遠野シスターズ 第一章(2)告白

翌日。
朝顔を合わせた姉は、いつもの姉に戻っていた。
口うるさい姉に身だしなみを指摘されながら、昨夜の出来事を思い出す。
あれは夢だったのか?
そんなわけないよな、と思いつつも、目の前にいる姉を見ていると、自信が持てなくなってくる。
通学中も、授業中も、部活中も。
気付くと、昨夜のことを考えている。

カンペキな姉の、意外すぎる一面。
わざわざ首輪を買って、自撮りをするくらいなのだから、そういう願望があるのかもしれない。
でも、あのお姉に?
あの首輪は、本当に姉が買ったのか?
実は付き合っている人がいて、その人から渡されたのではないか?
あの写真も、その人に送るために撮ったのだとしたら…

ふいに、言いようのない不安に襲われる。
姉が誰かにとられてしまう。
自分から遠く離れてしまう。
これまで感じたことのない感情だった。
幼いころからずっと、あの姉と比較されてきたのだ。
家でも、近所でも、学校でも。
そのたびに、姉の存在は重くのしかかってきた。
姉のようになろうとしたことも一度や二度ではない。
でも、そのたびに思い知らされてきた。
自分は、姉のようにはなれない。
姉とは別の学校へ進学するつもりだったし、その後は一人暮らしをしようと思っていた。
そんな自分が今、姉の恋人に嫉妬しているのだ。

夕食後。
姉の部屋をノックする。
「何?なんか用?」
「あのさ…また勉強教えてほしいんだけど…」
顔を出した姉に、おずおずとたずねる。
一瞬驚き、すぐにうたがわしそうな顔になる。
「なんか、企んでるでしょ」
「企んでないよ!じゃあいいよ、頼まないから」
「うそうそ!アンタからそんなこと言うのめずらしいからさ。入りな」
「うん…」

部屋中央のテーブルに座る。
「テストの内容で、まだ分かんないとこがあって…」
「どれ、見してみ?」
渡した問題用紙に目を通している姉。
そんな姉を、ドキドキしながら眺める。
「あー、これか。確かに分かりにくいとこだな。いい?これはね…」
「うん…」
テーブルに置かれた問題用紙を、ふたりで覗き込む。
メモ帳に図を書きながら説明する姉。
それを、あいずちを打ちながら聞く。
「…どう、分かった?」
「そ、分かった。分かんないのは、こんだけ?」
「いや、まだあるけど、大丈夫?」
「大丈夫だから。で、どれ?」

そのまま、9時過ぎまで勉強は続いた。
「ふぅ。これで終わりか。お疲れさん」
「ん。お姉、ありがと」
「どういたしまして」
「あ、あのさ…」
「なに?」
「アイス買ってあるんだけど、食べる?」
「え?姉ちゃんの分も買ってきたってこと?」
「うん」
「そう。じゃあ、もらおっかな」
「分かった。持ってくる」

冷凍庫に入れておいたアイスを2つ取り出し、再び姉の部屋へ。
「チョコミントじゃん!」
歯磨き粉のような味がして、アタシは好きではないのだが、姉は昔からこれが好きだった。
自分は、普通のバニラアイスを食べる。
「なんか久しぶりだね。アンタとこうやってアイス食べるの」
「そうだね」
「なんか、言いたいことでもあんの?」
姉は何でもお見通しだった。
「うん…」
「やっぱりね。そんなことだろうと思った」

「あのさ、お姉って、つきあってる人とかいるの?」
食べかけのアイスを吹き出す姉。
「なっ、なに?いきなり」
「いや、その…お姉って、中学のころからモテてたじゃん?頭もいいし、妹のアタシが言うのもアレだけど、見た目も悪くないし」
「うーん…」
「いても、おかしくないよなって思って」
「まあ、何人かには告られたけどね」
「そっ、そうなんだ」
「でも、断わった」
「えっ…」
「告ってくるやつに限って、好みのタイプじゃないんだよね。それに今は部活が楽しくて、そういうのはいいかなって」
安心したのか、ニヤけそうになる顔を、必死に抑える。

「なんで?気になんの?」
「気になるっていうか、その…」
「なに?言いたいことがあるならハッキリ言いな」
「昨日のこと、覚えてるよね?」
首輪のこととは言えず、あいまいに言う。
「あ、ああ…アレ、ね」
「付き合ってる人に言われて、写真撮ったりしてたのかなって…」
「ま、まあ、アンタがそう考えても、おかしくはないのかな」
あはは、と苦笑いする姉。
「じゃあさ、アレは完全にお姉の趣味ってこと?」
姉の顔つきが険しくなる。

「そうだよ。悪い?でもアンタには関係ないでしょ。誰に迷惑かけてるわけでもないし。それに昨日約束したよね。絶対に言わないって」
一気にまくし立てられる。
「別に、誰にも言わないよ。それに、責めてるわけでも、バカにしてるわけでもない」
「じゃあ、なんなの?」
「昨日、お姉に首輪をつけたとき、すごいドキドキした。それで、もっとこうしてたいってずっと思ってた。なんか、その、うまく言えないけど…」
姉が、じっと見つめてくる。
「アタシ、バカだからうまく言えないけど、満たされるっていうか…怒らないで聞いてよ?なんかさ、お姉のこと、カワイイって思った…」
「なっ、なに言ってんの…」
「学校にいる時も、ずっと考えてて…お姉が誰かと付き合ってるのかなって思ったら、その、ちょっとだけ、さびしいなって思った」
「うん…」
「こんなこと言うの、間違ってると思うけど…お姉のこと、誰にも渡したくないって思った。だから…ゴメン、気持ちわるいね、アタシ」

「そんなことないよ」
姉の手が、アタシの頭を優しくなでる。
「私も、ムキになってゴメン。誰にも言えなくて、恥ずかしくてさ…」
「うん…」
「今だから言うけどさ、私もちょっとドキドキしてたんだよ、昨日」
「えーっ、ホントに?」
恥ずかしそうに笑う姉。
「お姉がイヤじゃなかったらなんだけど…また、首輪つけさせてほしい」

姉が、机の引き出しを開ける。
「はい」
引き出しから取り出したそれを、手渡される。
やはり、ぶっきらぼうで。
でも、昨日よりはどこか表情がやわらかい気がして、それが少し嬉しかった。
目の前で正座をした姉。
表情や息づかいから、姉の緊張が、興奮が伝わってくる。
首元に、手を伸ばす。
首輪を巻き付け、バックルを留める。
苦しくならないように、少し余裕を持たせて。

「はい、付けたよ」
「うん…」
なぜかお互い正座をしたまま、黙って向きあう。
顔を赤らめた姉が、上目づかいで妹を見る。
「お姉、かわいいよ」
「よ、よしてよ」
赤かった顔が、更に赤くなる。
「お姉のこと、誰にも渡したくない。独り占めしたい」
「うん…」

「お姉はさ、ただ首輪を付けてみたかったの?」
「ん、どういうこと?」
「だからさ、首輪を付けること自体が目的で、それで満足できるの?それとも、その、たとえばだけど…」
「うん」
「変なこと言うけど、犬みたいに誰かに飼われたり、したいのかなって」
「じっと、押し黙る姉。
「ごっ、ごめん、やっぱり今のナシで、だから…」
「あのさ」
「え?あ、うん」
「アンタは、どうしたいワケ?」
「えっ…」
「そんなこと聞いてさ。もし仮に私がそうだって言ったら、アンタどうすんの?」

声には抑揚がなかった。
怒っているのか、呆れているのか、どちらでもないのか。
言葉の真意は分からない。
でも、ここでごまかすべきではないということは、なんとなく分かった。
「アタシはさ、お姉のこと、飼いたい。もしお姉が誰かに飼われたいって思ってるなら、アタシがいい。別の誰かになんて、絶対いやだよ…」
「そう」
「お姉の嫌がることはしない。絶対、誰にも言わない。大切にお世話します。だから…」
自分はなぜこんなに必死になっているのだろう。
「ぷっ…なにそれ」
姉が噴き出した。
姉が、優しく微笑む。
「泣くなよ。なんで泣くんだよ」
「別に、泣いてないよ」
「まったく…ちょっと、考えさせて。明日の夕食後、また姉ちゃんの部屋にきな。いい、分かった?」
「分かった」
「よし、じゃあもうこんな時間だし、お風呂入って、今日はもう寝な」
「うん…」
去り際に振り返る。
「姉ちゃん。今日はありがと。おやすみなさい」
ニコッと笑って、手をふる姉。

お風呂に入っている時も、布団に入った時も。
姉の顔が浮かぶ。
そして…
『もしお姉が誰かに飼われたいって思ってるなら、アタシがいい』
自分はなんてことを言ってしまったのだろう。
身もだえする。
姉は、どう思ったのだろう。


翌朝、いつものように顔を合わせるふたり。
そして、いつものように口うるさい姉。
いつもと変わらない朝。
いつもと違うのは、自分だけなのだろうか。
結局、目がさえてしまい、昨夜はなかなか寝つけなかったのだ。
今だって、姉の顔を直視できず、それをごまかすようにぶっきらぼうにこたえてしまう。
「ほら、寝グセも直ってないし、まったく…」
「へいへい」
「そんなんじゃ、いつまで経っても…姉ちゃんのお世話なんて、できないよ?」
「えっ?」
思わず顔を見上げる。
そこには、顔を赤くした姉がいた。
「ほら、グズグズしない!遅刻しても知らないぞ!」
照れ隠しなのか、やはりぶっきらぼうに言うと、リビングから出ていってしまった。

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