遠野シスターズ 第一章(1)首輪

きっかけは、姉に勉強を教わっているときだった。
期末テストの点数が悪かったアタシは、母を怒らせてしまった。
母の指示のもと、アタシは姉に勉強を教わることになったのだった。

返却された答案用紙を解きなおす。
その横で、スマホをいじっている姉。
先ほど姉に教わった解き方を思い出しながら、バツのついた設問を解きなおす。
『メンドくさいなぁ』
チラっと、姉のほうを見る。
視線に気づいた姉が、顔を上げる。
「なに、解けたの?」
「まだ…」
「まったく。集中しな」
「へいへい」
再びスマホに視線を落とす姉。

スマホの画面が、チラっと見えた。
先日行ったという、テーマパークの写真。
姉が、友人たちと一緒に映っていた。
『いいよな、お姉は。アタシだって行きたいのに…』
姉の指が動くたび、写真が切り替わっていく。
集中しているのか、こちらの視線には気づいていないようだった。
『さっさと終わらせて、ゲームの続きでもしよ…』
そんなことを考えた時だった。

スマホに一瞬、何かが映った。
「えっ!」
思わず、声が出てしまった。
ものすごい勢いで、スマホを後ろに隠す姉。
映ったのは一瞬。
でも、アタシは見逃さなかった。
「ねえ…今の、何?」
「なんでもない」
「なんでもないってこと、ないでしょ」
「だから、なんでもないったら。いいから、勉強に集中しなさい」
「あんなの見ちゃったら、集中なんてできないよ」

頭が良くて、性格も良くて、完ペキな姉。
周囲の期待を一身に背負い、それに応える優等生。
そんな姉のヒミツを垣間見てしまった。
顔を耳までまっ赤にしながら、少し怒ったような口調の姉。

スマホに映ったのは、姉の自撮り写真だった。
ただの自撮りではない。
服は着ておらず、ただ、下着のみ身につけて。
いや、それだけではなかった。
「あれってさ、もしかしてだけど…首輪?」
日焼けしていない、白い肌。
その分、首元の黒い輪が、異様な存在感を放っていた。
あれは、確かに首輪だった。

無言の姉。
「お母さんに言っ…」
「それはやめて」
言い終わらないうちに、さえぎられる。

沈黙。
何ともいえない空気が、重くのしかかる。
心臓が、ドクン、ドクンと脈打つのをアタシは感じた。

「持ってきてよ」
「…は?」
「だから、首輪、持ってきてよ。アタシが付けてあげるから」
写真を見てから、頭を占めていたこと。
言ってしまった。
「なに言ってんの、アンタ?」
馬鹿にしたような口調で言う姉だが、いつもの余裕は感じられなかった。

「お姉が首輪してるとこ、見てみたい。そしたら、お母さんには言わないでおいてあげる」
妹を睨みつける姉。
気圧されそうになるが、じっとこらえる。
はあ、とため息をつき、姉が立ち上がる。
「絶対に言わないでよ」
「わかってるって」
「ちょっと待ってな。取ってくるから」
部屋を出ていく。

優等生の姉が見せる、初めての弱み。
チラッと見えた写真が、目の奥に焼きついている。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ…
心臓の音。
なぜ、自分はこんなにもドキドキしているのか。
なぜ、自分はあんなことを言ったのか。

ドアが開く。
「おかえり」
返事はない。
やはり、どこか怒ったような顔をしながら、姉が入ってくる。
アタシの前に立つ姉の右手には、あの首輪。
「ホントに持ってきたんだ」
「アンタが持ってこいって言ったんでしょうが」
「それは、そうだけどさ」

アタシを睨みつけたまま、首輪をつき出す姉。
「…えっ?」
「付けるんでしょ、これ」
「あ、ああ、うん…」
受け取る。

黒い、革製の首輪。
長さを調整するための穴だろうか。
金属で縁取られたそれが、等間隔で並んでいる。
そして、金属の小さな輪っかが1つ、真ん中に付いていた。

『生々しい』

まず感じたのは、それだった。
姉はこれを、どんな顔をしながら買ったのだろう。
「ほら、しゃがんでよ。つけたげるから」
「うん…」
かつて見たことがないような、しおらしい表情の姉。
心臓が、ドクンとはねる。
視線が合う。
恥ずかしいのか、姉は一点を見つめながらムスッとしてしまった。
怒らせてしまったのかもしれない。
『調子に乗り過ぎたか。お姉は怒らせると恐いんだよなあ…』
そんなことをぼんやり考えつつ、首元にそれを近づける。

姉の息づかい。

あ、違う。
お姉は怒っているんじゃない。
興奮してるんだ。
アタシが今感じているのと同じ気持ちを、お姉も感じているんだ。
姉に対する畏れがスッと消えていく。
代わりに、愛おしさのようなものがこみあげてくる。

バックルを留める。
「…ん、どう、苦しくない?」
「大丈夫…」
ぶっきらぼうにこたえる姉。
目の前にいるのは、確かにアタシの姉だ。
でも…
いつもの印象とは、まったく違う。
「ふふっ。お姉、ワンちゃんみたい」
「はぁ?なに言ってんの」
「お姉、かわいいよ」
ビックリした姉が顔を上げる。

目が合う。
「お姉のこと、アタシが飼ってあげよっか」
自分で言って、自分で驚いた。
「なっ…雫、アンタ、いいかげんにしなさい…」
弱々しい姉の声。
「お姉、いや、葵のご主人様になってあげる。ねえ、いいでしょ?ダメ?」
どこかすがるような気持ちで、姉を見る。
「いいわけ、ないでしょうが」
姉の視線がそれる。
ただ、拒絶は思ったほど強くない。
己の欲求と、姉としてのプライドがせめぎあっているのだろうか。

「今日だけでいいから。お母さんにも言わないし、勉強も頑張る。だからさ、ね?」
再び、目が合う。
睨みつけていた姉は、やがて諦めようにため息をついた。
「…わかった」
やはり、どこかぶっきらぼうな姉。
でも、アタシには分かっていた。
姉も、本当はそうしたかったのだ。

再び、アタシは問題を解き始める。
その横には、やはりスマホをいじる姉。
問題に集中しようとするが、どうしても気になってしまう。
すぐ横にいる姉の首もとには、さっきアタシがつけた首輪。
首輪をつける時に感じた、背とく感。
相手は人間で、しかも実の姉なのだ。
そして、首輪をつけている時の、姉の表情…

「ほら、こっち見んな。問題に集中しなさい」
「あ、ご、ごめん」
視線に気付いた姉に叱られる。
早く解いて、終わりにしなきゃ。
そう思っても、この時間を終わらせたくないとどこかで思っている自分もいた。
そして…
耳をまっ赤にしながらスマホをいじっている姉。
この姉は、この状況をどう思っているのだろう。

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