ポニーガールとご主人様 最終章(19)4色のカルテット

「さてと。おしゃべりはそのくらいにして、パドックへと行きましょうか」

コースを這い進む2号。
ついさっきまでは騎手として走ったその場所を、今度は馬として四つ足で進む。
きっと想像していたはずだ。
私に跨りながら、まもなく自身も同じように這うのだ、ということを。

周囲の視線を一斉に浴びながら、馬として振舞う。
同じ女として、下に見られている屈辱。
値踏みされている恥辱。
その一方で、正体がバレてしまう恐怖が押し寄せてくる。

彼女を包んでいる感情は、どこまで想像していただろうか。

2号の背には、鳥越が跨っていた。
さっきまでは、同じ騎手として競い合っていた相手。
いや、そもそも対等な存在ではなかった。
鳥越は生粋の騎手だった。
対して畑川の立場は、新田から与えられた仮初のものだったのだ。

畑川の、控え室での言葉を思い出す。
『この先に待っているのは、もうお前たちの後輩じゃないよ。お前たちが頑張って楽しませなきゃいけない、女の子たち。先輩であるどころか、もうヒトですらないんだから、逆らうことはできないからね。心を込めて、精一杯おもてなしするんだぞ?』
ボンデージへと着替えた私たちに対して、畑川が投げかけた言葉。

あれは、彼女が自分自身に向けた言葉でもあったのだ。
そして、そんな彼女を見ながら意味ありげに微笑んでいた鳥越。

いずれこうなることが分かっていたからこそ。
畑川の心のうちを見透かし、笑っていたのだろう。

「さて、ここで2号について追加情報をお伝えします」
新田が2号について解説していく。
「待ってました!」
内海がはやし立てる。

「まず戦績について。実は、馬としての出走は1度しかありません。1号と対戦し、残念ながら負けてしまいました」
「なんだよ、勝ったことないのか」
「待って、馬としての、ってことは…?」
「うん。それ以外は騎手として参加しています。で、その時の成績は、2勝2敗。まずまずの結果と言っていいのではないでしょうか」

「半々かぁ…」
「でもさ、馬として走るなら、騎手としての成績は関係なくない?」
「あ、それもそうか」

「次に、彼女の『好きなもの』ですが…皆さんも既にご存じのとおり、彼女は貞操帯というものを身につけています」
「うん」
「そして、彼女は、とある先輩を慕っています。憧れを越えて、恋をしているといってもいいでしょう」
「女の子同士ってこと、だよね」

「それと、貞操帯とどう関係しているのか。さっきの映像の中で彼女自身が言ってたんだけど…優菜、覚えてる?」

「え、私?えと、確か…見かけちゃったんだよね。部室の中で、その先輩が、新田ちゃんに、その、ちょ、調教…されてるところを。それで、止めなきゃって思ったのに、止められなくて…」
「そうなの。止められなかっただけじゃなくて、興奮しちゃったんだ。それで覗き見しながら、エッチなことしてたんだよ、このセンパイは」
「う、うん…」

「確か、寝取られマゾ、とか言ってたね」
内海が、少し照れたように笑いながら言う。
「そう、よく覚えてるね。後輩の私がその先輩のことを鞭で叩いてたの。と言っても、ムリヤリじゃないよ?その先輩が私にそうして欲しいって頼むから、してあげたの。でも、だから2号は止められなかったのかもね。だって、叩かれてる本人が嬉しそうなんだもん」

「うわぁ…なんか、カワイソウかも。好きな人が別の人に鞭で叩かれてて、嬉しそうにしてるなんて。頭がおかしくなっちゃうかも」
大貫が難しそうな顔をする。

「私だったらきっと、頭に血が昇って、逆に新田のこと鞭で叩いちゃうかも」
内海の言葉に、浜本がクスクス笑う。

「でもね、彼女の場合は違ったの。なぜかエッチな気分になっちゃって、覗き見ながら、一人で『しちゃった』んだ。私に気付かれてるとも知らずにね」
「し、しちゃったって、つまり、そういうことよね。うわぁ、信じらんない…」
2号を見つめながら、若干引き気味の大貫。
「それであの人、性癖が歪んじゃったんだ。新田も、罪なことするねぇ」
内海が、冗談めかして言う。

「それで、私に勝負を挑んできたの。勝負に勝ったら●●先輩を解放しなさい、って。でも勝てなかった。いや、違うな。そうだ、わざと負けたんだよ、この人」
「え、わざと!?どうして?」
「レースの条件だよ。勝てば、その先輩を解放できる。でも、もし負ければ、その先輩が私に調教されているところを目の前で見させられる。この人は、それが見たくてわざと負けたんだよ」
「うわ、マジ?」
「サイテーじゃん」

「本人も言ってたでしょ、寝取られマゾだって。目も前で見させられて、しかも貞操帯まで付けて、私にカギの管理までお願いしてね。私がひどいことしてるように見えるかもしれないけど、でも、そうしないとこの人も満足できないの」
「なんだか、業の深い話ね。この人も、新田も」
大貫がつぶやく。
新田が、少し寂しそうに笑った。


そしてついに、第二レースが始まろうとしていた。
何点か、第一レースと異なる点があった。
まず1つ。
コース周回ではなく、部屋の端から端までの直線コースであること。
次に、騎手はおらず、馬だけでの競争だということ。

休憩を挟んだとはいえ、一度レースを経たポニーと2号とでは明らかに不公平が生じてしまう。
そして、畑川が不在となり騎手が減った一方で、出走馬が増えているという点。
新田が騎手として参加したとしても、馬一頭分、騎手が足りなくなってしまう。

この変更案に、異議を唱える者はいなかった。

再び、投票を始める1年生。
渡された紙に、予想を書き込んでいく。
私たちはそれを、待機のポーズをしながら待つ。

「やっぱり、2号は負けないよね。さっきのレースに出てないから疲れも溜まってないだろうし」
「でもさ、あの…貞操帯?アレを着けながらだと、さすがに走りづらくない?」
「うーん、どうだろ?ねえ、優菜は誰にした?」
「えー、ヒミツ!」
「なんだよ、優菜のクセにぃ」

娯楽として楽しむ後輩たち。
その無邪気な声と笑い声が部屋に響くたび、私たちの惨めさが際立つ。
時折向けられる視線が、背筋に甘い屈辱を走らせる。

「あー、楽しみだなぁ。真剣な顔してハイハイしてる先輩たちの姿、とってもカワイイんだもん」
「確かにね。必死な顔して走ってる姿、思い出したらなんだか笑えてきた」
「えぇ、笑ったら失礼だよぉ。一生懸命頑張ってるのにぃ」

「走ってるところもいいけどさ、今度こそ罰ゲーム見たいな。となると、賭けるのはやっぱり…」
内海が、チラっと私を見る。
ふっと笑ってから、投票用紙に書き込んでいく。

私が負けると思っているのか。
悔しさと同時にこみ上げる、不安。

彼女の視線は、私の弱い部分を的確に突いてきた。

もし負けたら、私は内海に知られてしまう。
見られてしまう。
内海の言う通り、マウントを取られてしまう。
罰ゲームによって晒された情けない姿を、彼女に嘲笑われながら。

どんな目で、どんな言葉で私を詰るのだろう。
湧き出る悔しさと期待は、ボンデージによって行き場を失い、跳ね返ってくる。
そして、私のことをジリジリと責めるのだ。

全員の投票が終わり、いよいよレースが始まろうとしていた。
投票用紙の枚数と、書かれた内容を確認する新田。
その表情に笑みが浮かぶ。

レースにすっかり魅せられた1年生たち。
怯えつつも、自らの意思で出走するポニーたち。
今回の『食事会』の手ごたえを感じているのか。

倒錯的な宴は、彼女を中心として更なる盛り上がりを見せていた。

横一列に並んだ、4頭の競争馬。
端から、赤、ピンク、黒、そして白。
ゼッケン代わりの、4色のボンデージ。
お互いぶつからないよう、約1mの間隔が空けられている。

部屋の端から端までの、直線コース。
その距離は、およそ20mほど。

ゴール地点に貼られたビニールテープを最後に通過した者が、罰ゲームの対象となる。

今回は、騎手はいない。
純粋に、ポニー同士の戦いだった。

両腕に意識を向ける。
休憩時間のおかげか、今のところ疲労は感じない。
それは今感じないというだけで、蓄積はされている。
走り始めればどうなるか、分からなかった。

短距離走。
勝敗は、あっという間に決するだろう。

負けたくない。
いや、本当にそうか。

体を支配している。むずむずとした興奮。

後輩たちの声、視線。

フラッシュバックする罰ゲームの情景。

思い出すたび、体が熱くなる。
ネバネバとした情欲が、下腹からこみ上げる。

見栄や建前で覆い隠した、更に内側にある感情。

負けたい。

負けて、後輩たちの前で晒されたい。

情けない、マゾ女として。

先輩ではなく、家畜として。

本心を偽る私をなじるように、被虐願望が自己主張する。
私の内側から、カリカリと爪先で引っかいてくる。
かすかな痛み。
それは決して不快ではなく、私の情念は熱と粘性を増していく。

でも…

もし手を抜けば、1年生たちはそれを見抜くだろう。

負けて、藤崎が味わった恥辱に、私も晒されたい。
身悶えするような、自分が自分でなくなってしまうほどの、屈辱。

辱めを受けたくて、わざと負けた女。

汚名とともに晒される、私の顔と名前。

『センパーイ、負けたくて、わざと手を抜いたの?バレバレだよ?』
『そんなに素顔、見て欲しかったんです?いいですよ。ほら、見ててあげますからマスクを脱ぎなさいな。どんな情けないお顔が出てくるのかしら。お望み通り、嗤ってさしあげますね』
『あー、中谷センパイだったんだぁ。いつもは真剣にやれって私たちを叱るのに、センパイはわざと負けるなんてヒドイですぅ。…あ!でもこれで、私たちのこと叱れなくなっちゃいましたねぇ?』
『尊敬してたのに、ガッカリ。ほら中谷センパイ、負け犬らしくワンて鳴いてみなよ』

蔑みと嘲笑。

全身を包むボンデージの中で、欲情が私を苛む。
熱い吐息が漏れる。

『わざと負けるなんて、許されると思ってんの?信じらんない』
『反省するまで、出走停止です。それまではポニーよりも立場は下ですからね』

浜本と鳥越。

そして何より、新田。
呆れるだろうか。
それとも、軽蔑するだろうか。

想像し、ゾッとした。
彼女に、ガッカリさせることだけは避けたかった。

この食事会を、このレースを企画した彼女。
その顔に泥を塗ることは、絶対にしたくない。

ふと、隣を見る。

畑川。
仮初の立場を失い、ついに本来の姿へと戻った彼女。
むしろ落差が大きい分、その感情は大きく揺さぶられているのかもしれない。

ついさっきまでは先輩として、敬意を持って扱われていたのだ。

そんな畑川が、『寝取られマゾの2号』だと知られたら…

好奇心旺盛な彼女たちのことだ。
いったいどんな言葉で、表情で、彼女をなじってくるのか。

『ねえ、畑川センパイ。貞操帯で管理されるのって、辛くないの?』
優菜が、畑川の顔を覗き込む。
『これ見て?何だか分かる?うふふっ。新田ちゃんから借りたんだぁ』
ネックレスを首から外し、目の前で揺らす。
貞操帯のカギ。
『外して欲しい?ほらほら、教えてください?』
畑川の驚いた表情が、次第に蕩けていく。
切なそうに見上げてくる先輩に、イジワルそうな笑みを浮かべる。
『外してくださいって、ちゃんとオネダリできたら外してあげるんだけどなぁ』

目を見開く畑川。
優菜の顔を見つめるその目が、せわしなく動く。
後輩に懇願する屈辱と、貞操帯からの解放とを天秤にかけているのか。

そして、決心したのか…
『は、外して、ください…』
『ホントに言うとは思いませんでしたぁ。後輩にオネダリするなんて、やっぱりマゾさんて不思議ですぅ』
大げさに驚く優菜。
『そ、そんなこと、言わないで…』
唇を噛み、恥ずかしそうに俯く畑川。
羞恥で耳まで赤く染めた先輩を見て、目を細める優菜。

『でも、まだ外してあげませんよ?ごめんねセンパイ。でも、焦らされるのが好きなんでしょ?新田ちゃんから聞いたよ?』

『畑川センパイ、後輩にそこまで言われて悔しくないんスか?少しは先輩としてのプライド見せてくださいよ~』
内海の蔑んだ目に、嘲笑が滲む。
『それとも、その貞操帯ってのに骨抜きにされちゃったの?情けない。見てて恥ずかしいッス。私が鍛え直してあげましょうか?このままじゃ、優菜のペットにされちゃいますよ?』

『畑川先輩の下着、なんというか、その…ふふっ、とってもお似合いですよ?そうやって卑屈なお顔をなさっていると、余計に嗜虐心がそそられて…なんだか優菜が羨ましくなってきました。私も新田からカギを借りようかしら。可愛いオネダリの仕方、教えて差し上げますね』

『ふん、そんなもの着けさせられて、恥ずかしくないのかよ。そんなカッコして、よく私たちの前に出てこれたな。なあ、どんな気持ちなんだよ。それ、着けさせられるのって。べ、別に単純に興味があるだけだ。アンタみたいなヘンタイが、どんなこと考えてるのかってな』

畑川を蔑む溝口。
精一杯強がっているように見えるが、貞操帯への興味がにじみ出ていた。

『そんなこと言って。ホントは興味あるんじゃない、結花ちゃん?』
『は、はぁ?てめっ、優菜、テキトーなこと言ってんじゃねぇぞ!』
『ムキになるなよ、溝口ぃ。逆に怪しいぞ?』
内海に揶揄われ、不貞腐れる溝口。
『そんなに気になるなら、アナタも貞操帯を着けてもらえば?オネダリしたら、管理してくれるかもよ、優菜が?』
『お、お前らなぁっ!クソッ!もういい!』
顔を真っ赤にする溝口。

『よかったッスね、畑川センパイ。貞操帯仲間ができそうですよ。いや、仲間じゃなくてライバルかな?』
『私、畑川センパイと結花ちゃんを一緒に飼ってみたいなぁ。2匹以上を飼うことを多頭飼いっていうんだっけ?マゾさんの多頭飼いかぁ…なんだかワクワクしてきた』
優菜が目を輝かせる。
その横で怯える、ペット候補の2匹。
『貞操帯のカギのコレクションなんてのも、面白そう!畑川センパイのカギとぉ、結花ちゃんのカギとぉ、藤崎センパイのカギとぉ…』
『アンタ、よっぽどSに向いてるわ』
大貫が、呆れながら呟く。

そして、三井、藤崎。
彼女たちも、私と同じく、自らの意志でこのレースに参加している。
鳥越や浜本の前でとった、ふたりのポーズを思い出す。
あんな屈辱的なポーズをさらしてまで。

私が今感じている、『負け』への憧憬。
それを、彼女たちも抱いているのだろうか。

レースの準備をする、3人の主催者たち。
出走まで、まだ少し時間があるようだった。

私は息苦しさを感じ、膝立ちになった。
大きく息をついてから、ライバルたちのほうへ視線を移す。

畑川の、更に奥。

黒いボンデージを着たポニー。
その肩が、ゆっくりと上下していた。
自身の熱を冷ますかのように、何度も深呼吸している。
四つんばいになりながら一点を見つめる姿は、何かを思い出して浸っているようでもあった。

やっぱり、彼女も…

思い出す。
三井の、お尻を突き出したポーズ。
顔を床に伏せながら、グッとVの字に伸びた太ももとふくらはぎ。
黒いボンデージと、真っ白な柔肌のコントラストが、鮮明によみがえる。
強制ではなく、自らそうしているのだ、と。
顔こそ見えなかったが、彼女らしい意思の強そうな目が、そこにはあったはずなのだ。

お尻を小刻みに振る三井と、そのお尻に手のひらを置く浜本。
浜本に優しく撫でられた三井の吐息には、明らかに喜色が含まれていた。

そして、冒頭で流れた映像。

自身の手で押し広げられた、お尻。
繰り返し『敗北宣言』をさせられながら、地団太を踏む3号。

プライドの高い彼女が、後輩に命令されたあんなことを…
悔しさと恥ずかしさを必死に押し殺そうとする三井の声。
思い出すたび、私の子宮がキュンとなる。

やり直しをさせられるたび、身悶えする3号。
感情を必死になだめようとしていた3号と、今の三井の呼吸が、重なって見えた。

次のレースで負けたら、あの屈辱が再びやってくる。
いや、今度はモザイクも声の編集もない。
ありのまま、三井章子として後輩たちの前で。
敗北宣言をする。
自分のお尻を、アナルを、自ら押し広げながら。

そんな恐怖に、耐えている。
いや、誘惑にか。

彼女の深呼吸は、恥辱を受け入れるための心の準備なのかもしれないのだ。

三井の口から、吐息が漏れる。
それが、やけにエロティックに感じられて…
私は慌てて彼女から視線を逸らした。

ボンデージの下で、下腹部が疼く。

だめだ、これ以上三井に意識を向けていると…
私の体も、共鳴してしまう…

三井の更に奥にいる、藤崎。
彼女も、床を睨みつけていた。

先ほどの罰ゲームの記憶は、今もなお彼女を苛んでいるはずだ。
それは、見ていて十分に伝わってくる。
でもそれ以上に、彼女の目は闘争心に燃えているように見えた。

他の3頭とは違い、すでに『辱め』を味わった身。
身を焦がすような『体験』を、他のポニーにも味わわせたいというのか。
そんな気迫を感じ、私はたじろぐ。

鳥越の前でとった、藤崎のポーズ。
胸元を強調するように、両手を背中で組み、グッと後ろへ伸ばす藤崎。
そして、チロっと舌を出しながら、ご主人様に媚びる。

照れも、恥じらいもなく。
それどころか、挑発的な笑みを浮かべてウインクしたのだ。
むしろ、鳥越のほうが狼狽えていたくらいだったのだ。

藤崎の、サディストとしての残滓。
後輩たちによって駄目にされたと思っていたが、まだ彼女の中に残っている。
それを感じさせた。

でも、その嗜虐性は決してご主人様たちには向けられない。

私の、藤崎に向けられた視線。
それを感じたのか。
藤崎が、こちらを振り向いた。
目が合う。

真剣なまなざしの藤崎。
その目が更に鋭くなった。
口もとには、攻撃的な笑みを浮かべて。

私は、慌てて目を逸らした。
心臓の音。

私は後悔した。
藤崎を見ていたことを。
慌てて目を逸らしたことを。

これではまるで、闘う前から負けを認めたようなものではないか…

藤崎の目。
今も、こちらを見ているような気がしてくる。
しかし、私は再び顔を上げることはできなかった。

サディストとしての資質。
それは残滓などではなかった。
彼女はまだしっかりと隠し持っていたのだ。
後輩によって抑えつけられ、ねじ曲がってはしまったが。
むしろその分、凶悪なものに成長してしまったのではないか。

方向性と形を変えたそれは、確かに私を見て、鎌首をもたげていた。

敗北感。
私は湧き上がってくるそれを、後悔とともに苦々しく耐えるしかなかった。

先輩という立場から一転し、ポニーとして出走を待つ畑川。
『敗北宣言』への恐怖と誘惑とに耐えながら、己の内側へと籠る三井。
罰ゲームの恥辱を『共有』せんと、新たな犠牲者候補を見て舌なめずりをする藤崎。

それぞれの想いを抱えながら、その時をじっと待つ4頭のポニーたち。

1年生たちの笑い声が、私を現実に引き戻す。
そして、思い出す。
確かに言えるのは、ここにいるポニー全員が、1年生にとってはオモチャであるという事実。

私たちがどれだけ不安に怯えようが。
どれだけ対抗心を燃やそうが。
1年生にとっては、どうでもいいことだった。
そんな変化や多様性すら、彼女たちにとっては娯楽を魅力的にするためのスパイスでしかないのだ。

でもそれが、私の体を更に昂らせる。
ボンデージの締め付け。
身を捩って逃げようとするが、赤い勝負服は決してそれを許さない。
むしろ、更に意地わるく私の体に食い込んでくる。
まるで、意思を持っているかのように。
きつく締め付けられた私の秘部は、おそらく熱く濡れそぼっているはずだった。

ゴールの両サイド。
配置についた浜本と鳥越が手を上げる。
それを見た新田が、頷いた。

「準備できたみたいね。それじゃ、そろそろ始めるよ?ポニーちゃんたち、覚悟はできた?」
新田が、私たちを振り返る。
私の膝立ちに気付いた新田が、睨みつける。
私は、慌てて四つんばいの姿勢に戻る。

「よーい…スタート!」

新田の合図とともに、一斉に走り出すポニーたち。
その両サイドで、1年生たちの声援が飛び交う。
私たちの進むスピードに合わせて、ギャラリーも歩く。

必死の形相で、四つ足で進むポニーたち。
それを、立ったまま見下ろす後輩たち。

エナメルの擦り合わされる音。
4色のボンデージが奏でるカルテット。
黄色い声援。

自身の荒い呼吸が、それを遮断する。

たった20mほどの距離。
それなのに。
両腕が、疲労を主張し始める。

ボンデージの締め付け。
体を動かすたびに肌を擦る痛みが、もどかしくも切なかった。

ゴールまであと半分という地点。
畑川が頭一つ、抜けていた。

彼女に勝てないのは仕方ない。
疲労のない、万全の状態なのだ。

三井と藤崎。
この二人のどちらかに負けなければ、それでいいのだ。

頭上から降り注ぐ、後輩たちの声援。
言葉として意味を理解する前に、通り過ぎていく。
しかし、そのトゲによってつけられた無数のキズは、私に切ない痺れを与え続ける。

両腕の疲労。
後輩たちのヤジ。
そして負けへの衝動が、私の体を後ろへ引きずろうとする。

床に張られた黒いビニールテープ。
はっきりと視認できる距離になった。

ボンデージの窮屈さが、わずらわしかった。
息が苦しい。
でも、もう少しだった。

あと数メートルで、楽になれる。

ビニールテープ。
その両サイドには、審判である鳥越と浜本。

先に、ピンクのポニーがテープを通過する。
他の3頭が、その後に続いた。

四つん這いのまま、ゼエゼエと喘ぐ競走馬たち。
駆け引きなどない、全力を出し合うだけのレース。

体が、全身が、酸素を求めていた。

「はい、みなさんお疲れ様でしたー」
鳥越の声。
「第2レースの結果が出ましたよ」

「やった!待ってました!」
内海が叫ぶ。

「いやぁ、接戦だったねぇ。見てる方もハラハラしちゃったよ」
浜本。

「それじゃあ、結果は新田に発表してもらいまーす」
手のひらを上に向けて、新田を示す。

「はい。それでは発表いたします」
かしこまったような新田。
ふっと口元に笑みを浮かべ、焦らすように間を置く。

「まずは1位から… 2号!」

大丈夫。
それは分かっていた。
問題は、この後だ。

「続いて、2位は…3号!」

三井。
またしても、彼女に勝てなかった…
先ほどのレースでは自分のペースで走れた分、体力を温存できていたのかもしれない。

と、いうことは…

「そして、運命を分ける3着です。無事、罰ゲームを免れたのは、どちらのポニーか」

心臓の音が、妙に大きく聞こえる。

大きく息をつき、私と4号とを見比べる新田。
ペロッと唇を舐め、それから…

おもむろに口を開けた。

「…4号!」


ヨンゴウ?

「残念ながら、罰ゲームとなったのは1号」
私を見ながら、気の毒そうな顔をする新田。

ま、負けたの…?
私が?

心臓の音。
激しい運動をしたから、ではない。
体が何かに備え始めているのだ。

「あーあ、負けちゃったね、1号?」
浜本の声。

「頑張ってたけど、あとちょっとの差だったね。ふふっ…」
言葉は、耳に入ってくる。
しかし、何か薄い膜のようなものに阻まれて、頭の中にまで入ってこない。

心のどこかで期待していた結果のはず。
しかし、いざそうなってみると、その考えがいかに甘かったのかを痛感させられた。

「さて、見事的中させたのは誰か、発表します」

ニコニコ顔の内海。
彼女が的中者の1人であることは明らかだった。

「内海、溝口、そして優菜です」
「やったぁ!」
内海が大喜びしている。
「楽しみ過ぎて、鳥肌が立ってきた」
優菜に向けて、アハハと笑う。
「いいなぁ。私以外、全員じゃない。優菜なんて、さっきも当ててたし」
うらやましがる大貫。
優菜が、えへへ、と笑う。
「大貫だって、さっき当ててたでしょ。今度はあんたがロビーで待ってる番」
ふふんっと、冗談っぽく言う内海。
「溝口、あんたも当てられてよかったじゃん」
「…え?あ、あぁ、まぁね」
「何よ、ぼーっとしちゃって。罰ゲームが見られるのがそんなに楽しみなの?最初はあんなに嫌がってたのに、溝口もすっかり楽しんでるじゃない」
「べ、別に、そんなんじゃないし」

目の前で繰り広げられる、1年生同士のやりとり。
冷静になど、見ていられなかった。

刻一刻と『その瞬間』は近づいている。
そう考えただけで、どうにかなってしまいそうだった。

大貫が、鳥越とともにロビーへと出て行く。

新田と浜本が、例の執行台を用意している。

まるでサイレント映画を観ているかのようだった。
音声も色彩も、私の脳に届く前に削ぎ落されてしまう。
あるいは、届いているのに知覚せず通り過ぎていく。

それでも、その映画の主役は私なのだ。
刑の執行。

内海、溝口、優菜。
彼女たちの前で流される映像。
それを観ながら、3人はどんな表情を浮かべるのだろう。

映像の内容は、おおよそイメージできた。
つい先日、撮影したばかりなのだ。
その時の記憶と、先ほど観た藤崎の映像。

そして映像の後。
私は彼女たちの前でマスクを脱ぎ去る。
晒される素顔に、後輩たちの視線が集中する。

『その瞬間』を想像する。

この食事会に参加することが決まってから、ずっと想像していたこと。

後輩たちにマゾヒストとしての素顔を知られてしまう。
これまでの先輩としての立場から一転し、彼女たちの『馬』として扱われる。

中谷先輩ではなくポニーとして。
紗枝さんではなく1号として。

その瞬間が、どれほど屈辱的で甘美なものであるか。
私の心と体が、羞恥でどのように震えていくのか。

しかしそれは、想像の域を出なかった。
分かりようがないのだ。
その瞬間を迎えるまでは。

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