ポニーガールとご主人様 第二章(6)マスカレード

そして、3度目のレースの日がやってきた。
乗馬服を着た新田と畑川。
いつものコスプレ衣装を身に付けた、私と三井。
「おふたりとも、今日はこれをかぶってくださいね」
黒い、布製の何かを渡される。
広げてみる。

頭をすっぽりと覆えるようなマスクだった。
目と口の所だけ穴があいている。
いわゆる、全頭マスクというやつか。
言われるまま、マスクをかぶる。
「ぷっ…いかにもMって感じで、以合ってますよ。中谷センパイ」
笑いをこらえながら、新田が言う。

「あ、ありが…」
反射的にお礼を言いかけて、慌てて口を閉じた。
三井の前なのだ。
「なけなしのプライドってやつ?まだそんな感情が残ってたんだ」
新田に、耳元でささやかれる。
全て見抜かれている。

鏡を見る。
水着のようなエナメルの服と、臀部から生えたしっぽ。
そして、黒い全頭マスクの穴からは、自信なさげな目が覗いていた。

馬の耳を模したカチューシャを付ける。
轡を模したマスクをはめる。
自身の、馬としての姿。

ただでさえ恥ずかしいのに、マスクをかぶった己の姿は、なんともマスケで滑稽だった。
「三井センパイも、ほら、はやくかぶったほうがいいですよ。藤崎先輩が来る前にね」
私のマスク姿を見て、ためらっていた三井。
こんな恥ずかしい恰好は、耐えがたいものがあるのだろう。

「別にそのままでいいなら、それでも構いませんけど。ただ、それだと藤崎先輩の前でマスクをはぎ取る楽しみがなくなっちゃうんですよねぇ」
挑発するような新田。
三井がキッとにらみつける。
そして…
マスクをかぶった。
「あはは!似合ってますよ、三井センパイも」

俯きながら、こぶしを握り締める三井。
「せっかくふたりとも、美人で人望もあって、乗馬の腕前も凄いのに…そのマスクを付けただけで、全部台無しって感じがして、とっても情けなくて、可哀想で、いじめてあげたくなっちゃう」
マスク下の三井の目が、新田をにらみつける。

「いくらにらんでも、全然迫力がないですよ?」
新田が、おかしそうに笑う。
「三井センパイも、鏡でご覧になったらどうです?それとも写真撮ってあげましょうか?その姿なら、たとえ写真が流出しちゃっても、おふたりだとは分からないと思いますよ」
三井が顔を伏せた。

「ふふっ。でも、写真を撮るのもいいかもね。1年生のグループチャットで共有したら、みんなどんな反応するかな?」
「や、やめて!」
「だったら、今日こそ負けないように頑張ってくださいよ。それに今は、グループチャットの心配より藤崎先輩のことでしょ?」
「くっ…」

「さすがに、今日は負けられませんよね?憧れの先輩のままでいたかったら、この前みたいな無様なレースはしないでくださいね?」
ただ、にらむことしかできない三井。
「ほら、あと10分したら、藤崎先輩が来ちゃいますよ?今のうちに心の準備、しておいてくださいね」

新田を残し、パーテーションの奥に隠れる3人。
そのまま、藤崎を待つ。
そして…
ドアの開く音。
「よっ!来たよ、新田」
藤崎の声。
私の隣にいる三井が、体を固くする。
「藤崎先輩!来てくださってありがとうございます」

「ぜったい楽しんでもらえるって言うから来たけど、何を見せてくれんの?」
「それは、見てのお楽しみです」
「つまんなかったら承知しないぞ?」
少しおちゃらけて、藤崎が言う。
「ふふっ。任せてください。楽しんでいただける自信あるんで!」
「ホントに?じゃあ、期待しちゃおうかな」

「はい!あ、先輩、どうぞこちらに座ってください」
「分かった。ってか、何これ?机と椅子が並んでるけど?」
「あ、これはですねえ…」
隣にいる三井を見る。
マスクのせいで表情は分からないが、緊張していることは痛いほど伝わってくる。
手を胸に当てて、何度も息を深く吐く三井。

乗馬の大会でも、ここまで不安そうな彼女を見たことはなかった。
彼女の今の様子も、当然といえば当然だった。
サークル中でも有数の実力の持ち主で。
美人で、頼りがいのある先輩。
しかも、いいところのお嬢様でもある。
いわば、カーストの上位にいる存在だ。
彼女を慕う後輩も多い。

新田と話をしている藤崎も、そのひとりだ。
そんな藤崎の前で、屈辱的な姿をさらすのだ。
そして、後輩である畑川を乗せて、室内をはいまわる。
その様子を、観客である藤崎が眺めている。
屈辱と、恥ずかしさと、情けなさ。
なにより、正体がバレてしまうことの恐怖。

必死に気持ちを静めようとしている三井。
私のせいで…
私が彼女を巻き込んだせいで、彼女は今、こんな状況に立たされている。
いくら正体を隠すとはいえ、その恥ずかしさは生半可なものではない。
それに、もし正体がバレたら…

自分に対する敬意は一瞬で蔑みへと変わる。
立場も、入れ替わる。
そして一生、その立場が覆ることはない。
そんな恐怖と闘っているのだ、三井は。
藤崎に、レースについて説明する新田。
藤崎が驚いた声をあげる。
「ホントですよ。そこのパーテーションの奥にいます」

「へえ。でもそれって、私の知ってる人?」
「ふふっ。どうでしょう」
「少なくとも、ここの学生だよね。馬術部の人?」
三井が、こぶしを握りしめる。
「ごめんなさい。まだ言えないんです」
「そう。騎主は?ひとりは新田でしょ?もうひとりも、そこにいるの?」

「ええ。そうですね、もう呼んじゃいましょうか」
そう言って、パーテーションの方へ新田が呼びかける。
「畑川センパーイ、来てくださーい」
畑川が私たちの前を通り過ぎる。
そして、新田たちの前の姿を現す。
「え、麻友ちゃん!?へえ、なんか意外」
「よ、よぅ。お疲れ、藤崎」

「麻友ちゃん、新田と仲良かったんだ?」
「畑川センパイとは、共通のシュミがあることが分かりまして。それで、最近はよく一緒に遊んでいただいてるんです」
共通のシュミ。
あながち間違いではなかった。
「じゃあ、麻友ちゃんと新田が勝負するんだ?」

「そうですね。でも実際は、私たちはほぼ乗ってるだけなんですけど」
「まあ、お馬さんゴッコだからね。それで、そのお馬さんは?早く見てみたいな」
「分かりました。じゃあ、呼びますね。おーい、お馬さんたち!こっちに来な!」

ついに、来た。
三井を見る。
手のふるえ。
見ていて、気の毒なくらいだった。
目が合う。
と。
弱々しかった眼に、光が宿った。
するどい眼光。
闘争心が伝わってくる。
私より先に、パーテーションから出ていく三井。

私も、あわてて彼女の後に続く。
新田たちのいる場所から4mほど離れた場所に、三井と並んで立つ。
藤崎。
驚いた顔をしながら、私と三井を眺める。
「そ、そこのふたりが、お馬さんなんだ。でも、なんかさ…」
「はい?どうかしましたか?」

「いや…思ってたより、格好がさ…なんか、エッチじゃない?」
「え、そうですか?」
戸惑い気味な藤崎に対し、あっけらかんと答える新田。
「それにしても、新田と麻友ちゃんが、こんなことして遊んでたなんてね」
言いながらも、藤崎の視線はこちらを向いたまま。

大丈夫。
正体が私たちだとは気づいていない。
藤崎が来る前に、鏡の前で入念にチェックをしたのだ。
頭全体をすっぽりと覆うマスク。
穴は、目と口の所だけ。
様々な角度、様々な動きをして、確かめた。
大丈夫。
大丈夫なはず。
それでも…

自分では気付いていないクセのようなもので、バレてしまわないか。
ちょっとした仕草に、その人らしさが表れたりもするのだ。
「えー、でも、ホントに誰なんだろ?分かんないな」
「誰だか知りたいですか?」
「そりゃあ、まあ、ね」
「ふふっ。実は、このレースには罰ゲームがありまして」

「罰ゲーム?」
「はい。今回の条件は、負けたほうがそのマスクを取るというものです」
「…えっ?」
「はぎ取ってみたくありませんか、あのマスクを」
藤崎が、ツバを飲み込む。
「今日来てくださったお礼に…藤崎先輩に、お願いしようかな。引き受けてくださいますか?」

「…あ、え?な、何を?」
「だから、負けたほうのマスクですよ。はぎ取っていただけますか?」
「う、うん…」
「そうですか。よかったです」
顔を赤らめている藤崎。
早くも、新田にペースを握られていた。

改めてルールを確認した後、レースへと移る。
床に貼られた黒いビニールテープの手前。
新田の前で、ひざまずく。
私の背に新田がまたがった。
「うわぁ…」
ギャラリーの声。
少しだけ離れた場所で、イスに座っている藤崎。
その横には畑川。
更にその横には、立ったまま三井が控えている。

手に持った鞭で、軽く私の尻を叩く新田。
ペチッ…ペチッ…
「負けたら、藤崎先輩にマスクはぎ取らせるからね。それがイヤなら、死に物狂いで頑張りなよ、センパイ」
耳もとでささやかれる。
そして…
スタートのアラームが鳴った。
3回目ともなると、さすがにペース配分も分かってくる。

速過ぎず、かといって、遅ければ負けてしまう。
前回は、畑川の裏切りによって勝つことができた。
しかし、あんなことはそう続けられるものでもない。
それに、ライバルとして、三井に負けたくないという思いもある。
三井はそれこそ死に物狂いで挑んでくるだろう。

自分の取り巻きに正体を知られるなど、とても耐えられることではない。

新田のことだ、何か策を考えているのかもしれない。
でも、そんなもの使わずとも、勝つべきなのだ。

視界の端に、藤崎たちが映る。
口もとを手で押さえつつ、好奇心をむき出しでこちらを見ている藤崎。

日頃の彼女の態度を思い出す。
先輩への、敬意と阿りが混じったような態度。
良くも悪くも、上の者に従順な性格だった。
今の彼女の目には、そんな阿りは感じられない。
それもそのはず。
馬の格好をしながら、1年生を乗せて這いまわる女。
そんな奴、どうして畏れ敬う必要があるだろうか。

見下されている。
自分より下位の存在として認識されている。

正体はバレていないはず。
バレなければ、元の関係に戻れる。
先輩と後輩として。
でも、バレたら。
もう戻れない。
藤崎は、2年生として。
私は、1年生より更に立場の低い変態マゾとして。

一度入れ替わったパワーバランスは、生涯変わることはない。
取り返しのつかないことへの恐怖。
破滅願望とでもいおうか。
恐いもの見たさ、というのとは少し違う。
決定的な弱みを握られ、逆らえなくなってしまう。
もしかしたら、サークル内にも知れ渡ってしまうかもしれない。

私の浅ましい性癖。
恥辱的な姿。
同期だけでなく、後輩たちからも侮蔑と好奇の目を向けられ。
理不尽な命令。
ぞんざいな扱い。
そんな存在へ堕ちていくことに、恐れつつも、心のどこかで願っている。

もし、このマスクをはぎ取られたら。
藤崎は、どんな顔をするだろう。
どんな目で私を、三井を見るだろう。
この、憐れで滑稽な3年生に対し、どんな態度をとるのだろう。

ふと、思う。
もし私が負けたら、新田も負けたことになる。
その場合、新田も罰ゲームを受けることになる。

三井への服従。
圧倒的に優位な立場から一転、三井に許しを乞う憐れな存在へと変わる。
新田は、そのことをどう考えているのだろう。

これまで、彼女が三井へしてきた仕打ちを考えれば。
また、プライドの高い三井の性格を考えれば。
その仕返しも、生半可なものであるはずがなかった。

無論、新田だけではない。
ライバルであり、彼女をこんな状況に巻き込んだ私も、相応の覚悟はするべきだろう。
しかし…
どうも、しっくりこない。
三井にひれ伏し、許しを乞う新田。
サディストとしての資質を、尊厳を取り戻した、三井。
以前なら、あり得たかもしれない。

まだ、ただの先輩と後輩の間柄だったなら。
三井の誇りが踏みにじられる前だったなら。
マゾの因子を、新田に刻みつけられる前だったなら。
あるいは、そんな可能性もあったかもしれない。
でも、もう遅い。
手遅れだった。
一度つけられたタトゥーは消すことができない。

勝者である新田が、敗者である三井につけた烙印。
後輩である少女によって、彼女の脳に、体に刻まれた屈辱、恥辱が。
目覚めさせてしまった。
気付かせてしまった。
マゾである。ということ。
どうあがいても新田に敵わない、負け犬であるということ。

どんなに理不尽で屈辱的な命令にも、逆うことができない。
いやむしろ、そうされることを望んでしまう。
どれだけ否定しても、抗っても、消えることはない。
むしろ一層、耐えがたい誘惑を放つ。
否定すればするほど、絡めとられていく。
刻印は、より深く食い込んでいく。

悔しくても、憎くくても、悲しくても、情けなくても。
色鮮やかに、脳裏に浮かぶのは…
新田に命令され、からかわれ、右往左往する自分の姿。
身を焦がすような屈辱とともに、這いつくばり、頭を踏みつけられる、自分の姿。

憎いはずの新田に、卑屈な笑みを浮かべ媚びる。
こんな屈辱的な目にあわせてくださる、自分より格上の存在。
惨めであればあるほど、その感情は強くなっていく。
むしろプライドの高い三井は、なおさらその傾向があるのかもしれない。
ともあれ、過去に決した勝敗によって、明暗は分かれた。

三井が取るべき道は、2つあった。
1つは、初回のレースで負けないこと。
もう1つは、そもそもレースに参加しないこと。
どちらも既に手遅れだった。
「ほら、ラスト1週!」
ご主人様の声。
苦しさを堪えながら、手足を動かし続ける。

ご主人様に恥をかかせられない。
捨てられたくない。
褒めてもらいたい。
「ほら、ペース落ちてるぞ!」
尻に衝撃が来た。
叩かれているのだと、少しして気付く。
人ではない。
一頭の馬として。
新田様をお乗せしてきる。
新田様の馬は、私なのだ。
新田様の一号は、これからも、ずっと…

脳裏に、畑川の顔がチラついた。
『今日から麻友は1号に昇格な。紗枝、お前は2号に降格。分かった?分かったら返事しな』
胸が締め付けられる。
『おい、2号。1号はお前より格上の存在なんだから、ちゃんと敬話で話しな。まったく、言われたことすらちゃんとできないの?2号、お前は今日からペットじゃなくて道具ね。鞭置き兼足置き。いいって言うまで、鞭、咥えてなよ。ほら、足乗せるから、そこで跪きな』
私の目の前で調教を受ける、畑川。
私は喋ることも動くことも許されず。ただモノとして扱われる。
そして…
「集中しろ、ヘンタイ!」
尻。
強烈な衝撃。

私は、また…
黒いビニールテープ。
探す。
あと、7~8mほどの距離。
ラストスパート。
ふりしぼる。
手が、足がもげようとも。
動かし続ける。
息苦しさで、どうにかなってしまいそうだった。
残り5m。
新田の声。
尻が熱い。

藤崎。
やはり、手を口に当てて。
どこか熱っぽい目をして、こちらを眺めている。
どうでもいい。
今はただ…
1秒でも、一瞬でも早く、通り過ぎる。
黒いビニールテープ。
残り3m。
そして…
「ゴール!」
新田が、高らかに宣言した。

タイムは2分23秒。
前回より、10秒も早い。

これなら、三井に負けないはず。
私から降りた新田が、耳もとで囁く。
「やればできるじゃん」
頭を撫でられる。
嬉しさが、こみ上げてきた。

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