自分にとって、姉とは何なのだろう。
家を出てから、ずっとそんなことを考える。
物心ついた時から、そばには姉がいた。
優秀な姉のように、自分を育てようとする親。
姉のような成績を期待し、そして、ガッカリした顔をする先生や部活の先輩。
口うるさく、自分にあれこれ言ってくる姉。
疎ましさ、煩わしさ。
さびしさも、もしかしたらあったかもしれない。
でも、何より強いのは、劣等感だった。
何をしても姉のようにはできない。
本当は、そんなことないのかもしれない。
部活も趣味も、あえて姉とは違うものにした。
バスケもゲームも、姉より上手くできる。
当たり前だ。
どちらも、姉はほとんどやらないのだから。
もし姉が、どちらも本気でやれば、自分なんですぐに追い抜かれてしまう。
そんな思いはアタシの中で、消し去りがたい恐怖としてずっと存在していた。
姉が嫌いなわけではない。
ただ、姉の妹であり続けることが、しんどいというのも事実だった。
この街を離れ、姉のことを知っている人のいない場所へ行きたい。
いつしか、そう思うようになっていた。
それなのに。
あの日、姉のヒミツを知った時から、アタシの中で何かが変わった。
今朝のやりとりを思い出す。
『そんなんじゃ、いつまで経っても…姉ちゃんのお世話なんて、できないよ?』
顔を赤くした姉。
胸がキュッと切なくなる。
あの言葉の真意が知りたい。
期待していいのか?
そもそも、アタシは姉に何を期待しているというのだ?
考えれば考えるほど、自分が分からなくなる。
ただ、姉を誰かにとられたくないと思うのは確かだ。
そして、首輪をつけた姉を見ているときに、こみ上げてくる感情。
愛おしさのような、守ってあげたくなるような、温かい感情。
それでいて、ちょっとイジワルしたくなるような、不思議な気持ちだった。
『明日の夕食後、また姉ちゃんの部屋にきな。いい、分かった?』
昨日の姉の言葉。
何を言われるのだろう。
いてもたってもいられず、ソワソワしてしまう。
自分を受け入れてくれるのか、あるいは拒絶されてしまうのか…
どちらにせよ、もうこれまでのような関係には戻れない。
そもそも、自分の妹に飼われたいなんて思う人がいるだろうか。
もし、姉に拒絶されたら。
自分は耐えられるだろうか。
夕食後。
「お姉、入っていい?」
気持ちの整理もできないまま。
ドアをノックする。
「いいよ」
部屋から、姉の返事。
ドアを開け、中へと入る。
机のイスに座った姉と、目が合う。
そのまま中へ進み、テーブルの前で座る。
イスから立ち上がった姉が、アタシの正面に座った。
「ちょっと、アンタ、なんて顔してんの」
姉が冗談っぽく言う。
「あのさ。昨日アンタ、お姉ちゃんのこと飼いたいって言ったでしょ?あれから、姉ちゃん考えたんだ」
「うん…」
「首輪のこと、アンタに知られた時は本当にサイアクだって思った。こんなこと、誰にも知られたくなかったし…それが、よりによって自分の妹にって」
胸が締め付けられる。
「絶対、バカにされると思った。お母さんにもお父さんにも知られる。学校のみんなにも。そうなったらもうオシマイだって、本気で思った」
言えるわけない。
そう思ったが、口にはしなかった。
「でも、アンタはバカにしなかった。誰にも言わないでいてくれた」
姉の、真剣なまなざし。
「首輪を付けた時、アンタ、姉ちゃんのこと、ワンちゃんみたいって言ったでしょ」
「ご、ごめん…」
「違うの。あの時、姉ちゃん、ドキッとしたんだ」
「えっ?」
「姉ちゃんさ、自分で首輪をつけたり、写真を撮ったりしながら、思ってたんだ。犬になって、誰かに思いきり甘えたい。ほめてもらったり、時にはしかられたり…」
ぶっきらぼうな言い方ではなく、いたってまじめな口調で。
「いつか、そんな人が現れたらいいなって、ずっと思ってた。でも、こんなこと誰にも言えないし、言ったところで理解してもらえるとは思えない」
なんと返事したらいいか分からず、黙ってうなずく。
「アンタに首輪つけてもらってる時も、私のこと、かわいいって言ってくれたり、独り占めしたいって言われたときも、ドキドキしてたんだよ」
「うん…」
「もっとこうしてたいって言ってくれた時も、うれしかった。でもさ…」
「うん…」
「私たち、姉妹じゃん?私は姉で、アンタは妹。姉の私が妹のアンタを巻き込んじゃダメでしょ?姉としてというか、人として。許されるわけないじゃんね」
最後のほうは声がふるえていた。
姉は、ここまで真剣に考えてくれていたのだ。
自分のことを、これほどまで、大切に思ってくれているのだ。
それなのにアタシは、自分のことしか考えていなかった。
目の前で涙を流しているこの人は、やはり私の姉なのだ。
年上であり、口やかましく、わずらわしいと思うことも多いが。
それでも、大切な家族で、たった一人の姉だった。
この人にはかなわないなあ。
「そこまで考えてくれてるとは思わなかった」
「考えるよ、当然」
「アタシの言葉が、お姉を追いつめちゃったんだね、ごめん…お姉を苦しめたり、悲しませたりはしたくない。お姉が嫌なら、これまで通りの関係でいたい」
「私は…」
何か言いかけて、口ごもる姉。
「でもさ…巻き込んじゃだめっていうのは、ちょっと違うと思う。アタシもお姉のために役に立ちたい。お姉の満たされないなにかを、自分が少しでも埋められるなら」
姉と目が合う。
この人と、いつも比較されてきた。
優秀で、周りからの期待にいつも応えてきた姉。
この人のようにならなきゃと思って、でも、どうしてもダメで…
アタシは、息苦しくて、自分が情けなくて、悔しくて…
いつか、この人のいない遠いところへ行きたいとすら思っていた。
でも、自分だけでなく、姉もまた、人知れず苦しんできたのだ。
「姉妹だからとか、そんなの関係ないよ。いつか、お姉のことをアタシより分かってくれる人が現れるまで、お姉と一緒にいたい。自分の…アタシの、エゴかもしれないけど」
涙をこらえながら。
たどたどしかったかもしれないが、関係ない。
ただ、この気持ちが伝わってほしい。
それだけを、念じながら。
「いいのかなぁ…許されるのかなぁ、アンタに甘えちゃっても」
「お姉は難しく考えすぎなんだよ。いいんだよ、甘えて。カンネンして、アタシに甘えちゃいな」
「ふふっ。何それ」
姉が笑った。
「これ、姉ちゃんに付けて」
首輪を渡される。
最初見たときに感じた「生々しい」という印象は、今も変わらない。
でも、少しだけ、愛着のようなものもあった。
姉が抱えている、満たされない思い。
それを、この首輪を通して少しでも自分が満たしてあげられたら。
姉の首もとに、革製のそれを近づける。
3回目ともなると、手慣れたものだった。
ただ、気持ちはこれまでとは全く違った。
これから先、どれだけ一緒にいられるかは分からない。
でも、それまでは自分が姉の飼い主になるのだ。
「はい、付けたよ」
手を、首輪から離す。
「ん、ありがと…」
はにかんだように、上目づかいでアタシを見る姉。
「それじゃあ、改めてよろしくね、ご主人様。私のこと、大切にしてね?」
心臓が、とびはねた。
「うん。お姉のこと…葵のこと、大切にする。ぜったいに私が幸せにするから」
「なーに言ってんの」
照れながら、アハハと笑う葵。
「てか、葵可愛すぎ。もっかい言ってよ、さっきの」
「調子に乗るなwもっかいって、何を?」
「ご主人様、とか、大切にしてね、とか」
軽く、頭を小突かれる。
二人を包む、やさしく、あたたかな空気。
こんな幸せが、いつまでも続けばいいのに。
この先どんなことがあるか、分からない。
姉は、自分なんかより頭がいいから、その辺りのことはもっとよく見えているのかもしれない。
でも。
どんなことがあっても、乗り越える。
そう決意する。
だって自分は、葵のご主人様なのだ。
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