遠野シスターズ 第一章(3)決意

自分にとって、姉とは何なのだろう。
家を出てから、ずっとそんなことを考える。
物心ついた時から、そばには姉がいた。
優秀な姉のように、自分を育てようとする親。
姉のような成績を期待し、そして、ガッカリした顔をする先生や部活の先輩。
口うるさく、自分にあれこれ言ってくる姉。
疎ましさ、煩わしさ。
さびしさも、もしかしたらあったかもしれない。
でも、何より強いのは、劣等感だった。
何をしても姉のようにはできない。
本当は、そんなことないのかもしれない。
部活も趣味も、あえて姉とは違うものにした。
バスケもゲームも、姉より上手くできる。

当たり前だ。

どちらも、姉はほとんどやらないのだから。
もし姉が、どちらも本気でやれば、自分なんですぐに追い抜かれてしまう。
そんな思いはアタシの中で、消し去りがたい恐怖としてずっと存在していた。
姉が嫌いなわけではない。
ただ、姉の妹であり続けることが、しんどいというのも事実だった。
この街を離れ、姉のことを知っている人のいない場所へ行きたい。
いつしか、そう思うようになっていた。
それなのに。
あの日、姉のヒミツを知った時から、アタシの中で何かが変わった。
今朝のやりとりを思い出す。

『そんなんじゃ、いつまで経っても…姉ちゃんのお世話なんて、できないよ?』

顔を赤くした姉。
胸がキュッと切なくなる。
あの言葉の真意が知りたい。
期待していいのか?
そもそも、アタシは姉に何を期待しているというのだ?
考えれば考えるほど、自分が分からなくなる。
ただ、姉を誰かにとられたくないと思うのは確かだ。
そして、首輪をつけた姉を見ているときに、こみ上げてくる感情。
愛おしさのような、守ってあげたくなるような、温かい感情。
それでいて、ちょっとイジワルしたくなるような、不思議な気持ちだった。
『明日の夕食後、また姉ちゃんの部屋にきな。いい、分かった?』
昨日の姉の言葉。
何を言われるのだろう。
いてもたってもいられず、ソワソワしてしまう。
自分を受け入れてくれるのか、あるいは拒絶されてしまうのか…
どちらにせよ、もうこれまでのような関係には戻れない。
そもそも、自分の妹に飼われたいなんて思う人がいるだろうか。
もし、姉に拒絶されたら。 
自分は耐えられるだろうか。

夕食後。
「お姉、入っていい?」
気持ちの整理もできないまま。
ドアをノックする。
「いいよ」
部屋から、姉の返事。
ドアを開け、中へと入る。
机のイスに座った姉と、目が合う。
そのまま中へ進み、テーブルの前で座る。
イスから立ち上がった姉が、アタシの正面に座った。

「ちょっと、アンタ、なんて顔してんの」
姉が冗談っぽく言う。
「あのさ。昨日アンタ、お姉ちゃんのこと飼いたいって言ったでしょ?あれから、姉ちゃん考えたんだ」
「うん…」
「首輪のこと、アンタに知られた時は本当にサイアクだって思った。こんなこと、誰にも知られたくなかったし…それが、よりによって自分の妹にって」
胸が締め付けられる。
「絶対、バカにされると思った。お母さんにもお父さんにも知られる。学校のみんなにも。そうなったらもうオシマイだって、本気で思った」
言えるわけない。
そう思ったが、口にはしなかった。

「でも、アンタはバカにしなかった。誰にも言わないでいてくれた」
姉の、真剣なまなざし。
「首輪を付けた時、アンタ、姉ちゃんのこと、ワンちゃんみたいって言ったでしょ」
「ご、ごめん…」
「違うの。あの時、姉ちゃん、ドキッとしたんだ」
「えっ?」
「姉ちゃんさ、自分で首輪をつけたり、写真を撮ったりしながら、思ってたんだ。犬になって、誰かに思いきり甘えたい。ほめてもらったり、時にはしかられたり…」
ぶっきらぼうな言い方ではなく、いたってまじめな口調で。
「いつか、そんな人が現れたらいいなって、ずっと思ってた。でも、こんなこと誰にも言えないし、言ったところで理解してもらえるとは思えない」
なんと返事したらいいか分からず、黙ってうなずく。

「アンタに首輪つけてもらってる時も、私のこと、かわいいって言ってくれたり、独り占めしたいって言われたときも、ドキドキしてたんだよ」
「うん…」
「もっとこうしてたいって言ってくれた時も、うれしかった。でもさ…」
「うん…」
「私たち、姉妹じゃん?私は姉で、アンタは妹。姉の私が妹のアンタを巻き込んじゃダメでしょ?姉としてというか、人として。許されるわけないじゃんね」
最後のほうは声がふるえていた。

姉は、ここまで真剣に考えてくれていたのだ。
自分のことを、これほどまで、大切に思ってくれているのだ。
それなのにアタシは、自分のことしか考えていなかった。
目の前で涙を流しているこの人は、やはり私の姉なのだ。
年上であり、口やかましく、わずらわしいと思うことも多いが。
それでも、大切な家族で、たった一人の姉だった。
この人にはかなわないなあ。

「そこまで考えてくれてるとは思わなかった」
「考えるよ、当然」
「アタシの言葉が、お姉を追いつめちゃったんだね、ごめん…お姉を苦しめたり、悲しませたりはしたくない。お姉が嫌なら、これまで通りの関係でいたい」
「私は…」
何か言いかけて、口ごもる姉。
「でもさ…巻き込んじゃだめっていうのは、ちょっと違うと思う。アタシもお姉のために役に立ちたい。お姉の満たされないなにかを、自分が少しでも埋められるなら」

姉と目が合う。
この人と、いつも比較されてきた。
優秀で、周りからの期待にいつも応えてきた姉。
この人のようにならなきゃと思って、でも、どうしてもダメで…
アタシは、息苦しくて、自分が情けなくて、悔しくて…
いつか、この人のいない遠いところへ行きたいとすら思っていた。
でも、自分だけでなく、姉もまた、人知れず苦しんできたのだ。

「姉妹だからとか、そんなの関係ないよ。いつか、お姉のことをアタシより分かってくれる人が現れるまで、お姉と一緒にいたい。自分の…アタシの、エゴかもしれないけど」
涙をこらえながら。
たどたどしかったかもしれないが、関係ない。
ただ、この気持ちが伝わってほしい。
それだけを、念じながら。
「いいのかなぁ…許されるのかなぁ、アンタに甘えちゃっても」
「お姉は難しく考えすぎなんだよ。いいんだよ、甘えて。カンネンして、アタシに甘えちゃいな」
「ふふっ。何それ」
姉が笑った。

「これ、姉ちゃんに付けて」
首輪を渡される。
最初見たときに感じた「生々しい」という印象は、今も変わらない。
でも、少しだけ、愛着のようなものもあった。
姉が抱えている、満たされない思い。
それを、この首輪を通して少しでも自分が満たしてあげられたら。

姉の首もとに、革製のそれを近づける。
3回目ともなると、手慣れたものだった。
ただ、気持ちはこれまでとは全く違った。
これから先、どれだけ一緒にいられるかは分からない。
でも、それまでは自分が姉の飼い主になるのだ。

「はい、付けたよ」
手を、首輪から離す。
「ん、ありがと…」
はにかんだように、上目づかいでアタシを見る姉。
「それじゃあ、改めてよろしくね、ご主人様。私のこと、大切にしてね?」
心臓が、とびはねた。
「うん。お姉のこと…葵のこと、大切にする。ぜったいに私が幸せにするから」
「なーに言ってんの」
照れながら、アハハと笑う葵。

「てか、葵可愛すぎ。もっかい言ってよ、さっきの」
「調子に乗るなwもっかいって、何を?」
「ご主人様、とか、大切にしてね、とか」
軽く、頭を小突かれる。
二人を包む、やさしく、あたたかな空気。
こんな幸せが、いつまでも続けばいいのに。
この先どんなことがあるか、分からない。
姉は、自分なんかより頭がいいから、その辺りのことはもっとよく見えているのかもしれない。
でも。
どんなことがあっても、乗り越える。
そう決意する。
だって自分は、葵のご主人様なのだ。

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