大学へと進学。
サークル勧誘のラッシュ。
鬱陶しかったが、それでもどこかのサークルへ入ろうとは思っていた。
帰宅した私は、受け取ったチラシを整理した。
どれもこれも、私の興味を惹くものはなかった。
全部まとめて捨ててしまおうか。
そう思ったとき。
1枚のチラシが、目にとまった。
馬術部。
『初心者、大歓迎』の文字。
チラシに書いてあったとおり、初心者の私でも歓迎された。
というより、部員のほとんどが未経験者らしい。
先輩や乗馬クラブの職員に教わりながら、私は乗馬の技術を身につけていった。
部員を乗せ、馬場を駆けまわる馬。
私も、馬にまたがる。
手綱や脚、鞭でこちらの意思を馬に伝える。
言葉こそ使えないものの、私たちは確かに会話していた。
彼らは、驚くほどこちらの気持ちを察知した。
繊細で、温厚で、優しい彼らとの交流は、非常に充実したものだった。
私は乗馬にのめり込んでいく。
ただ、一点。
先輩や同期たちが鞭を振るうのを見るたび。
私は、胸がキュッと締め付けられた。
こちらの意思を伝えるための道具であり、行為。
分かっていても、体が勝手に反応してしまうのだ。
二年生になり、後輩部員が入ってくる。
今度は、指導担当として後輩を育てる番だった。
後輩を指導しながら。
ふと、想像してしまう。
この子は、どんな風に私を調教してくれるだろう。
どんなふうに、私を乗りこなすだろう。
そんな妄想。
この子が私を慕っているのは分かった。
潤んだ目でこちらを見る後輩。
この子なら私を受け入れてくれるだろうか。
でも…
何となく分かる。
この子は私と同じ。
調教するより、されることを望む側。
本人がそれを自覚しているかはともかく。
三年生になり、新たな新入部員がやってきた。
一瞬、中学生が紛れ込んできたのかと思った。
「新田といいます。よろしくお願いします」
人懐っこそうな笑顔。
ショートカットで童顔な彼女は、ハキハキと喋った。
本来なら二年生が一年生とペアになり指導にあたる。
ただ、二年生の人数に比べて一年生の人数が多かった。
足りない分は、三年生がついた。
「中谷先輩、よろしくお願いします」
私の担当は、例の小柄な女の子。
新田は物覚えがよかった。
私の言ったことを、スポンジのように吸収していく。
「先輩の教え方が分かりやすいからですよ」
明るく朗らかな彼女。
気遣いもでき嫌味のない彼女は、先輩や同期からも可愛がられているようだった。
ただ…
私は彼女が苦手だった。
嫌いとかナマイキとか、そういうことではない。
何となく。
自分が自分でいられなくなってしまうような。
不安。
恐怖と言ってもいいかもしれない。
そんな何かが、彼女にはあるような気がして…
この子は、私をどう責めるだろう。
そんなことを考える、昔からの癖。
でも、なぜか新田に限っては、そんなことを考えたことがなかった。
その理由を深く考えることもしないまま、時は流れ…
馬場にて。
「ほら、これ見て」
新田に、スマホの画面を見せる。
言葉だけで説明するより、画像や動画を見せたほうが早いこともあるのだ。
ブラウザを起動した瞬間。
「あっ…」
画面に映ったのは、昨夜観た動画。
女の子を背に乗せた女性が、部屋をはい回る映像。
即座に指を動かし、画面をスワイプする。
時間にして、ほんの一瞬。
気付かれただろうか。
そっと、隣を見る。
馬のほうを見ている、新田。
見られたのか。
それとも、気を使われているのか。
帰宅後も、気が気ではなかった。
新田に、見られただろうか。
私が普段、どんな動画を観ているか。
どんな願望を持ち、毎晩どんなことを妄想しながら、自身を慰めているか。
もし、気付かれたとしたら…
得体の知れない不安が湧き上がる。
翌日、普段と変わらない新田に安堵する。
きっと、スマホ画面は見られていなかったのだ。
しかし、その頃から、私たちのパワーバランスが少しずつ変わり始めていく。
新田が、私に冗談を言ったり、からかってくるようになったのだ。
最初は私の反応を確かめているような印象で。
他のメンバーがいる時には、相変わらず『いい子』を装う新田。
しかしふたりきりの時は、わざと怒らせるようなことを言うのだ。
私が怒らないでいると、更に調子に乗り始め。
堪り兼ねて怒ると、『ごめんなさい』と申し訳なさそうな顔をするものの、すぐに元の調子に戻ってしまう。
ある日、部室へ行くと何やら騒がしい。
騒ぎの中心には、ふたりの二年生。
見た瞬間、ゾクゾクっとした。
ひとりが四つんばいになり、もうひとりがその背にまたがっている。
お馬さんゴッコ。
私に気付いた別の二年生が、慌ててふたりを止めようとする。
「いいよ、止めなくて」
何でも、ふたりは罰ゲームを掛けて勝負をしていたのだという。
その結果が、この状況というわけだった。
あきれ顔をしつつテーブルに腰かけるが、例のふたりから目が離せない。
ふと。
新田と、目が合った。
なぜか、慌てて視線をそらしてしまう。
そんな自分に気付き、無性にいら立ってしまう。
そんな気持ちとは裏腹に、鼓動は早くなっていく。
その日の練習後。
部室で、私は新田と二人きりだった。
相談したいことがあると新田に言われたのだ。
他県から進学してきた新田。
地元は遠く、すぐには帰ることができない。
ホームシックというわけではないが、寂しさを抱えていたとのこと。
そんなとき、今日のお馬さんゴッコを見た。
幼いころ、姉にお馬さんゴッコをしてもらった記憶が蘇り、いてもたってもいられなくなってしまった、と。
「私のお馬さんになっていただけませんか?」
他の後輩なら、すぐに了承しただろう。
でも、新田は…
もし、ここで了承したら、もう今の私には戻れなくなってしまう。
本能的な恐怖。
「なっ、何言ってんの。できるわけ、ないでしょ」
「中谷先輩にしか頼めないんです。今日だけでいいんです。今日だけ…」
懇願するような、新田の目。
「し、しょうがないな…」
心臓が、バクバクしている。
「き、今日だけだぞ」
顔、赤くなっていないだろうか。
新田の前で、しゃがみ込む。
そして、四つん這いになり…
「ほら、乗りな」
努めてそっけなく。
仕方ないなぁ、という体で。
無言のまま、新田が私をまたがる。
背中に加わる、新田の重み。
新田は今、どんな顔をしているだろう。
大学生にしては、軽い。
でも…
「中谷先輩に、乗っちゃった」
新田の無邪気な声。
こみ上げる、屈辱と羞恥心。
呼吸が浅くなる。
顔が熱い。
新田の太ももが、軽く締め付けてくる。
発進の合図。
進みなさい、という、新田の命令。
被虐心に火がつく。
私は、ゆっくりと這い進む。
「中谷先輩を調教してるみたいで、楽しいですー」
「ちょ、ちょっと、調子にのるなよ?」
興奮を隠すように。
おちゃらけた言い方で抗議する。
「あ、ごめんなさーい」
反省のカケラもない言葉だけの謝罪。
「手綱があれば、もっとうまく乗りこなせると思うんですけどねー」
「た、手綱って」
轡をつけた私と、手綱を握る新田。
新田が、手綱と太ももだけで、私に指示を送ってくる。
私は、新田の指示通りに動く。
想像してしまい、カッと身体が熱くなる。
「ふふっ。冗談ですよ、センパイ。怒らないでくださいね」
「別に、怒ってはいないけど…」
ふと、姿見が目に入る。
楽しそうにはしゃぐ新田と、その下ではい回る私。
幼いころに見たアニメが、フラッシュバックする。
私の視線の先に気付いたのか。
鏡に映る新田と、目が合う。
「こうしてみると、ホントに馬の調教してるみたい…あっ、ごめんなさい」
「別に、いちいち謝んなくっていいから」
「えっ、そうですか?」
一頭の馬と、一人の調教師。
「ねえ、中谷先輩…」
そっと、耳元で囁かれる。
「ホントは中谷先輩も、こういうこと、したかったんでしょう?」
「そ、そんなわけ、ないでしょ」
「ホントに?」
「ほ、ホントだよ」
「じゃあ…なんでそんなエッチな顔してるの?」
心臓が、ギュっと掴まれたような気がした。
「私、中谷先輩がどんなことされたがってるか、分かりますよ?だって、ぜんぶ顔に書いてあるんだもん」
「いい加減なこと、言わないで…」
「いい加減じゃないです。試しに、今センパイが考えてること、当ててあげよっか」
「な、なによ…あっ…」
お尻を撫でられた。
「ここ、叩いて欲しいんでしょ、私に?」
「ち、違っ…」
「違わないでしょう?そんな嬉しそうな顔しながら否定しても、説得力ないですよ?」
「新田、ホントにいい加減に…くっ…」
お尻を掴まれる。
「センパイのドキドキが、伝わってくる。私に知られちゃって恥ずかしがってるドキドキと、叩かれたくて期待してるドキドキと…」
この瞬間、新田は完全に私を支配していた。
私自身、目を背けていたもの。
今の状況が仕組まれたものだとしても、このまま新田に全てを委てしまいたい。
新田を乗せて走る馬のように、私も彼女に調教されたい。
私の中の、ヒトとしてのプライド。
それが、気付くことを避けていた。
この子が、新田こそが、私のご主人様であることに。
気付いてしまったらもう戻れないから。
私が生まれた理由。
私が持つ、性癖の理由。
ご主人様に出会うために。
ご主人様の馬として、彼女にお仕えするために。
気付いてしまった。
これまで築いてきたヒトとしての価値観が、溶けて私の中から流れていく。
でも、それでよかった。
新しい価値観を、これから築いていくから。
この子と。
ご主人様と一緒に。
ヒトとしての価値観など、もうジャマなものでしかなかった。
「中谷先輩。今日は付き合ってくださってありがとうございました」
ご主人様が、頭を下げる。
「あ、あぁ。気にしないで。役に立てたのならよかった」
目上としての感情と、目下としての感情と。
どんな顔をしていいか分からず。
そっけなく、そう答えた。
「また来週、この時間、この場所で。先輩の本当のきもち、教えてください」
「…え?」
「ふふっ。じゃあ、また」
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