遠野シスターズ 第三章(3)姉妹

「そこにある豚肉とって」
「はい」
姉に、豚肉のパックを手渡す。
今日の夕食は、ごまだれの冷しゃぶサラダだった。
キッチンに、姉と並んで立つ。
姉が、包丁で具材を刻んでいく。
アタシは指示に従い、野菜をちぎって皿に盛りつけていく。

「いただきまーす」
テーブルで向き合いながら食べる。
姉とふたりきりで食べるのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
首輪をしておらず、服を着ている姉。
頭がよくて、ちょっと恐くて、口うるさくて…
でも、やさしい姉。

「なに笑ってんの?」
「ん、べつにー」
プレイの時はまた違う、充足感。
ご主人様としてではなく。
妹として、姉に甘えたい。
自分にこんな感情があったなんて。
ちょっと前までは考えられないことだった。
姉から離れるために、遠くの街へ行きたいとすら思っていたのだ。

「あのさぁ」
緩みそうになる頬を必死におさえながら。
「ん?なに?」
「今日さ、お姉と一緒にお風呂、入っていい?」
くすぐったさと、断られたらどうしようという不安と。
「どうしたの、急に」
姉が笑う。
「べつに、何となく。ダメ?」
「ダメじゃないよ。久しぶりに一緒に入るか」
「うん」
「ふふっ。もしかして、姉ちゃんに甘えたくなったのかな?」
からかうような表情。
「そんなんじゃないって。じゃあいいよ、ひとりで入るから」
「スネるなよー。カワイイやつめー」
アタシの反応が面白いのか、姉は謝りながらもからかってくる。
恥ずかしさを隠すために、ムスッとする。

確かに姉に甘えたかったのだ。
でも、それを指摘されると否定したくなる。
そんな自分を不思議に思いつつ。

夕食後。
一緒に食器類を洗ってから、リビングへ。
本を読む姉の横でゲームをする。
「アンタ、まだゲームなんてやってるの?」
「いいじゃん。べつに」
「来年はもう受験生でしょ?そろそろ…」
「うるさいな、分かってるって」

少しうんざりしたような、悲しいような。
さっきまでのフワフワした気持ちが消えてしまった。
「姉ちゃんと同じ学校、行きたいんじゃないの?」
「それは…そりゃ、行きたいけど…」
「私は、アンタが一緒の学校に行きたいって言ってくれてうれしかったんだよ。だから…」
言いかけて、姉が黙った。
「ゴメン。こういうところだよね。アンタが嫌がるって分かってるはずなのに、つい言っちゃうんだよ」
「い、いや、アタシも悪かったよ…」
気まずい沈黙。

「それ、なんてゲーム?」
「え、これ?」
「そう」
ゲームのタイトルを伝える。
「あー、聞いたことある。うちのクラスでもやってる子いるわ」
「へぇ」
「どんなゲームなの?難しい?」
「クリアするだけなら難しくはないよ。でも、他のプレイヤーと対戦できるんだけど、そっちのほうが難しい」
「そうなんだ」
「ちょっと見てみる?」
「うん」

アタシはゲーム機とテレビをケーブルでつないだ。
テレビにゲームの画面が映る。
「今の携帯ゲーム機って、こんなこともできるんだね」
「そうだよ」
興味深そうに、テレビ画面を見つめる姉。
姉に解説しながら、ゲームを操作してみせる。

「じゃあ、対戦してみるね」
マッチングした対戦相手が画面に表示される。
「へぇ。インターネットで対戦ができるんだ。相手はアンタの友だち?」
「いや、知らない人」
姉が、再びおどろく。
「お姉もやってみる?」
「えっ?いや、いいよ、私は」
「そう」
画面を無言で眺めている姉。
アタシも何と言ったらいいか分からず、そのままゲームを続ける。

アタシがまだ幼かった頃は、姉もゲームをしていた。
小学校だった姉と、遊びに来てた環菜さんと一緒にゲームをしていて…
アタシはその横で、羨ましそうに眺めていたのだ。
そんなアタシに気付いた環菜さんが…
『雫ちゃんも、やる?』
『いいの?やる!』

優しく教えてくれる環菜さんと、一切手加減してくれない無情な姉にまざりながら。
ゲームの楽しさを知った。
親にねだったものの、ゲーム機は買ってもらえず。
小学校に入学した頃、ようやく買ってもらえたのだ。
たくさん練習して上手くなって、姉をやっつけてやる。
たしか、そんなことを考えていた。

でもそのころになると、姉はあまりゲームをしなくなっていた。
有名タイトルが発売された時、てっきり姉も買うものだと思っていた。
姉が買うつもりがないことを知り、貸してあげると言っても断られ…
なぜか裏切られたような気持ちになって、アタシは泣きわめいた。
その後、困惑した姉が、アタシをなだめるようにゲームに付き合ってくれたが…
結局その日以来、アタシは姉をゲームに誘うことはしなくなった。

「ゲームもさ、ほどほどならいいかもね」
姉の声。
現実に引き戻される。
「え?あ、ああ、うん…」
今でもゲームは好きだし、楽しい。
でも…
「やっぱり、そろそろ本格的に受験勉強しようと思う。ゲームもさ、そろそろ封印する」
「え?いや、なにもそこまで…」
「このゲームもそろそろ飽きてきたし、キリがいいかなと思って。それに、お姉と同じ学校行きたいから」
「そ、そっか。アンタがそう言うなら。じゃあ、頑張らないとね」
「うん」

「じゃあさ…受験が終わったら、ゲーム教えてよ」
「え?お姉もゲームするの?」
「見てたら、私もやってみたくなった」
「そうなんだ」
「それでさ、対戦とか、しようよ」
「いいね、やろう!でもさ、その頃にはお姉が受験の時期じゃない?大学行くんでしょ?」
「うーん、まだ決めてないけど…」
「お姉なら、きっといい大学行けるよ」

姉は、高校を卒業したらこの家を出ていくのだろうか。
別の場所で暮らして、恋人ができて、いつか、結婚して…
遠い未来すぎて実感はないが、でも、いつかはやってくるかもしれない未来。
「先のことは分からないけど、でも約束ね。アンタの受験が終わったら、私にゲームを教えなさい。分かった?」
「強引だなあ…」
「そうしたらさ、いつでもゲームできるじゃん。さっきの人とみたいに、インターネットで対戦とか、さ」
「あっ…」
たとえ離ればなれになっても。
姉と、ゲームを通してつながっていられるのだ。
「分かった。約束ね」
テレビ画面を見ながら応えるアタシの頭を、姉がそっと撫でる。

その後、姉の部屋で少し勉強する。
姉に、分からないところを教えてもらいながら。
「こんなのが分からないんようじゃ、受からないよね…」
「なに弱気になってんの」
「だってさぁ…」
「アンタが思ってる以上に、アンタはできる子だよ」
「そうかな?」
「そうだよ。私が言うんだから間違いない。お世辞でもなんでもなく、ね。だから、自信持ちな」
「うん」
姉がアタシと同じ年だった時、こんな問題スラスラと解いていた気がする。

「アンタの中の私がどんなイメージなのかは分からないけどさ。たぶん、思ってるより全然ヘタレだよ。私は」
「そんなこと…」
「アンタより少し先に生まれて、周囲のイメージを壊さないよう必死で頑張って。どうにか取り繕ってるだけだもん。私なんて」
姉が、アハハと笑う。
「でも…でもさ、それでもすごいと思う。アタシだったらゼッタイ途中でイヤになって投げだしてるもん。やっぱり、すごいよ」
「ふふ。ありがと。でも、やっぱ無理してたんだ。だから首輪したり、それを写真とったりして。そうやってなんとか自分を保とうとしてたんだと思う」

首輪。
姉とこういう関係になれたのは、首輪をしている写真を見たからだった。
「アンタにはさ、感謝してるんだよ。こんな恥ずかしい趣味の私をバカにしたりせず、受け入れてくれて…」
「そんな、感謝なくて。アタシこそ…」
「あー、脱線しちゃったね。ほら、勉強、勉強」
「へいへい」
照れたように言う姉と。
同じく、照れたように応えるアタシ。

勉強もひと段落したころ。
「そろそろ行こっか」
「え、どこに?」
「お風呂だよ。一緒に入るんでしょ?」
「あ、入る」

脱衣所で服を脱ぐふたり。
姉の下着姿。
スポーツブラのアタシと思い、姉のは、大人がつけるようなやつだった。
「ん?なに?」
「なんでもない」
ついさっきまでは、全裸の姉を見ていたのだ。
それなのに今更、気まずさを感じるのも変な話だった。

浴室へと入る。
「ニオイは、大丈夫そうだね」
「うん。ちゃんと洗ったし、換気もしたから」
「それにしてもまったく、姉にあんなことさせるなんてね」
「でもさ、お姉も興奮してたじゃん…痛っ」
お尻をたたかれた。

「ふたりだと、ちょっと狭いかな」
「そうだね」
「昔は一緒に入っても、広く感じてたけどね」
「まあ、それだけアタシたちが成長したってことだよね」
小学生、それもアタシが低学年の頃の話だ。

「お姉のカラダ、洗ってあげる」
「いいよ、自分でやるから」
「いいからいいから。ほら、座って」
スポンジにボディソープを出し、泡立てていく。
それで、姉の体をやさしく擦っていく。
「ふふっ。なんか、くすぐったい」
「ほら、じっとしててよ」
当時は、こうしてお互いの体を洗ったりしていたのだ。

「ホントに大きくなったね、お姉」
「なに言ってんの。アンタだって…ちょ、ちょっと、どこさわってんの!」
「ん、おっぱい」
「やめなって!ほら…」
「いいなあ…」
「な、なにが」
「アタシのも、こんなにおっきくなるのかな」
「え、なに、大きさ気にしてんの?」
「だってさぁ。お姉の、こんなに大きいのに、アタシのは…」
「アンタのだって、じき大きくなるよ。心配しなくたって」


「揉めば大きくなるって、ホントかな」
「いきなりなに言ってんの、アンタ」
「友達が言ってたんだよ。大きくしたければ、揉めばいいって」
「そんな、しょうもない…」
「しょうもなくないよ!真剣なんだよ、アタシは」

「お姉も、揉んだの?」
「はいぃ?」
「だから、おっぱい。自分で揉んで、そんなにおっきくなったの?」
「い、いや、そんな、私は…」
姉がうろたえる。
「も、揉んで、ないよ」
「それじゃあ、誰かに揉んでもらったの?」
「あー、もう…わかったわかった。そんなにおっきくしたいなら、マッサージの仕方、教えてあげる」
「やった!お姉、ありがと!」

実演する姉をマネながら、アタシも挑戦する。
「まずはこうやって、リンパマッサージをして…」
「うん…」
「で、次にここにあるツボを押して…」
「ほう…」
「で、ここのお肉をつかんで、こっち側に…」
「こう?こんなカンジでいいの?」
「そうそう…」

一通り教わってから。
「お姉、ありがと」
「ん、すぐには効果出ないと思うけど、続けてみな」
「分かった」
「あとは、ちゃんと栄養のあるものを食べて、夜はちゃんと寝ること」
「はーい」

お風呂からあがり、リビングで涼んでいる時。
「そうだ、アイス買っておいたんだった。アンタも食べる?」
「食べる!」
ソファに座りテレビを観ながら、姉と並んでアイスを食べる。
「お姉は、やっぱりチョコミントなんだ」
「まあね」
カップアイスを、木製のスプーンでつつく姉。

「昔さ、スイミングに通ってるとき、よく食べたんだよね」
「あ、そういえば昔、水泳習ってたね」
「建物の中にアイスの自販機があって、練習の後は、なぜかこれが食べたくなってさ」
「ふうん。なんでだろうね」
他愛ない雑談。
いつか、こんなやりとりをなつかしく思い出す日がくるのだろうか。
「さてと、もうこんな時間か。今夜はもう寝ようか」

洗面所で、姉と並んで歯をみがく。
「あのさ」
鏡に映る姉を見ながら。
「今夜、そっちの部屋で寝てもいい?」
アタシの言葉に、鏡の中の姉と目が合う。
無言の姉。
口の中にあるものを吐き出し、コップでうがいをしてから。
「いいよ」
と、姉は答えた。

即答されると思っていたので、少し間があったことに内心ドキドキしつつ。
「じゃあ、このあと布団そっちに持ってくね」
「ん、分かった」
姉の表情からは、何を考えているのか読み取れない。
アタシの視線に気付いた姉が、ニヤッと笑った。
「アンタ、どうしたの今日?お風呂一緒に入りたいって言ったり、一緒に寝たいって言ったり。姉ちゃんに甘えたくなっちゃった?」
「べ、別にそんなんじゃ…」
「しずくちゃんは甘えたさんですねー」
からかってくる姉に、ケリを見舞う。
それをさらっとかわし、姉は洗面所から出ていった。

姉の部屋。
ベッドの横に、自室から持ってきた布団を敷く。
「そこでいいの?こっちでお姉ちゃんと一緒に寝てもいいんだよ、しずくちゃん?」
「しつこいよ!」
「アハハ、ごめん。 じゃあ、電気切るよ」
「うん」

天井の照明。
電気を消したのに、まだ淡い光を放っている。
「え、なにあれ」
「ん、なにが?」
「消したのに、まだ光ってる」
ほの暗い部屋の中で、ぼうっと緑色の光を放つライト。

「ああ、アレ。蓄光っていって、少しの間だけ光を蓄えておけるんだよ」
「ちくこう?えーいいな。アタシもあれがいい」
「昨年まで使ってたやつの電球が切れちゃってさ。お母さんに買ってもらった」
「お姉だけずるい!アタシも欲しい」
「しずくのは、まだ電球が切れないとことにはね」
「そんな…」
淡い緑色に照らされた姉の顔。

「いいなー、ちくこう」
「じゃあさ、買ってあげよっか」
「え、いいの?」
「といっても、シーリングライトじゃなくて、シールだけどね」
「シール?」
「そ。蓄光のシール。部屋の壁に貼っておけば、電気を消した時に光るよ」
「おお…」
「星とか魚とか、色んな形のシールがあるみたいだから、好きなの買ってあげる」
「やった!」

どんなシールをどんなふうに部屋に貼るか、思いをはせる。
電気を消すと浮かびあがる。幻想的な世界。
考えるだけでワクワクした。
「明日、ネットで注文しよう」
「うん。お姉、ありがと」
「いえいえ」

緑色の光。
さっきより、弱くなった気がする。

「明日、何しよっか」
「ん?」
「お母さんが帰ってくるのって、何時ごろだっけ」
「夕方には帰ってくるって言ってたけど」
「そっか」

「…あのさ、しずく」
「ん、なに?」
聞くが、姉は黙ったまま。
「なに、どしたの?」
姉の顔。
さっきまでは見えていたのに。
今は、シルエットしか見えない。
こっちを向いているのかすら分からない。
まぶたが重たくなっていく。

「あのさ、しずく」
再び、姉の声。
「ん?」
「姉ちゃん、考えたんだけどさ」
「うん。何かしたいことあるの?」
「そうじゃなくて…」
はっきりしない姉。
「今更、こんなこと言うのも、どうかと思うんだけど…」
「いいよ。何?」

「こういう関係さ、そろそろ…やめにしない?」

一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「…は?え、何?どういうこと?」
「だからさ、ご主人様とペットの関係」
眠気が一気に吹き飛ぶ。
「え、ちょっと待って…え?」

言っていることは理解できた。
でも…
「意味わかんない。なんで?」
不安、焦り、恐怖、怒り。
様々な感情が込みあげてくる。

「しずく、落ちついて聞いて」
「落ちつけないよ!」
怒鳴っていた。
だってあんなに…
今日だって…
ウソ…
これまでの数週間と。
姉とのふたりだけの時間を。
楽しかった思い出を。
全て否定された。
そんな思いで、泣きそうになるのを必死で堪える。

「ごめん、言い方が悪かったね」
「言い方とか、そういうことじゃないでしょ…」

「さっきも言ったけどさ、アンタには本当に感謝してるんだよ。あのまま、アンタに知られないままだったら、私、どうなってたか、分からないし…もしかしたら危険なことに手を出したり、もってこじらせたりしてたかも」

黙って、姉の話を聞く。

「アンタと一緒に勉強したり、おしゃべりしたりするのも楽しくてさ。ほら、いつからか、あんまりしゃべらなくなったじゃん?それが、昔に戻ったみたいでさ…」
「うん…」
「首輪をして、ペットとしてアンタに飼われるのも、その…私は、好きだよ」

だったらなんで、という言葉をのみこむ。

「ちょっと危なっかしいところとかあるけど、ちゃんと大切にしてくれてるっていうの、伝わってくるし、ちゃんと考えてくれてるんだなって…」
「うん…」
「アンタが、姉ちゃんのこと好きって言ってくれて、うれしかったよ。嫌われてるかもって思うこともあったから」
「そんなこと…」
「私も、アンタのこと好きだよ。大切な妹。何があっても守ってあげたいって思ってる」

うれしかったが、不安のほうが大きかった。
姉は今、アタシに何を伝えようとしているのか。

「でも、私の好きは、あくまで姉妹としてってこと。お父さんとお母さんが好きなように、妹のアンタも好きってこと。これは分かるね?」
「うん」
「アンタの好きはさ、家族として?」
「そんなこと…」
分かんないよ、今そんなこと言われても。

「じゃあ、言い方を変えるね。お父さんやお母さんと、ちゅーしたいって思う?」
「ちゅーって、口同士でってこと?」
「うん。ちゅっちゅって、恋人同士みたいにキスするの」
「思うわけないじゃん。うげぇ、想像しちゃった」

「じゃあさ、私とは?」
「えっ…」
「私と雫とで、ちゅーするの。どう?」
「どうって、それは…」
「さっきみたいに、想像してうげぇってなる?」
「ならないかも…でもそれは…」

「あと、もう1つ。前にさ、姉ちゃんに恋人がいるかどうか聞いてきたよね」
「うん…」
「もし、姉ちゃんがに恋人がいたら、どう?」
「えっ!いるの?」
「いないよ。たとえばの話。恋人がいて、ちゅーしたり、エッチしたりしてたら。どう?」

想像する。
胸がキュッとしめつけられる。
「それは…なんかやだ、かも…」
「姉ちゃんはさ、雫に恋人ができたらうれしいって思うよ、きっと。ちゅーしたり、エッチなことしてても、嫌だな、とは思わないと思う。気まずいとは思うだろうけど」

何を言わんとしているのか。
何となく、分かり始めてきた。

「雫もさ、たぶんそうだったんだと思うよ、こういう関係になる前はさ。それか、無関心かのどっちかかな」
「それは…」
確かに、そうなのかもしれない。
でも、言葉にはしなかった。

「たぶん、将来私たちは別々の場所で暮らすことになると思う。同じ街かもしれないし、県外かもしれないし、どこかは分からないけど。別々の場所で、別の人たちと一緒に」

考えたくなかった。
そんなこと…

「もしかしたら、結婚して、子どもも産むかもしれない。それは、私だけじゃなくて、雫もね」

何かがせりあがってくる。
だめだ。
泣きたくない。

「相手は、もしかしたら女の人かもしれない。雫がその人のことを大切に想っていて、その人も雫のことを大切に想っているなら、姉ちゃんはふたりのこと応援するよ。たとえ世界中を敵に回すことになったとしても、応援する。なくて、ちょっとキザだね」
ふふっ、と姉が笑う。

「雫にはまだ、いろんな可能性があるんだよ。だからさ、私のせいでその可能性をダメにしたくないの。今ならまだ間に合うと思うから…」

やはり、この人は私の姉なのだ。

「今すぐに分かれなんて言わないよ。姉ちゃんも、すごく悩んで、いつ言おうか、ずっと考えてた。こんなタイミングで、こんな言い方になっちゃって、ごめんね…」
「うん…」
姉は、悩んでいたのだ。
プレイ中、時おり悲しそうな目をすることがあったが、このことだったのかもしれない。

プレイは続けたい。
でも、姉をこれ以上苦しめたくもなかった。
気持ちを整理しようとするが、今はできそうになかった。

「雫、泣いてるの?」
「泣いてないよ」

すっかり暗くなった部屋。
暗やみに目が慣れ始めたのか、姉のシルエットは分かる。
ゆがんだ姉の姿。

「雫、こっち来れる?」
「え?」
「ベッド。おいで。一緒に寝よ?」
姉に気付かれないよう、パジャマで顔をぬぐってから。
ゆっくりと体を起こし、ひざ立ちで進む。
ベッドの端につかまり、布団にもぐり込む。

姉の体温。
息づかい。

「さすがに、ふたりだと狭いね。落っこちないように、もっとこっち来な」
「ん…」
「暑くない?エアコン、強くしようか?」
「いい」
「そう?」
「うん」

こうして、姉と同じ布団で寝るのは、いつ以来だろう。
小学校低学年か、あるいはもっと前か。

姉の肩に、顔をうずめる。
姉の手が、頭にふれる。
さっきまでの不安が、どこかへ消えていく。
安心する…

「雫は、ホント甘えたさんだなあ…」
姉の声。
手がアタシの髪をなでる。
「なまえ…」
「えっ、何?」
「アタシのなまえ。久しぶりに呼ばれた気がする」
「あれ、そうだっけ?」
「これからは、雫って呼んでほしい」
「ん、分かったよ。雫」

「お姉ちゃん…」
「ん?こんどは何?」
特に何かあるわけではなかった。
ただ、姉の存在を確かめたかった。
「呼んでみただけ」
「ふふっ。なにそれ」

姉が言うように、いつかは別々の場所で、別々の人たちと暮らす日がくるのかもしれない。
でも。
それはいつかの話だ。
今はまだ…

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