きっかけは、姉に勉強を教わっているときだった。
期末テストの点数が悪かったアタシは、母を怒らせてしまった。
母の指示のもと、アタシは姉に勉強を教わることになったのだった。
返却された答案用紙を解きなおす。
その横で、スマホをいじっている姉。
先ほど姉に教わった解き方を思い出しながら、バツのついた設問を解きなおす。
『メンドくさいなぁ』
チラっと、姉のほうを見る。
視線に気づいた姉が、顔を上げる。
「なに、解けたの?」
「まだ…」
「まったく。集中しな」
「へいへい」
再びスマホに視線を落とす姉。
スマホの画面が、チラっと見えた。
先日行ったという、テーマパークの写真。
姉が、友人たちと一緒に映っていた。
『いいよな、お姉は。アタシだって行きたいのに…』
姉の指が動くたび、写真が切り替わっていく。
集中しているのか、こちらの視線には気づいていないようだった。
『さっさと終わらせて、ゲームの続きでもしよ…』
そんなことを考えた時だった。
スマホに一瞬、何かが映った。
「えっ!」
思わず、声が出てしまった。
ものすごい勢いで、スマホを後ろに隠す姉。
映ったのは一瞬。
でも、アタシは見逃さなかった。
「ねえ…今の、何?」
「なんでもない」
「なんでもないってこと、ないでしょ」
「だから、なんでもないったら。いいから、勉強に集中しなさい」
「あんなの見ちゃったら、集中なんてできないよ」
頭が良くて、性格も良くて、完ペキな姉。
周囲の期待を一身に背負い、それに応える優等生。
そんな姉のヒミツを垣間見てしまった。
顔を耳までまっ赤にしながら、少し怒ったような口調の姉。
スマホに映ったのは、姉の自撮り写真だった。
ただの自撮りではない。
服は着ておらず、ただ、下着のみ身につけて。
いや、それだけではなかった。
「あれってさ、もしかしてだけど…首輪?」
日焼けしていない、白い肌。
その分、首元の黒い輪が、異様な存在感を放っていた。
あれは、確かに首輪だった。
無言の姉。
「お母さんに言っ…」
「それはやめて」
言い終わらないうちに、さえぎられる。
沈黙。
何ともいえない空気が、重くのしかかる。
心臓が、ドクン、ドクンと脈打つのをアタシは感じた。
「持ってきてよ」
「…は?」
「だから、首輪、持ってきてよ。アタシが付けてあげるから」
写真を見てから、頭を占めていたこと。
言ってしまった。
「なに言ってんの、アンタ?」
馬鹿にしたような口調で言う姉だが、いつもの余裕は感じられなかった。
「お姉が首輪してるとこ、見てみたい。そしたら、お母さんには言わないでおいてあげる」
妹を睨みつける姉。
気圧されそうになるが、じっとこらえる。
はあ、とため息をつき、姉が立ち上がる。
「絶対に言わないでよ」
「わかってるって」
「ちょっと待ってな。取ってくるから」
部屋を出ていく。
優等生の姉が見せる、初めての弱み。
チラッと見えた写真が、目の奥に焼きついている。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ…
心臓の音。
なぜ、自分はこんなにもドキドキしているのか。
なぜ、自分はあんなことを言ったのか。
ドアが開く。
「おかえり」
返事はない。
やはり、どこか怒ったような顔をしながら、姉が入ってくる。
アタシの前に立つ姉の右手には、あの首輪。
「ホントに持ってきたんだ」
「アンタが持ってこいって言ったんでしょうが」
「それは、そうだけどさ」
アタシを睨みつけたまま、首輪をつき出す姉。
「…えっ?」
「付けるんでしょ、これ」
「あ、ああ、うん…」
受け取る。
黒い、革製の首輪。
長さを調整するための穴だろうか。
金属で縁取られたそれが、等間隔で並んでいる。
そして、金属の小さな輪っかが1つ、真ん中に付いていた。
『生々しい』
まず感じたのは、それだった。
姉はこれを、どんな顔をしながら買ったのだろう。
「ほら、しゃがんでよ。つけたげるから」
「うん…」
かつて見たことがないような、しおらしい表情の姉。
心臓が、ドクンとはねる。
視線が合う。
恥ずかしいのか、姉は一点を見つめながらムスッとしてしまった。
怒らせてしまったのかもしれない。
『調子に乗り過ぎたか。お姉は怒らせると恐いんだよなあ…』
そんなことをぼんやり考えつつ、首元にそれを近づける。
姉の息づかい。
あ、違う。
お姉は怒っているんじゃない。
興奮してるんだ。
アタシが今感じているのと同じ気持ちを、お姉も感じているんだ。
姉に対する畏れがスッと消えていく。
代わりに、愛おしさのようなものがこみあげてくる。
バックルを留める。
「…ん、どう、苦しくない?」
「大丈夫…」
ぶっきらぼうにこたえる姉。
目の前にいるのは、確かにアタシの姉だ。
でも…
いつもの印象とは、まったく違う。
「ふふっ。お姉、ワンちゃんみたい」
「はぁ?なに言ってんの」
「お姉、かわいいよ」
ビックリした姉が顔を上げる。
目が合う。
「お姉のこと、アタシが飼ってあげよっか」
自分で言って、自分で驚いた。
「なっ…雫、アンタ、いいかげんにしなさい…」
弱々しい姉の声。
「お姉、いや、葵のご主人様になってあげる。ねえ、いいでしょ?ダメ?」
どこかすがるような気持ちで、姉を見る。
「いいわけ、ないでしょうが」
姉の視線がそれる。
ただ、拒絶は思ったほど強くない。
己の欲求と、姉としてのプライドがせめぎあっているのだろうか。
「今日だけでいいから。お母さんにも言わないし、勉強も頑張る。だからさ、ね?」
再び、目が合う。
睨みつけていた姉は、やがて諦めようにため息をついた。
「…わかった」
やはり、どこかぶっきらぼうな姉。
でも、アタシには分かっていた。
姉も、本当はそうしたかったのだ。
再び、アタシは問題を解き始める。
その横には、やはりスマホをいじる姉。
問題に集中しようとするが、どうしても気になってしまう。
すぐ横にいる姉の首もとには、さっきアタシがつけた首輪。
首輪をつける時に感じた、背とく感。
相手は人間で、しかも実の姉なのだ。
そして、首輪をつけている時の、姉の表情…
「ほら、こっち見んな。問題に集中しなさい」
「あ、ご、ごめん」
視線に気付いた姉に叱られる。
早く解いて、終わりにしなきゃ。
そう思っても、この時間を終わらせたくないとどこかで思っている自分もいた。
そして…
耳をまっ赤にしながらスマホをいじっている姉。
この姉は、この状況をどう思っているのだろう。
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