃなきゃ、あんなカッコしないでしょ」
自分たちの先輩とはつゆ知らず、無遠慮な言葉を投げかける1年生たち。
リードを引かれながら這う女たちの正体を知ったら、いったいどんな反応をするだろうか。
前を進む、2頭のポニーが止まった。
観客たちの前まで来たのだ。
右側に3号、左側に4号。
その間へと進むよう、畑川に促される。
1年生たちの前で並ぶ、3頭のポニー。
「マジで、誰なんだろ…?」
「こんな恥知らずな恰好…同じ大学の学生として、女として、許せないんだけど…」
「うわぁ…ホントに、人だ…うわぁ…」
「こいつら、いっちょ前に恥ずかしがってやがる」
声の主の顔を、一人ひとり思い浮かべることができる。
実際に見えているのは、彼女たちの足だけ。
「1号、3号、4号。顔を上げなさい」
新田の声。
ようやく聞けた、私のご主人様の声。
もし、顔を上げたら…
1年生たちが、どんな目で私たちを見下ろしているか。
ただでさえ、目をそむけたくなるような状況。
その上なお、厳しい現実を突き付けられる。
でも、ご主人様からの命令なのだ。
声の聞こえてくる方向から、どの脚が誰のものなのか、分かっていた。
ゆっくりと顔を上げていく。
脚。
胴体。
そして…
見慣れた、見知った顔たちが、そこにはあった。
ただ…
その表情。
口元に浮かぶ、蔑み、嘲り、憐れみ、拒絶、侮蔑。
今まで見せたことのない顔で、私たちを見下ろす1年生たち。
さっきまで脳裏に浮かんでいた顔とは、まるで違っていた。
ヒトとして、女としてのプライドを持つことなど、カケラも許さないような。
そんな目。
私はこの瞬間になって、ようやく理解した。
これは現実なのだ。
お馬さん『ゴッコ』ではない。
ヒトを乗せて楽しんでもらうための存在。
競い合い、見せ物となるための存在。
「うわっ、目が合っちゃった」
「おい、ヘンタイ。誰なんだ、おまえら」
「女の片隅にも置けない、恥知らず」
遠慮のない言葉が、投げつけられる。
「ねえ、畑川先輩。学生証に貼ってあるテープ、剥がしてもいいですか?」
再び、体が震えだした。
全身で理解する。
もう戻れないことを。
ヒトとして、彼女たちの先輩として振舞える日は、もう二度と来ない。
大貫があと少しでも手を伸ばせば。
それは現実のものになる。
大貫が、私の学生証をマジマジと覗き込む。
手を伸ばしかけた大貫を、畑川が慌てて止める。
仮に今日、彼女たちに正体がバレなかったとしても。
いつか必ず『その瞬間』はやってくる。
気付けば、他の2頭の体も震えていた。
「あれ、この子たち、なんか震えてますよ。寒いんじゃないですか?」
「こんなに暖房が効いてるのに、寒いわけじゃん。恥ずかしがってんだよ」
内海。
「そんな恰好で出てきといて、今更ビビってんのかよ。だっさ」
溝口。
彼女たちの言う通りだった。
羞恥心、あるいは恐怖。
私たちが生まれながらにして持つ、ヒトとして生きる権利。
先ほどご主人様に捧げたそれが、彼女たちにも共有されようとしていた。
私たちより後に生まれてきた者たちに。
手に渡ったが最後。
二度と、取り戻すことはできない…
でもそれは、自分が望んだことでもあるのだ。
だから、この震えは最後のあがき。
まだヒトでありたいと願う、中谷紗枝としての。


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