翌日。
朝顔を合わせた姉は、いつもの姉に戻っていた。
口うるさい姉に身だしなみを指摘されながら、昨夜の出来事を思い出す。
あれは夢だったのか?
そんなわけないよな、と思いつつも、目の前にいる姉を見ていると、自信が持てなくなってくる。
通学中も、授業中も、部活中も。
気付くと、昨夜のことを考えている。
カンペキな姉の、意外すぎる一面。
わざわざ首輪を買って、自撮りをするくらいなのだから、そういう願望があるのかもしれない。
でも、あのお姉に?
あの首輪は、本当に姉が買ったのか?
実は付き合っている人がいて、その人から渡されたのではないか?
あの写真も、その人に送るために撮ったのだとしたら…
ふいに、言いようのない不安に襲われる。
姉が誰かにとられてしまう。
自分から遠く離れてしまう。
これまで感じたことのない感情だった。
幼いころからずっと、あの姉と比較されてきたのだ。
家でも、近所でも、学校でも。
そのたびに、姉の存在は重くのしかかってきた。
姉のようになろうとしたことも一度や二度ではない。
でも、そのたびに思い知らされてきた。
自分は、姉のようにはなれない。
姉とは別の学校へ進学するつもりだったし、その後は一人暮らしをしようと思っていた。
そんな自分が今、姉の恋人に嫉妬しているのだ。
夕食後。
姉の部屋をノックする。
「何?なんか用?」
「あのさ…また勉強教えてほしいんだけど…」
顔を出した姉に、おずおずとたずねる。
一瞬驚き、すぐにうたがわしそうな顔になる。
「なんか、企んでるでしょ」
「企んでないよ!じゃあいいよ、頼まないから」
「うそうそ!アンタからそんなこと言うのめずらしいからさ。入りな」
「うん…」
部屋中央のテーブルに座る。
「テストの内容で、まだ分かんないとこがあって…」
「どれ、見してみ?」
渡した問題用紙に目を通している姉。
そんな姉を、ドキドキしながら眺める。
「あー、これか。確かに分かりにくいとこだな。いい?これはね…」
「うん…」
テーブルに置かれた問題用紙を、ふたりで覗き込む。
メモ帳に図を書きながら説明する姉。
それを、あいずちを打ちながら聞く。
「…どう、分かった?」
「そ、分かった。分かんないのは、こんだけ?」
「いや、まだあるけど、大丈夫?」
「大丈夫だから。で、どれ?」
そのまま、9時過ぎまで勉強は続いた。
「ふぅ。これで終わりか。お疲れさん」
「ん。お姉、ありがと」
「どういたしまして」
「あ、あのさ…」
「なに?」
「アイス買ってあるんだけど、食べる?」
「え?姉ちゃんの分も買ってきたってこと?」
「うん」
「そう。じゃあ、もらおっかな」
「分かった。持ってくる」
冷凍庫に入れておいたアイスを2つ取り出し、再び姉の部屋へ。
「チョコミントじゃん!」
歯磨き粉のような味がして、アタシは好きではないのだが、姉は昔からこれが好きだった。
自分は、普通のバニラアイスを食べる。
「なんか久しぶりだね。アンタとこうやってアイス食べるの」
「そうだね」
「なんか、言いたいことでもあんの?」
姉は何でもお見通しだった。
「うん…」
「やっぱりね。そんなことだろうと思った」
「あのさ、お姉って、つきあってる人とかいるの?」
食べかけのアイスを吹き出す姉。
「なっ、なに?いきなり」
「いや、その…お姉って、中学のころからモテてたじゃん?頭もいいし、妹のアタシが言うのもアレだけど、見た目も悪くないし」
「うーん…」
「いても、おかしくないよなって思って」
「まあ、何人かには告られたけどね」
「そっ、そうなんだ」
「でも、断わった」
「えっ…」
「告ってくるやつに限って、好みのタイプじゃないんだよね。それに今は部活が楽しくて、そういうのはいいかなって」
安心したのか、ニヤけそうになる顔を、必死に抑える。
「なんで?気になんの?」
「気になるっていうか、その…」
「なに?言いたいことがあるならハッキリ言いな」
「昨日のこと、覚えてるよね?」
首輪のこととは言えず、あいまいに言う。
「あ、ああ…アレ、ね」
「付き合ってる人に言われて、写真撮ったりしてたのかなって…」
「ま、まあ、アンタがそう考えても、おかしくはないのかな」
あはは、と苦笑いする姉。
「じゃあさ、アレは完全にお姉の趣味ってこと?」
姉の顔つきが険しくなる。
「そうだよ。悪い?でもアンタには関係ないでしょ。誰に迷惑かけてるわけでもないし。それに昨日約束したよね。絶対に言わないって」
一気にまくし立てられる。
「別に、誰にも言わないよ。それに、責めてるわけでも、バカにしてるわけでもない」
「じゃあ、なんなの?」
「昨日、お姉に首輪をつけたとき、すごいドキドキした。それで、もっとこうしてたいってずっと思ってた。なんか、その、うまく言えないけど…」
姉が、じっと見つめてくる。
「アタシ、バカだからうまく言えないけど、満たされるっていうか…怒らないで聞いてよ?なんかさ、お姉のこと、カワイイって思った…」
「なっ、なに言ってんの…」
「学校にいる時も、ずっと考えてて…お姉が誰かと付き合ってるのかなって思ったら、その、ちょっとだけ、さびしいなって思った」
「うん…」
「こんなこと言うの、間違ってると思うけど…お姉のこと、誰にも渡したくないって思った。だから…ゴメン、気持ちわるいね、アタシ」
「そんなことないよ」
姉の手が、アタシの頭を優しくなでる。
「私も、ムキになってゴメン。誰にも言えなくて、恥ずかしくてさ…」
「うん…」
「今だから言うけどさ、私もちょっとドキドキしてたんだよ、昨日」
「えーっ、ホントに?」
恥ずかしそうに笑う姉。
「お姉がイヤじゃなかったらなんだけど…また、首輪つけさせてほしい」
姉が、机の引き出しを開ける。
「はい」
引き出しから取り出したそれを、手渡される。
やはり、ぶっきらぼうで。
でも、昨日よりはどこか表情がやわらかい気がして、それが少し嬉しかった。
目の前で正座をした姉。
表情や息づかいから、姉の緊張が、興奮が伝わってくる。
首元に、手を伸ばす。
首輪を巻き付け、バックルを留める。
苦しくならないように、少し余裕を持たせて。
「はい、付けたよ」
「うん…」
なぜかお互い正座をしたまま、黙って向きあう。
顔を赤らめた姉が、上目づかいで妹を見る。
「お姉、かわいいよ」
「よ、よしてよ」
赤かった顔が、更に赤くなる。
「お姉のこと、誰にも渡したくない。独り占めしたい」
「うん…」
「お姉はさ、ただ首輪を付けてみたかったの?」
「ん、どういうこと?」
「だからさ、首輪を付けること自体が目的で、それで満足できるの?それとも、その、たとえばだけど…」
「うん」
「変なこと言うけど、犬みたいに誰かに飼われたり、したいのかなって」
「じっと、押し黙る姉。
「ごっ、ごめん、やっぱり今のナシで、だから…」
「あのさ」
「え?あ、うん」
「アンタは、どうしたいワケ?」
「えっ…」
「そんなこと聞いてさ。もし仮に私がそうだって言ったら、アンタどうすんの?」
声には抑揚がなかった。
怒っているのか、呆れているのか、どちらでもないのか。
言葉の真意は分からない。
でも、ここでごまかすべきではないということは、なんとなく分かった。
「アタシはさ、お姉のこと、飼いたい。もしお姉が誰かに飼われたいって思ってるなら、アタシがいい。別の誰かになんて、絶対いやだよ…」
「そう」
「お姉の嫌がることはしない。絶対、誰にも言わない。大切にお世話します。だから…」
自分はなぜこんなに必死になっているのだろう。
「ぷっ…なにそれ」
姉が噴き出した。
姉が、優しく微笑む。
「泣くなよ。なんで泣くんだよ」
「別に、泣いてないよ」
「まったく…ちょっと、考えさせて。明日の夕食後、また姉ちゃんの部屋にきな。いい、分かった?」
「分かった」
「よし、じゃあもうこんな時間だし、お風呂入って、今日はもう寝な」
「うん…」
去り際に振り返る。
「姉ちゃん。今日はありがと。おやすみなさい」
ニコッと笑って、手をふる姉。
お風呂に入っている時も、布団に入った時も。
姉の顔が浮かぶ。
そして…
『もしお姉が誰かに飼われたいって思ってるなら、アタシがいい』
自分はなんてことを言ってしまったのだろう。
身もだえする。
姉は、どう思ったのだろう。
翌朝、いつものように顔を合わせるふたり。
そして、いつものように口うるさい姉。
いつもと変わらない朝。
いつもと違うのは、自分だけなのだろうか。
結局、目がさえてしまい、昨夜はなかなか寝つけなかったのだ。
今だって、姉の顔を直視できず、それをごまかすようにぶっきらぼうにこたえてしまう。
「ほら、寝グセも直ってないし、まったく…」
「へいへい」
「そんなんじゃ、いつまで経っても…姉ちゃんのお世話なんて、できないよ?」
「えっ?」
思わず顔を見上げる。
そこには、顔を赤くした姉がいた。
「ほら、グズグズしない!遅刻しても知らないぞ!」
照れ隠しなのか、やはりぶっきらぼうに言うと、リビングから出ていってしまった。
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