ポニーガールとご主人様 第一章(3)同期と後輩の前で

部室内の死角へと移動する。
新田は、いつもの乗馬服へと着替えていく。
一方、私は…
抱えるようにして持ってきた袋から取り出したのは、この日のために用意した衣装。
服を脱ぎ、それらを身につけていく。
ヒトとしての姿を、尊厳を脱ぎ去り、本当の姿へと近づいていく。

「中谷センパイ、その衣装似合ってますよ」
新田がささやく。
「ついに、私以外の人にも知られちゃいますね。センパイの本当の姿」
指先が、震えている。
「おふたり、どんな顔するかな。ふふ、楽しみ」

畑川の驚いた顔。
三井の、嘲笑と蔑みの顔。
胸がキュッとなる。
期待と不安。

「大丈夫。ふたりとも中谷センパイのその姿を受け入れてくれますよ、きっと」
「う、うん…」
「可愛がってもらえるといいですね」
中谷紗枝としてではなく。
一頭の馬として。
これから同期と後輩に自己紹介をするのだ。
「私、先に行ってますから。気持ちの準備ができたら来てくださいね」
新田がふたりの前へと出ていく。

気持ちの準備。
同期と後輩の前で、情けない姿をさらすことにか。
ヒトとしてではなく、馬として扱われることにか。
尊敬や憧れ、対抗意識が、蔑みや嘲笑、失望へと変わるのを目の当たりにすることにか。

それとも。

中谷紗枝という一頭の牝馬が、マゾであることを。
自分より後に生まれてきた女の子に、調教されていることを。
鞭で叩かれ、背に跨られながら。
ヒトとしての尊厳を踏みにじられ、削ぎ落されることにどうしようもなく悦びを見出してしまうことを。
知られてしまう。

ふたりの前にこの姿を晒したら。
もう戻れない。
いや、もうとっくに戻れないところまで来てしまったのだ。
羞恥心。
自身の評価や立場を守るための、ヒトの防衛本能。
それが、私に囁く。

『早く、ふたりに見てもらおうよ』

『きっと、とっても恥ずかしいよ』

『好きでしょ。恥ずかしいの』

『あーあ、隠してたのに、マゾだってバレちゃうね』

『普段、あんな気取ってる中谷紗枝が、後輩に調教されてたなんて、嗤えるよね』

『嗤ってほしいんでしょ?知ってるよ。だってこんなにドキドキしてるもんね』

『ほらほら、早く行こうよ。行ってバカにしてもらお?マゾの紗枝ちゃん?』

『三井からは、ライバルとして見られなくなっちゃうね。だって本当は、騎手じゃなくて、三井たちを乗せる側なんだもんね』

『あーあ、同期なのにね。あなたのほうが技術は上なのにね。悔しいね。情けないね。恥ずかしいね』

防衛本能が、私を煽り、追い立てる。
思考力が削ぎ落されていく。

三人が待つ場所へ姿を現す。
三井。目が合った。
やっと来た、という表情。
その視線が、ゆっくりと下がっていく。
馬のコスプレ衣装。
馬の耳を模したカチューシャ。
轡を模したマスク。
水着のようなエナメルの服と、臀部から生えたしっぽ。

三井の表情が変わっていく。
私は恥ずかしさのあまり、うつむいてしまった。

「へぇ…」
三井の声。

顔が熱い。
どこまで分かったのだろう。
賢い彼女のことだ。
きっと見抜かれたに違いない。

「ちょ、ちょっと、中谷先輩、その格好って…」
畑川の声。

「中谷センパイ、畑川先輩が質問してますよ?説明してあげてください」
顔を上げる。
驚いた表情の畑川。
その横で、三井がニヤニヤしている。
散り散りになる思考を必死にかき集めながら、私は説明する。

「その、さっきも言ったけど…ふたりには、とある勝負に参加してほしいの。 これは、そのための衣装で…」
「衣装、ですか?でも、さっき新田は馬に乗って勝負するって言って…そんな格好で馬に?」
「まだ分かんないの、畑川?乗る馬ならいるじゃない、そこに」
あごで、私を示す。

「えっ…えっ!でも、それって、まさか…」
「ふぅん。あなたにそんな『シュミ』があったなんてねぇ」
目を細め、じっくりと私の姿を眺める三井。
「それを知れただけでも、ここに来た価値があったわ」
同性の、それも同い年の女子に見下されている。
さっきまでは同格だった相手。

いや、試合では彼女に負けたことはない。
ライバル視されているのは、彼女が私を上だと思っていたから。
それが今や、立場の差は歴然としていた。
それがミジメで、情けなくて。
分かってはいたが…
込み上げてくる屈辱と羞恥心は、思っていた以上だった。

「それで?」
「えっ?」
「実演。してみせてくれるんでしょう?ま、何をするかだいたいは察しがついたけどね」
「さ、中谷センパイ?始めましょうか」
新田。
「え、ええ…」

勝ち誇ったような三井と、不安そうな畑川が見つめるなか。
私は、ゆっくりとその場に跪いた。
そして、四つん這いの姿勢になる。

「な、中谷先輩!?」
畑川の声。
視界に映るのは、三人の足。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ…
緊張か、屈辱か、羞恥心か。
心臓の音が、私を追い込んでいく。
そのまま、新田の足もとまで這い進む。
彼女が乗りやすいように、少し体を屈めて…
新田が、私に跨った。

何度もくり返してきたはずのこと。
これまでは、新田の体重を感じながら、被虐に身を浸していればよかったのだ。

でも、今日は全く違った。
普段の自分をよく知るふたりに、見られている。
こみ上げてきたのは、強烈な羞恥心。
それも、被虐とか屈辱とか、そんなものが吹き飛んでしまうくらいの。

自分の情けない姿を見られている。
馬の格好をして、後輩に跨られて。
裸を見られるより恥ずかしかった。
絶対に見られてはいけない姿を、絶対に見られてはいけない人に、見られている。

ふたりは今、どんな顔をしているのか。
確かめることはできなかった。

もし振り向いたら、私の真っ赤な顔をふたりに見られてしまう。
恥ずかしさで、頭がおかしくなりそうだった。
いっそおかしくなってしまえば、こんな恥ずかしさなど感じなくなるのか。

マスクの金具。新田がヒモを括りつける。
手綱。
新田の太ももが私をしめつけてくる。
進め、の合図。

指示に従い、私は進み始める。
進むたび左右に揺れるしっぽ。
轡のようなマスクと、先ほど取り付けられた手綱。
それを握っているのは、新田。
支配されている。
体で、分からされている。
文字通り、私は彼女に手綱を握られているのだ。

ひざに掛かる荷重。
ひざパットを付けてはいるが、前へと進むたびに鈍い痛みが生じる。
それも、脳内で大量に分泌されたアドレナリンによって曖昧なものになっていく。

さほど広くない部室の中。
ふたりの目の前で、ぐるぐるとまわる。
視線が、私たちに注がれているのを感じる。

と。
パシッ!
尻に、痛みが走った。
「集中しな」
「は、はい…」
新田に、尻を叩かれた。
叱られた。
ふたりの目の前で。
3年の私が、1年の新田に、だ。
いつもならあるはずの、甘美な屈辱。
代わりに込み上げてきたのは、強烈な羞恥心だった。

観察者たちの目にはどう映っただろう。
いや、もはや言い逃れはできない。
三井だけでなく畑川にも分かったはずだ。
私と新田の関係を。

視野が狭くなっていく。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ
心臓の音。
無意味と分かっても耳を塞ぎたくなる。
目の前の一点を見つめながら。
這いまわる。

もはや、時間の感覚はない。
一時間以上こうしているような気もするし、数分しか経っていないような気もする。
いつまでこうしているのか。
実演としてはもう十分だろう。
新田の、ご主人様の合図を待ちながら。
ただ、這いまわる。

いっこうに消えない、羞恥心。
ご主人様からの合図は、まだない。
もしかして、ふたりに見せつけているのか。
マゾ女が、後輩の女の子に調教されている様を。
2つも学年が上の先輩を屈服させ、意のままに操る己の姿を。

尻を叩かれるたび。
私の中で確実に何かが書き換えられていく。
深く、深く刻まれていくそれは、決して消えることはない痕として残り。
代わりに失われていくそれは、もう取り戻すことはできない。
それが分かっていても、抵抗することはできない。

新田に乗られ、手綱を握られているという状況。
それだけではない。
私が生まれ持ち、20年間かけて根深く育ててきたマゾとしての性癖。
新田に刻まれてきた被虐的な悦び。
なにより、サディストとしての新田の持つ資質が。
抵抗しようとする意思を、何重にも縛り上げ、押さえつけてくる。

パシッ!
室内に、音が響く。
しばらくして、尻を叩かれたのだと気づいた。
痛みはない。
いや、あるのか。
分からない。
色々なものが、曖昧になっていた。

人間としての記憶。
本当に、自分は人間なのか。
人間を乗せる馬として生まれたのではなかったか。
そんなはずはない。
私は確かに人間として生まれ、中谷紗枝として20年間過ごしてきた。
何度も、自分に言い聞かせる。

これまでにあった出来事を、必死に思い出す。
奥底に残った、ヒトとしての矜持。
ヒトとしての本能が、そうさせているのか。
でも、もしもう一度叩かれたら、私は…
そんな考えが頭をよぎった時だった。

「よくがんばったわね。降ろしなさい」
耳元で、囁かれた。
ご主人様の、やさしさと威厳に満ちた声。
「は、はいぃ…」
間の抜けた情けない声で、誰かが返事をした。

ふたりの前で、新田が降りる。
私も、ゆっくりと起き上がった。
新田と並んで立つ。
先程までの、先輩と後輩としてではなく。
騎手と、馬として。

三井の、侮蔑の混じった冷ややかな目。
一方、畑川は顔を赤くしながら新田を睨みつけていた。

「ほら、説明」
ひじで、新田につつかれる。
「は、はぃ…じゃなかった。分かった」
先輩としての威厳をとりつくろうも、意味のないこと。
むしろ、滑稽で憐れだった。
「みっ…見てもらって分かったと思うけど、ひとりは騎手に、もうひとりは馬になってもらう」

「あのさぁ…要はあなた達のSMごっこに付き合えってことでしょ?」
「なっ!」
「違うの、ヘンタイさん?」
「くっ…」
三井の視線。
普段だったら軽く受け流せたはずの、目力。

「私、やります」
畑川。
相変わらず新田を睨みつけたまま。
その表情は、どこか思いつめたようでもあった。
「新田。アンタに勝てば、何でも言うこときくって言ったよね」
「ええ、言いました」
「こんなの、ぜったい間違ってる…私が勝って、先輩を救ってみせる」
力強く宣言する。

「ふぅん。そうですか…」
余裕たっぷりの新田。
「三井先輩はいかがですか?畑川先輩はこうおっしゃっていますが」

「私はパス」
「え?」
「こんなのに関わってられないもの。バカバカしい…」
「参加、されないのですか?」
「するわけないでしょ。ヘンタイはヘンタイどうし、そうやって遊んでなさいな」
荷物をまとめて、部室を出て行こうとする三井。

「待ってください」
「心配しないで。言いふらしたりなんか…」
「逃げるんですか?」
「…は?」
出入口のドアに伸びた三井の手が止まる。
「そんなこと言って。ホントは中谷センパイに負けるのが恐いんでしょ?」
ゆっくりと、三井がふり返る。

「挑発して、私をその気にさせようって?甘いわね。見た目だけじゃなく、考え方もお子ちゃまなんだ」
「声、ふるえてますよ?やっぱり恐いんだ」
「新田ぁ…」
「勝てば、何でも言うことをきかせられるんですよ?私の代わりに中谷センパイに乗ることもできるし、もっと恥ずかしくて、情けないことだってさせられるのに」
「お前…」

「中谷センパイに勝ったことのない三井先輩じゃ、こんなヘンタイのお遊びでも、恐くて仕方ないかもしれませんね」
「先輩に対して、その口のききかた…」
部室内の空気。
張り詰めていく。

「ささ、しっぽを巻いて、どうぞお帰りください。負け犬の三井先ぱ…」
新田が言い終わるより先に、三井が駆け寄ってきた。
新田に掴みかかろうとする三井を、慌てて羽交い絞めにする。
畑川も、三井と新田の間に立つ。
「み、三井、落ち着いて…新田も、言い過ぎだぞ」
「おー、こわ…」
わざとらしく、震えるそぶりをする新田。

「それじゃあ、参加ということでよろしいですね?」
「ああ。お前のその腐った根性、私が叩きなおしてやる」
「約束通り、先輩が勝ったら何でも言うことを聞きます。でも…」
「でも、何?」
「私が勝ったら…私の言うこと、聞いてくださいね、三井センパイ?」
「はぁ!?」
「だって、そうじゃないとフェアじゃないでしょう?それとも、やっぱり負けるのが恐いんですか?」
「お、お前っ…くそっ!分かった。それでいい!」
「やった」
すっかり新田のペースだった。

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