マナドリンカー ~尊厳を搾り取る者~ 第6話

前回のあらすじ
魔石の活用方法についてヴァレオンと話をしたいものの、なかなか会うことができないマルレート。
代わりに訪れた魔王城の地下で、かつての強敵の憐れな姿を見る。
元魔法使いに投げつけられる、下級魔族たちの下卑たヤジ。
マルレートは、それを自分に向けられたもののように感じてしまう。
強い羞恥心と怒りを覚えた彼女は、屋敷に戻った後も感情を持て余す。
そして、被虐的な妄想をしながら自慰に耽る。
己のマゾヒストとしての資質を否定し続けるものの、ついにガマンの限界に達しは彼女は、己の従者たちに倒錯的な夜伽を命じる。
従者たちから受ける屈辱的な仕打ちによって、己の欲求を満たすマルレートだったが、やがてそれにも物足りなさを感じてしまうのだった。

主な登場人物
マルレート・フォン・シュルツ
 吸血族の当主。
 ついに、己がマゾヒストな願望を認めた彼女。
 上級魔族として更なる高みを目指しつつも、破滅的な願望も抱え持つ。 

サキュバス
 現在、魔族からマナを奪うのはタブーとされている。
 下級魔族である彼女たちはそのように教育され、そのことに疑問を抱いていない。


 マルレートの腹心。
 主人に絶対的な忠誠を誓っており、手を汚すことを厭わない。
 表に出てくることは滅多になく、吸血族の中でも、その存在を知る者は少ない。 


魔王城での用務を終えたマルレートは、図書館に来ていた。
死霊族の当主が、代々続けてきた、蔵書の収集。
その膨大な数を誇る蔵書は、やがて図書館として広く開放されることとなった。
ここには、古今東西、魔界から人間界のものに到るまで、多種多様な書籍が揃っている。
マルレートが探しているのは、2種類の資料だった。
一つは、魔石に関する書籍。
未だヴァレオンとは会えていないが、マルレートが会いたがっているということをどこかから聞きつけたらしい。
いずれ研究が落ち着いたころ、時間をとってもらえることになった。
それまでの間に、なるべく魔石についての知識を深めておきたかったのだ。
そして、もう一つの資料。
サキュバスの生態について書かれた書籍だった。
マナを絞り出し、奪い取るという特殊能力。
もともと、『儀式』へと立ち会うことを求めたのも、その能力を利用できないかと考えたからだった。
強者から絞り出したマナを、己が取り込むことで、今以上の高みへと至る。
それが可能なのかどうか。
しかし…
今知りたいのは、それだけではなかった。
マルレートの中で日に日に高まっていく、被虐的な願望。
それを満たすためにはどうすればいいかを考え、毎回、同じ結論にたどり着く。
他の誰も考えないような、ばかげた計画。
しかし、決して失敗の許されない計画。
もし、本当に実行するなら、だ。
そのためにも、サキュバスの生態を、能力を、調べなければならない。

司書に、必要としている資料の概要を伝える。
吸血族の当主じきじきの来館。
しかも魔石に関する書籍と、サキュバスに関する書籍という、奇妙な要望。
不思議そうな顔をしつつも、司書は該当する書籍を数冊ずつ用意してくれた。
「恐縮ですが…サキュバスについてお知りになりたいのですか?」
司書の顔を見る。
責められていると思ったのか、司書が慌てて続きの言葉を述べる。
「い、いえ、実は、サキュバスに私と旧知の間柄の者がいるのですが、もしご迷惑でなければ、ご紹介させていただけたら、と思いまして…」
意外な申し出だった。
「よく、図書館にも来るのですよ。それと、以前、彼女の口からマルレート様のお名前が出たことがありまして…」
「…私の?」
「は、はい。確か、魔王城の地下室で、何度かお見掛けした、とか…」
魔王城の地下。
マルレートの心臓が、大きく鼓動した。
あの『儀式』に立ち会っていたサキュバス、ということか。
勇者たちからマナを搾り取った、あの張本人…
何ということだ。
こんなことが…
「マルレート様にこんなことを申し上げるのも、大変恐れ多いのですが…」
「いや、構わん。むしろありがたい」
「そ、そんな、ありがたいなどと、もったいないお言葉です」
恐縮しきった顔の司書。
「それで、実は…今、来ているのです。ラウンジの方で、ここで借りた本を読んでいるのですが、いかがいたしましょうか?」

司書に案内され、ラウンジへと向かう。
そこは、一人掛けのイスとテーブルが、いくつも並んでいた。
その奥の方に、彼女はいた。
見た瞬間に分かった。
『儀式』に参加していた、あのサキュバスだ。
司書に気づき、顔をあげた彼女。
そのまま、視線がマルレートへと移る。
驚きのあまり、口を大きく開けるサキュバス。
そんな彼女に、司書が小声で簡潔に要件を伝える。
「ラウンジでの私語は、他の利用者のご迷惑になるのでご遠慮いただいているのですが…会議室をご利用になりますか?」
「いいのか?」
「はい。今空いている会議室があるので、よろしければ…ですが」
「君も、いいのか?」
サキュバスに問いかける。
「は、はい…」
緊張しているのか、顔を少し赤らめながら、うなずく。
「それならお言葉に甘えようか」

会議室へと2人を案内した後、司書は業務に戻っていった。
マルレートと、サキュバスの二人きり。
サキュバスは恐縮してしまっているのか、俯いたまま、何も話さない。
マルレートも、態度こそ堂々としていたが、内心は高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。
冷静さを装い、マルレートは問いかける。
ずっと、気になっていたこと。
サキュバスが絞り出したマナ。
それを、魔王やサキュバス、あるいはサキュバスの血を引く者ではなく、それ以外の者が取り込んだ場合。
彼女たちと同じように、マナに込められた能力を得ることができるのか。
もし、それができるなら…
もともと、マルレートが目論んでいたのは、それだった。
強者から絞り出したマナを取り込むこと。
以前、部下に調べさせたことがあったが、その時は正確な情報を見つけることができなかったのだ。
もし、それが可能なら。
更なる高みへと昇ることができる。
サキュバスの答えは『不可』。
厳密には、『できる者もいるが、できないケースがほとんど』。
顔には出さないが、マルレートは落胆した。
マナの性質は、その持ち主によって異なる。
質の良し悪しというだけではなく、血液に異なる型があるように、マナにも様々な型があるのだ。
取り込んだマナが自身のものと異なる型だった場合、拒絶反応が生じ、命が危険にさらされる。
仮に、拒絶反応が起こらなかったとしても、取り込める能力は微々たるもの。
サキュバスは、マナを搾り取るだけでなく、様々な質のそれを『消化』し、『吸収』することができる種族でもあるのだ。
現魔王によってマナを絞り出せるよう『改良』された彼女たちは、長い年月をかけて、その能力を進化させてきたのだ。
「ただ…」と、サキュバスは続ける。
サキュバスでなくても、マナを吸収できるケースがあるという。
一つは、その者に『適性』があった場合。
ごく稀に、激しい拒絶反応に打ち克ち、マナを吸収できるようになる者も現れる。
ただし、前述のとおり、リスクは極めて高い。
そしてもう一つ。
排出したマナを、その本人がすぐに取り込んだ場合。
その場合のみ、リスクなく、マナに溶け込んだ能力のほぼすべてを、取り戻すことができる。
もともと自身のマナだったのだから、拒絶反応も起こりようがないのだ。
二つ目のケースを聞いたマルレートは、胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。
『儀式』に立ち会ってから、マルレートの中で芽吹き、少しずつ大きくなっていた感情。
期待によるものか、それとも恐怖か。
マルレートの鼓動が、早くなっていく。

マナを奪われるというのが、どういうものなのか。
脳細胞が焼き切れるほどの快楽。
湧き上がってくる、好奇心。
こんなこと、上級魔族はおろか、下級魔族ですら考えないだろう。
しかし…
自分の中に、もう一人別の自分が囁くのだ。
知りたい。
体験してみたい。
サキュバスの言うことが本当なら。
たとえマナを搾り取られたとしても。
再度取り込むことで、取り戻せるのだ。
ドロドロとしたマグマのような興奮が、お腹の中から湧き上がってくるのをマルレートは感じた。

屋敷へと戻ったマルレートは、図書館で借りた書籍を読み漁った。
サキュバスに関する書籍に書かれている情報。
さきほどサキュバス本人から聞き出したことと、ほぼ一致していた。

しかし…
本当に、そうなのか。
マナの再取り込みについて。
己自身のマナであれば、一度排出しても、すぐに取り込めば能力を取り戻せる。
彼女は、そう言っていた。
確かに、書籍にもそう書かれている。
でも、もし、それが事実ではないとしたら。
マルレートの中で、期待と不安とが入り乱れる。
一度、別の者を使って試すことはできないか…

「影」
マルレートの声。
いつの間にいたのか、部屋の中に一人の男が立っていた。
マルレートが『影』と呼んでいる、彼女に絶対の忠誠を誓う部下。
表にはほとんど現れず、その存在を知っているのはマルレートの他に数人ほどしかいない。
主人に代わり己の手を汚す、仕事人。
マルレートは、彼に仕事を命じた。
「先日、この屋敷に忍び込んだ不届きものがいたな。あれはまだ生かしているか?」
「はっ」
短くうなずく、影。
マルレートは、影にいくつかの命令を下した。
そして、もう行っていいという風に、手で仕草をする。
来た時と同じように、気配もなく、影はいつの間にか部屋から消えていた。


あくる日。
マルレートは、例のサキュバスを呼び出した。
マルレートの屋敷、その応接間で向き合う二人。
再び、図書館でサキュバスと会ったマルレートは、
「改めて、サキュバスの、そしてマナのことについて教えてほしい」
そう、頼み、お茶会に誘ったのだ。
上級魔族が下級魔族に頼み事をするなど、滅多にないことだった。
魔族にとって、立場の違いは絶対だった。
ただ、命じるだけでいいのだ。
上級魔族の命令を断る。
それは、下級魔族にとって死を意味するからだ。
しかし、サキュバスが応じた理由はそれだけではなかった。
「個人的に、君とはもっと親しい間柄になりたいと思っている」
魔王城の地下室で見た時から、ひそかに憧れをいだいていた、上級魔族。
そんなマルレートから、まさかそんなことを言われるとは、夢にも思っていなかった。
天にも昇るような気持ちで、マルレートの屋敷へとやってきたのだった。

勇者たちからマナを奪う様を見て、その能力に感銘を受けた。
そう話すマルレートに、恐縮しつつも、喜ぶサキュバス。
マルレートの質問に、一つひとつ丁寧に回答していく。
マルレートの本当の目的は別にあった。
自身のマナを、このサキュバスに絞り出させること。
そしてそれを、再び取り込む。
マナを奪い取られるというのが、どういうものなのか。
危険極まりない、リスクしかない愚行。
しかし、どうしてもその好奇心を抑えることができなくなってしまったのだ。
万に一つも、いや、億に一つも失敗のできない計画。
そのために、今日までに様々な準備をしてきた。

確かに、自身のマナであれば、再び取り込めるとは話したが…
それでも、サキュバスの理解を超えていた。
上級魔族は、変わり者が多いのかもしれない。
とはいえ、サキュバスに断るという選択肢はなかった。
もし断ったら、無事でいられるとはとても思えない。
お願いという形をとってはいるが、実質は命令だった。
驚きつつも、マルレートの言葉に従うのだった。

ある程度、質問が終わったところで。
お茶を飲みながら、他愛ない雑談をする二人。
少しずつ緊張がほぐれてきたのか、サキュバスの表情も柔らかくなってきた。
警戒心が高いほど、記憶操作の術は掛けにくい。
サキュバスの笑顔が増えてきたところで、気付かれないように術を掛ける。
サキュバスの意識に同調し、いくつかの記憶を別の情報にすり替えていく。
すり替えた情報の一つひとつを、雑談の中で巧みに確かめていく、マルレート。
サキュバスをこの応接間へ案内した、マルレートの部下は誰だったか。
今飲んでいる、お茶の銘柄は何か。
すり替えた情報どおりの言葉が、サキュバスの口から出てくる。
成功した。
まず一つ目のテストは、成功した。
期待が膨れ上がるのを、必死で抑え込みながら。
マルレートは、次の要求を切り出した。

マルレートとサキュバスの前に連れてこられた、獣人族の女。
猿ぐつわを噛まされており、手足も縄で縛られている。
数日の間幽閉されていたため、乱れてはいるものの、綺麗な白銀の髪。
きめ細かな肌。
そして尻からは、やはり雪のように白いしっぽ。
獣人族を連れてきた男が、テーブルの上に何かを置いた。
見覚えのある、器。
絞り出したマナを容れるための、特殊な金属でできた、杯。
「マルレート様、これは…」
「先日、この屋敷に侵入した命知らずだ。すばしっこいのと、手先が器用なのを利用して、これまでにも何度か上級魔族の屋敷に侵入したことがあるらしい」
「そ、それで…」
「こやつから、マナを絞り出してほしいのだ」
獣人族が、激しく身じろぎをする。
「そ、それは!いや、しかし、魔族からマナを奪うのは、ご法度…」
「なに、マナを絞り出したあと、本人にそれを取り込ませるさ。そうすれば、能力はまた元に戻るのだろう?」
「それは、そうですが…」
「このまま逃がすわけにもいかぬ。しかし、殺してしまうのも可哀想でな。二度とこんな悪さをしないよう、オシオキをしてやろうと思ったのだ」
「そう、ですか…」
「頼む。君の力を貸してくれないか?」
「マルレート様…」
上級魔族、しかも憧れの存在に頭を下げられるサキュバス。
マルレート様のお役に立てるなら。
それに、これはこの獣人族のためでもあるのだ。


部屋には、自分と、吸血族の当主と、サキュバスの3人のみ。
自分をこの部屋まで連れてきた男は、いつの間にか姿を消していた。
しかし、そんなことは彼女にとってどうでもよかった。
マルレートの目の前で、獣人族があられもない姿をさらす。
最初はマルレートを睨みつけ、気丈に振舞っていた獣人族だったが、サキュバスの前には無力だった。
魅了され、己の性癖を晒す、狼の獣人族。
盗賊の頭目として、一味を率いていた彼女。
本当は、自分より強い存在に力づくで服従されられることを望んでいたのだ。
腕力のないサキュバスは、しかし、その能力で獣人族を支配していく。
プライドの高い獣人族は、首輪を付けられ、新たな飼い主に芸を仕込まれていく。
この私が、まるで犬のように…
生まれて初めて付ける、首輪の感触。
今でこそ盗賊に身をやつしているが、これでもかつては名のある一族だったのだ。
その末裔であるこの私が、このような…
誰かに所有されている、誰かに服従している、そんな屈辱が、彼女の自尊心を刺す。
サキュバスが、獣人族に命令する。
「ほら、ワンちゃん。お手」
はらわたが煮えくり返りそうになりながらも、しかし、同時に不思議な感情が湧き上がってくる。
「いい子、いい子」
サキュバスに頭を撫でられる。
下賤な者が、気安く触れるな。
鋭い目つきで睨む。
しかし、彼女は気付いていなかった。
表情とは裏腹に。
彼女は、そのしっぽを大きく揺らしていた。
サキュバスの指示。
それに従うたび、気高き狼としてのプライドが、奪われていくのを感じた。
彼女の百年近い人生が、いや、彼女が復興を目指す一族が、否定されていく。
「かわいい、かわいいワンちゃん。マルレート様のお許しがでたら、私が飼ってあげましょうか?」
サキュバスの、恐るべき誘惑。
犬として、飼われる。
しかも、下賤な存在に。
この私が…
怒りと屈辱で、カッとなる。
差し出された、サキュバスの手。
その手に、噛みつこうとして…
しかし、彼女は噛みつかなかった。
代わりに、あお向けになり、サキュバスにお腹を見せる。
服従のポーズ。
狼としてのプライドを捨て、サキュバスの犬となることを選んだのだ。
サキュバスの魅了によるところもあるが、彼女が心の奥底で望んでいたことでもあるのだ。
サキュバスにお腹を撫でられて、嬉しそうな声をあげる、獣人族。
狼としての誇りも、一族の重責も捨て、一匹の犬として、主人に服従する。
恍惚とした目で、ご主人を見つめる。
「私に飼われたいの?どうなの?」
「か…飼え。私を、飼え」
「飼え?ご主人様に対する口の利き方じゃないわね。もう一回だけ、聞いてあげる。私に飼ってほしいの?ちゃんと答えられなかったら、一生飼ってあげないからね」
あわれにも、屈辱と興奮とで耳まで真っ赤にした、気高き狼。
お腹を撫でられるという恥辱が、下賤なものに服従するという屈辱が、彼女を発情させる。
かつては、数多くの下級魔族を支配していたという一族の誇りを捨て。
サキュバスという一介の下級魔族に過ぎない女に、ペットとして飼われる。
いや。
飼っていただくのだ。
首輪を付けた自分。
食事が盛り付けられた皿が、床に置かれ。
それに、口を近づけて、食べる。
飼い主に、頭を撫でられている自分。
しっぽを振りながら、嬉しさを全身で表す。
仕込まれた芸を、一生懸命披露し。
時には、散歩に連れていってもらうのだ。
首輪にはリードが付けられており、ご主人様に握られている。
自分は、本当の犬のように、四つん這いになりながら街中を歩くのだ。
かつての部下たちが、そんな私を見つける。
一族の誇りを捨て、サキュバスのペットへと成り果てた私を見て蔑んだ目で、私を…
屈辱と、恥辱と、そして被虐的な興奮。
サキュバスが、ご主人様が、私のお腹を揉み始める。
子宮が、疼く。
狼から犬へと、体が、心が書き換えられていく。
「わ、私を、飼ってください…ご主人様…」
言葉にしたとたん、彼女の脳がスパークした。
感じたことのないほどの興奮。
頭の中が真っ白になり、同時に、体が震え始める。
「で、でる、でちゃう、まって、でる、でる、あ、あぁ、あああ!」
せりあがってくる何かを必死にこらえるが、なすすべもなく。
暴力的なまでの快楽が、彼女の脳細胞を焼いていく。
体を痙攣させながら、彼女は自分が別の生物として堕ちていくのを感じた。


獣人族の股間から吹き出すマナを、杯で受け止めるサキュバス。
相変わらず、見事な手際だった。
自分を、堕ちていく獣人族に投影しながら。
マルレートは、マゾとしての己を刺激されていた。
自分も、この獣人族と同じように、堕とされたい。
サキュバスによって、マナを絞り出され、無様な姿を晒したい…
湧き上がってくる、耐えがたいほどの欲求。
しかし、まだだ。
まだ、確かめねばならないことがある。
マナを搾り取られた獣人族が、床でぐったりしている。
「おい、女」
マルレートの方を、濁った目で見つめる。
「お前の特技、あっただろう。やってみろ」
彼女の特技。
それは、一時的に己の姿を消すことができるというものだった。
原理は分からないが、その特技によって、彼女はこれまで捕まることなく盗賊稼業を続けることができたのだ。
獣人族の顔が次第に焦り始める。
うろたえ、半狂乱になりながら、なおも己の特技を試みる。
目に涙を浮かべながら、こちらを見ている。
それもそのはず。
彼女の特技は、マナとなって、あの杯の中へと流れ出てしまったのだ。
テーブルの上に置かれた杯を持ち、彼女に持たせる。
「先ほど、お前から絞り出したマナだ。お前の能力は、このマナの中に溶け込んでいる。お得意の特技もな。飲め」
慌てて杯に口をつける獣人族。
そして、喉を鳴らしながらマナを飲み干していく。
空になった杯を、上にかざす。
一滴もムダにしないように、垂れてくるマナを口で受け止め、飲み込んでいく。
これで、彼女は能力を取りも出したはずだ。
「どうだ。あの特技、やってみろ」
獣人族の体が、薄くなっていく。
成功だ。
マナの再取り込みは、成功した。
マルレートを、殺気が打つ。
身をかわし、首筋に手刀を叩きこむ。
再び姿を現した獣人族が、床に倒れこんだ。
「影」
「はっ」
再び縄で縛られた獣人族が、部屋の外へ連れ出されていく。
「これで彼女も懲りたことだろう。ありがとう」
「い、いえ、この程度のこと…」
照れたように、うつむくサキュバス。
このサキュバスに、私はこれから告白するのだ。
上級魔族としてあるまじき、己の秘めた願望を。
心臓が、早鐘を打つ。
「それで、だ。実は、もう一つだけお願いがあるんだが、聞いてもらえるかな?」
「それは、マルレート様のお願いでしたら、どのようなことでも」
サキュバスのまっすぐな目が、マルレートを見つめてくる。
羞恥心に襲われ、つい、目を伏せてしまう。
大丈夫だ。
マナの再取り込みができることは、この目で確かめた。
それに、安全策はいくつも用意している。
「そうか。なら、頼もうか」


上級魔族の、それも勇者たちを捕らえた英雄であるマルレートの、倒錯的な要求。
それを聞いた下級魔族は、驚愕した。
当然だ。
自分のマナを絞り出してほしいなどと言う者など、これまで聞いたことがない。
まして、相手はあのマルレート様なのだ。
マルレート・フォン・シュルツ卿。
吸血族の美しき当主にして、勇者たちを捕らえた英雄。
自分が生まれた時から存在する、仰ぎ見るほど高貴なお方。
儀式でお見掛けした時から、密かに憧れを抱いていた。
図書館でお会いした時も驚いたが。
まさか、こんなことになるとは。

マルレートの寝室へと移動した二人。
いまだに躊躇いを見せるサキュバスの耳元で、マルレートがささやく。
「遠慮することはない。私をエモノだと思って、いつものようにすればいい」
ハッとしたサキュバス。
そして、ニヤリと笑った。
勇者たちに見せた、あの妖艶な笑みで。
マルレートが、顔を赤らめる。
いつも見せる、威厳に満ちた表情ではなく。
まるで生娘のような、恥じらいを見せている。
お守りなのか。
右手には、球状の赤い石が握られている。
自分よりはるかに長い年月を生き、上級魔族という雲の上のような存在の女性。
マルレートの、整った顔。
きれいな瞳。
長いまつげ。
ぷっくりとした、柔らかそうなくちびる。
魔族の中で、マルレートに憧れる者がどれほどいるのか分からない。
本来であれば、下級魔族の自分が話すことすら恐れ多い存在。
そのマルレートを、これから自分の好きなようにできるのだ。
突然目の前に現れた極上のエモノ。
己の中のサキュバスとしての本能が、キバを剥きだしにする。
堪らないほどに美味しそうな匂いを放つ、一級品のごちそう。
それが、早く私を食べてと言わんばかりに、目を閉じた。
もう、ガマンできない。
上級魔族だろうと、知ったことか。
顔を近づける。
マルレートの匂い。
女の自分でさえクラクラするような、甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
そして、かすかに香る汗の匂い。
それが生々しく、サキュバスの興奮を煽る。
マルレートの唇。
そっとくちづけをするサキュバス。
チュッ…チュッ…
「んっ…ぁ…んん…」
恋人のような、慈しむようなキス。
サキュバスの中の獣が、今にもエモノに喰らいつこうとする。
ヨダレを垂れ流しながら、ギラギラとマルレートを睨め付けている。
そんな衝動を、必死に抑え込み。
何度も、何度もついばむようなキスを繰り返す。
唇を重ねるたび、理性が剥がれ落ちていく。
わずかに開いた、マルレートの唇。
彼女の下唇を、サキュバスは己の唇で挟みこんだ。
目が合う。
マルレートの目を、じっと覗き込む。
潤んだ瞳が、サキュバスを映す。
マルレートの鼻息。
次第に、荒くなっていく。
目の前にいる、一匹のメス。
発情しているのだということが、手に取るように分かる。
しかし、目の前にいる発情したメスは、あのマルレート様なのだ。
高貴な上級魔族様が、鼻息を荒くしながら、私のキスを従順に受け入れている。
こんなことが、あっていいのか。
夢なら覚めないでほしい…
口の中へ、舌を差し入れる。
唇の内側を、舌でなぞる。
マルレートの身体が、かすかに反応したのを、サキュバスは見逃さなかった。
相手の反応を確かめながら、口腔内を舌で犯す。
歯茎をなぞるように、舌をゆっくりと動かす。
マルレートの身体が、敏感に反応する。
マルレートが、こういったことに慣れているのかどうか、サキュバスは知らない。
マルレートほどの地位や美貌があれば、相手には困らないだろう。
しかし、目の前にいる女は、まるで小動物のように、サキュバスに身を委ねていた。
それがまた、サキュバスの嗜虐心を刺激した。
「舌を、出してください…」
下級魔族から、上級魔族への要求。
通常なら断じて許されないはずの無礼に、しかしマルレートは従順に従う。
殿上人の口から、おずおずと伸ばされた、舌。
そこに、サキュバスは己の舌をあてた。
マルレートの舌を、軽く舐める。
「マルレート様の舌、おいしいです…」
「や、やめろ…」
耳まで赤くしながら、弱々しく反応するマルレート。
「ほら、もう一度、舌、出してください?べーって、ほら」
悔しそうに下唇を噛みながらも、やはりこの上級魔族は従順だった。
差し出された、マルレートの舌。
それに、己の舌を優しく絡ませた。
マルレートをリードするように、ゆっくりと舌を動かす。
むしゃぶりつきたくなるような衝動を必死に抑え、あくまで優しく。
お互いの間にある何かが、少しずつ高まっていくのを感じる。
マルレートの鼻息が、再び荒くなっていく。
控えめだったマルレートの舌の動きが、次第に激しくなっていく。
それに合わせるように、サキュバスも緩急を付けながら舌を動かす。
マルレート反応を堪能した後。
舌を止め、唇を離す。
唾液が糸を引いて、舌と舌をつなぐ。
見つめ合う。
マルレートに聞かせるように、吐息を漏らす。
マルレートの目。
覗き込むように、じっと見つめる。
あなたが発情していることを、こちらはしっかりと見抜いていますよ。
言葉にはせず、ただ、目に力を込めて、それを伝える。
プライドの塊のような、上級魔族。
それが、潤んだ目でこちらの顔色を窺っている。
サキュバスは、心の中で舌なめずりをしてから、再び唇を重ねる。
キスをしながら、マルレートの髪を撫でる。
上級魔族の髪に触れるなど、本来なら正気の沙汰ではない行為。
本来なら、だ。
いつもなら決して許されないことでも、今なら許される。
不敬を責められるどころか、うっとりとした目で、サキュバスを見上げる上級魔族。
こんなこと、興奮するなというほうが無理な話だ。
愛情を込めるように、手のひらでマルレートの頭を撫でる。
下級魔族の私に頭を撫でられて、上級魔族が嬉しそうに目を細める。
支配欲が刺激される。
たまらない…
それだけで、達してしまいそうだった。
高貴な存在を、もっともっと、私の手でめちゃくちゃにしてやりたい。
サキュバスの持つ能力。
相手を発情させること。
相手のマナを絞り出すこと。
絞り出したマナを自分のものとすること。
それと、もう一つ。
それは、マルレートには伝えていない。

顔を少し傾け、唇同士を強く重ね合わせる。
そのまま、再び舌と舌を絡ませ合う。
もはや遠慮は不要だった。
マルレートを、目の前のエモノを、貪る。
高まった淫の気を、身体へと容赦なく注ぎ込んでいく。
こすり合わせた粘膜から。
鼻腔から。
肌と肌から。
己の持つ最大限の力で、高貴な存在を堕としていく。
最大の武器である、唾液。
それを、マルレートの口へと注ぎ込んでいく。
堕ちろ、堕ちろ。
発情して、屈服して、私の糧となれ。
サキュバスとしての、持てるだけの力を、情念を込めて。
憧れが、どす黒い感情へと変わっていく。
上級魔族にあるまじき、倒錯的な性癖を持つこの女から、全てを搾り取る。
上級魔族としての立場も、能力も、権力も、名声も、なにもかも。
こんなことを考えているなんて、本人に知られたら生きては帰れないだろう。
願望を心に秘めたまま、サキュバス特製の媚薬をマルレートに飲ませ続ける。
顔を上気させ、鼻息を荒くさせた、一匹のメス。
全身全霊で、堕とす。
その優秀な頭脳を快楽漬けにして、私のことしか考えられなくしてやりたい。
全身を性感帯にして、24時間365日発情させてやりたい。
あなたの持つすべてを、私が搾り取ってあげる。
搾りかすになったあなたを、嘲笑いながら、飼ってあげる。
私の顔色をうかがいながら、ヒクツな笑みをうかべてオネダリさせてあげる。
あなたの持っていた魔力を、高位魔法を、知識を、権力を私が自由に使っているところを、あなたは指を咥えて見ているしかないの。
でも、あなたのせいなのよ?
あなたが、自分でマナを搾り取ってほしい、なんて言うから。
だから、あなたの望みを私は叶えてあげたの。
こんな素敵な力をくれた褒美として、あなたを私のペットにしてあげたのよ。
感謝しなさい、マルレート?

かつてないほどの興奮の中で、サキュバスの妄想がひろがっていく。

でも、ペットがご主人様の許可なく服を着ているなんて、許せないわね。
心の中でつぶやいたサキュバスは、マルレートの服に手をかけた。
「お召し物、汚してしまわないよう、脱がせていただきますね」
「あ、ああ…」
魔王城へ出仕している時とは違う、カジュアルな装い。
それでも、上等な生地で作られたそれは、サキュバスが一生涯かけても手に入れることができないほど高価な代物だった。
生まれた時から存在する、圧倒的なまでの違い。
能力の差、立場の差、環境の差。
よほどのことがない限り、それが覆ることはない。
そして、よほどのことが起こったところを、サキュバスは見たことがなかった。
下級魔族として生まれた以上、上級魔族に使役され続ける。
そしてそれは、死ぬまで変わらない。
それが、当たり前だった。
疑問を持ったことさえなかった。
生まれて初めて抱いた、上級魔族への妬み。
上級魔族として生まれ、何不自由なく生きてきた吸血族の当主。
あろうことか、その根源であるマナを絞り出してほしいと自分に頼んできたのだ。
それなら、徹底的に絞り取ってやる。
泣いて後悔しても、知らない。
いや、むしろ、泣いて後悔するがいい。
そんなお前を見て、あざ笑ってやる。
自分よりはるかに上位の存在を支配しているというシチュエーション。
絶世の美女が見せる、発情したメスとしての貌。
ふいに生まれた上級魔族へのドス黒い感情が、性的興奮と相まって、サキュバスの嗜虐心を更に高めていく。

マルレートは、かつてないほどの興奮のなかにいた。
サキュバスの唾液による影響もあるだろうが、それよりなにより、この状況に、言いようのない昂りを感じてしまうのだ。
下級魔族にすぎないサキュバスに、身を委ねている自分に。
そして、まるで小娘でも扱うかのようなサキュバスの態度に。
言葉遣いこそ丁寧だが、上級魔族への敬意など感じられない。
腹をすかせたケモノが、エモノを前にした時のようなギラついた視線。
下賤な下級魔族が、分不相応にも私を見下しながら、舌なめずりをしている。
そんな不敬、許していいはずがない。
私は、あのマルレートなのだ。
こんなサキュバスなど、その気になれば指先一つ動かさずに息の根を止めることもできる。
それなのに。
サキュバスが、私の口に唾液を注ぎ込む。
得意げに、上級魔族に唾液を飲ませる下級魔族。
そしてそれを、不敬を詰るでもなく、むしろ嬉しそうに甘受する上級魔族。
サキュバスに飲まされた唾液が、身体の中で燃えるように熱くなる。
お腹が、子宮が熱い。
神経が敏感になり、体のどこを触られても、電気が走ったかのような快感が流れる。
ゾクゾクする。
従者たちから受けた、屈辱的な夜伽。
あんなものより、はるかに刺激的だった。
しかしこれは、あくまで前戯にすぎない。
これから訪れる、更に屈辱的で惨めな行為。
この下級魔族に、上級魔族としてのマナを、絞り出されるのだ。
かつて、サキュバスを血を引くライバルに、能力も名誉も奪われた女魔族。
そして、勇者たち。
マナを奪い取られる姿、表情。
そして、その後の末路。
鮮明に、マルレートの脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
サキュバスが、耳元でささやく。
「そろそろですよ。ご準備はよろしいですか、マルレート様?」
「は、はぃ…」
熱に浮かされているとはいえ、下級魔族に『はい』と答えてしまいそうになり…
「あ、ああ…」
慌てて言い直す。
気付かれただろうか、気付かれなかっただろうか。
ドキドキしながら、サキュバスの顔を覗き込む。
マルレートに向けられた、サキュバスの目。
気付いていますよ。
そう語りかけているような気がして…
恥ずかしさのあまり、マルレートはうつむいた。
勇者たちから絞り出されたマナを受け止めた、杯。
儀式で使われていた杯と同じ、希少な金属で作らせた特注品。
1つで一抱えほどもある大きさの杯。
それを、4つ用意していた。
それを、手で手繰り寄せる。
「こんなものをご自身で用意なさるなんて…マルレート様も、だいぶ変わったご趣味をお持ちなのですね」
決して許されない、不敬な言葉。
本来なら、八つ裂きにしてもおかしくないほどの暴言。
それでも、今ならそれが許されることを、サキュバスは知っているのだろう。
そのうえで、敢えてそのような言葉を発しているのだ。
マルレートの歪んだ性癖を、この下級魔族は見抜いている。
『自分のマナを絞り出してほしい』
そんな倒錯的な告白をした時点で、マルレートの性癖を晒したようなものだ。
羞恥心を煽り、プライドをなじる。
そうされることで、この上級魔族が性的な欲求を…被虐心がくすぐられることを、知っているのだ。
屈辱で、身体が熱くなる。
子宮の奥が、疼く。
心が丸裸にされているような感覚。
まる見えになった私の心を、願望を、このサキュバスにじっと見られている。
「今から、この杯の中に、マルレート様のマナを絞り出させていただきます」
身も凍るような、サキュバスの宣告。
「貴重な、貴重なマルレート様のマナ。それが、ご自身の身体から流れ出ていく様を、じっくりとご覧になってくださいね」
恐怖か、それとも期待による興奮か。
マルレートの身体が、意思に反して震え始める。
「ふふっ、緊張なさっているのですか?大丈夫ですよ。加減をいたしますから」
背後に回ったサキュバスが、マルレートを抱くように腕を伸ばす。
サキュバスの手。
それが、マルレートのお腹にそっと触れた。
儀式で見た、光景。
サキュバスにお腹をもみほぐされる勇者たちの表情が、フラッシュバックする。
彼女たちと同じように、この手でお腹をもみほぐされるのだ。
屈辱、恥ずかしさ、嬉しさ、不安…
様々な感情がマルレートの中で沸き起こり、混ざりあう。
それが、両極端の感情となって、マルレートを揺さぶる。
期待と、恐怖。
もはや、自身の感情を制御することは不可能だった。
何重にも張り巡らせた、セーフティーネットがある。
大丈夫…
大丈夫…
何度も、何度も自分に言い聞かせるが、恐怖心は一向に収まる気配はない。
「マルレート様の魔力も、スキルも、知識も、ぜんぶ、マナと一緒に出してしまいましょうね。きもちよーく、マルレート様のおまたから流れ出ていくのを、感じてくださいね」
サキュバスの手が、マルレートのお腹をつかんだ。
来た。
来た来た来た。
脳が、興奮で沸騰しそうになる。
余裕のなくなった私の顔を見て、サキュバスがほくそ笑む。
グニグニ、グニグニと、マルレートのお腹をつかみ、揉み上げるサキュバス。
遠慮のないその動きに、マルレートの被虐心はさらに燃えあがる。
「分かりますか?マルレート様のここに、マナが集まってきましたよ?」
言われるまでもなく、マルレートには分かっていた。
「マルレート様の有り余るほどの魔力も、高位魔法の数々も、多岐にわたる知識も、手練手管も、全てこのマナに溶け込んでいるのですよ。こんなに貴重で、高貴なマナなのですから、一滴もこぼしてはいけませんよ?分かりましたね?」
返事をする余裕もないほどに、マルレートは切羽詰まっていた。
言葉を発する代わりに、何度もうなずいた。
サキュバスの笑い声。
嗤われたのか。
下級魔族に、この私が。
怒りは興奮へと変換され、マルレートを更に昂らせていく。
脳が、全力で警報を鳴らしていた。
圧倒的なまでの理不尽な力に、マルレートは飲み込まれようとしていた。
何かが、せりあがってくる。
何かは分からないが、マルレートにとって何よりも大切なもの。
それが、身体の外に出たがっている。
絶対に、絶対に出してはいけない。
理屈ではない。
本能が、そう叫んでいる。
「ああ、マルレート様、なんて素敵な顔…あのマルレート様が、そんな表情をなさるなんて…」
サキュバスのささやき。
聞いているだけで、自分のすべてを差し出してしまいたくなるほど魅力的な声。
いや、チャームか。
この私を魅了しようというのか。
「かわいいですよ、マルレート様…」
甘いささやきが、マルレートの脳を溶かしていく。
サキュバスの、激しい息遣い。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ…!」
下賤な女の、発情したメスの、呼吸。
「マルレートさまぁ?そんなに息を荒くなさって、興奮なさっているのですかぁ?いつもの威厳に満ちた、あのマルレートさまはどちらへ行ってしまわれたのですかぁ?」
煽るような、サキュバスの声。
このケモノのような息遣いは、サキュバスのものではない?
私の?
「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ…!」
不敬な。
言葉にしようとしたが、口から出てこなかった。
代わりに、喘ぐような、荒い呼吸。
「いっぱい、いっぱい、オモラシ、してくださいね?マルレートさまのマナが、ピュルピュルッと、おまたの間から出てきますよ?ほらほら、どんどん、どんどん集まってくる…」
や、やめろ!
やめてくれ!
自分が自分でなくなってしまう。
必死に、お腹に力を込める。
しかし、その一方で…
お腹にたまったこのマナを、おもいっきり吐き出してしまいたいという衝動。
むしろ、その衝動は時間を経るごとに大きく、強くなっていく。
「そんなに気持ちよさそうな顔をなさって…もう、ガマンできないのですか?でも、マルレートさまのことですから、もっとこらえてくださいますよね?こらえればこらえるほど、きもちよーくなれますよ?」
余裕のなくなったマルレートの心に、すきまが生じる。
そのすきまから、サキュバスの声が入り、マルレートの感情を激しく揺さぶる。
「あっ、で、出る、出ちゃう…マナが…私のマナが…」
魔力、魔法、知識…
それだけでなく、上位魔族としてのプライドも、立場も、失ってしまう…
足元が消えてしまったかのような、心もとなさ。
恐怖が、極限まで広がっていく。
「ほら、ガマンしないで?ほらほら、マルレートさまのマナ、私に見せて?」
「や、やだやだ、出したくない!ちゅ、ちゅうし、しなさい!まって、まってってば、まちなさい!」
「もう、おそいですよ、マルレートさま。この状態になってしまってはもう、出てくるマナを止めることはできません。一度、出してしまいましょう。だいじょうぶ、すぐにとりこめばいいのです。そうすればまた、もとのマルレートさまに戻ることができますよ。だから、ほら、あんしんして、ピュルピュル、しましょうね、マルレートさま?」
トイレを長時間ガマンしたときのような、感覚。
いや、それ以上に圧倒的な何かが近づいてくる。
暴力的なまでに無遠慮で、有無を言わさず、マルレートに何かを迫ってくる。
「だいじょうぶですよ?ほら、オシッコするときみたいに、ちからを抜いて?そう、いいですよ?」
なおもマルレートのお腹をもみ続けるサキュバス。
「まって、でちゃう、でちゃうからぁ…もうだめ…あっ…あっ、あっ…でちゃ…あっ…ああっ…!」
マルレートの中で、せき止められていたものが、決壊した。
やけどしそうなほど、熱い何かが、身体から流れ出ていく。
目の奥が、チカチカする。
脳が、焼き切れていく。
「ほら、ちゃんと杯を持ってください?こぼしても知りませんよ?」
かすかに残った理性によって、手に持った杯を股間にあてる。
「出てきましたよ、マルレートさまのマナ。きれいな色…ほら、見てください。マルレートさまの、とってもきちょうなマナ。ほら、どんどんたまっていってますよ?」
手から、力が抜けていく…
杯が、重い…
それでも、必死に杯を支える。
「すごく、キレイ…こんなマナ、私、見たことがないです…さすが、マルレートさまのマナ」
サキュバスの興奮した声。
「こんなマナ…すごく…おいしそう…」
ゾッとした。
サキュバスの、何気ないつぶやき。
マルレートは、慌てて目を見開いた。
己の股間にあてた杯の中身。
虹色の光を放ちながら輝く、液体。
一向に止まる気配のないそれが、一つ目の杯を満たす。
慌てて、空いた杯へと交換する。
マルレートの中から、何かが次々に抜け落ちていく。
他の上級魔族ですら畏怖するような、能力。
上級魔族としての、プライド。
これから訪れるはずの、輝かしい功績。
それらを、まるで排泄するかのように、身体の外へ放出しているのだ。
三つ目の杯へと手を伸ばす。
マナで満ちた、2つの杯。
サキュバスに奪われないよう、ビクビクしながら、なおも杯へとマナを垂れ流していく。
呆けたような表情で、しかし目だけはギョロギョロと動かし。
サキュバスを監視しながら、なおも続く快楽へと身を浸す。
脳が、本来の10分の1ほども働いていない。
本当に焼き切れてしまったのか。
それとも、マナと一緒に思考力も流れ出てしまったのか。
経験したことのない、けだるさ。
私は、何をしているのだろう。
股から流れ出る、この液体は何だろう。
なぜ、私の部屋にサキュバスがいるのだろう。
でも、そんなこと、どうでもいい…
気持ちいい…
自分の脳が、身体が、作り変えられていく。
3つ目の杯が満ちる。
このままではいけない…
でも、何をすればいいか分からない…
ぼんやりとした頭で、考える。
「ほら、マルレート様、杯を交換しませんと、マナが溢れてしまいますよ?」
「は、はぃ…」
そうだ、はいをこうかんするのだ…
「もう、仕方ありませんね…」
股間にあてていた杯を女が奪い取る。
「あっ…」
そして、空の杯が、再び股間へとあてられた。

「いかがでしたか、マルレート様。ご自身のマナが絞り出される感覚、お楽しみいただけましたか?」
ボンヤリとした頭に、少しずつ思考力が戻り始める。
しかし喋るだけの余力もないマルレートは、ただコクンとうなずいた。
「そうですか、それはよかったです。それでは、杯にたまったマナを取り込んでください。まだ大丈夫ですが、それでも時間が経つごとに、質は落ちてしまいますので」
「わ…わかった…」
絞り出すようにして、マルレートが応える。
マナで満ちた杯に手を伸ばす。
しかし、持ち上げるほどの力が、入らない。
サキュバスに支えられながら、杯を口につける。
鮮やかな光を放ちながら揺らめく、液体。
これが、私の…
マルレートのマナ。
この中に、私の身体から流れ出た能力が溶け込んでいるのだ。
造作もなく使いこなしていた、高位魔法の数々。
思い出そうとするが、術式の1つも頭に浮かんでこない。
己の眷属について。
マルレートの側近である上級魔族や、それに準じるほどの力を持った者たち。
彼らをいかに御し、統率し、自分の手足のように動かしていたのか。
ほんの少し前までは、当たり前のようにできていたこと。
しかし、今はどうか。
従わせるどころか、むしろ彼らに従わされてしまうのではないか。
魔力だけでなく、知識も、カリスマ性も、全てマナと一緒に絞り出されてしまったのだ。
これを、もし奪われてしまったら…
目の前にいるサキュバスに、このマナを飲み干されてしまったら…
再び、言いようのない恐怖に襲われる。
慌てて、杯を傾ける。
マナが、口に触れる。
のどを鳴らしながら、己のマナを飲み込んでいく。
砂漠でさまよう旅人が、数日ぶりにオアシスを見つけたかのように。
ゴクゴク、ゴクゴクと。
ニオイはないが、口の中にネットリと絡みつくようなそれを、必死の形相で飲み込んでいく。
「ふふっ。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。そのマナはマルレート様ご自身のものです。今ならまだ、すぐに元のマルレート様に戻れますからね」
優しく、語りかけるようなサキュバスの声。
しかしそれは、マルレートを安心させるだけでなく、彼女のプライドを刺激するのだった。

コメント